大きな樹の話4

個展を終えて

先日、初めての個展を無事に終えることができました。                   やってよかったな、と思う点はたくさんあったのだけど、その中でも初日に来てくれた知らないおじいさんから聞けた話がすごく嬉しかった。

なぜ巨樹を撮っているのか、何をやりたいのか、いろいろと聞かれて何だかもう一度主査を受けている気分。                 そのあとに、「あれだね、西行の歌みたいな感じだね」と一言。西行はわかるけど歌までは全く覚えてなかった。でもそこはおじいさん、質問しなくてもどんどん説明してくれる。       その歌は西行が伊勢神宮に詣でた際の心境を詠んだものらしい。

何事の おわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる                                     (ここにどのような神様がいらっしゃるのかは存じあげませんが 畏れ多く 身にしみるようなありがたさに ただただ涙がこぼれます)

それで、どうしてこれが嬉しかったかと言うと、この歌の内容が自分が樹と対面している時の感覚に似ていたから。              樹の前にいる時のあの不思議なエネルギーというか空気感のようなもの (これを樹気と勝手に名付けました) を感じるのは濃い宗教観の中には生きていない私だって、何百年昔の人だってきっと同じではないか。                     これ結構大切にしていたポイントでした。   こんな制作しておいてあれですけど基本的に神様いないと思っているので、そこに◯◯という神様が祀られててとかは後で調べるくらい。     でも途方もない年月を生きてきて、ひたすらにそこに存在していると思うと、なんとも言い表せない気持ちになる。福岡県にある湯蓋の森という楠を見た時はほんの少しだけ泣いてしまった。溢れるとまでは言えないけど笑 今のところ涙が出たのはその一本だけなんだけど、今回の展示ではなぜか出してないんですよね。(今気づいたわなんでだろ)

とりあえずこれで樹気を感じることは昔の人もあったのだとわかった。もっと昔の人は知らないけど。                        でもまだまだ知りたいことはたくさんある。今まで会ってきた中でも心が動かされるものとそこまで...というものがあった。限りなくうっすらと傾向はあるけれど、なんとも言えない感じ。できればここを知りたい。                           繰り返しになるけど、それが「なぜ人は樹を神としてみるのか」の答えになるような気がするから。

もっとたくさんの樹に会いたい。一人でも行きたいし、みんなとも見たい。でも誘うのいっつも迷うからいっぺん見てみたいよーって人いたら声かけてください...

年末に(あと一ヶ月ないのね)四国中国地方行く予定です。晴れろ!       

おしまい

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湯蓋の森 (福岡県 糟屋郡 宇美町)        国指定天然記念物

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