(BL小説)旅の終着

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「もうこのような季節だったか」
 萩の花が咲いたのに気付いた詠心は独り呟いた。母の死後に家を飛び出して今年で何年目だったかと、指を折って数える。多分もう直ぐ五年経つだろう。母が身罷ったのち、乳母と斎主の臣下だと名乗る者から自分の出生のを聞いたその日から、大した荷物も持たず連れも誘わず、一人で浮浪者として過ごしているのだ。今も適当に気が向くままに彼方此方を旅している。生まれ育った家には戻る気になれず、かといって行き場も無く、ただ風に誘われ花に誘われ適当に歩いていた。殆ど財を持たぬ為、旅先で笛を吹いては礼にと僅かな金や食べ物等を貰って生活している。
 だが華奢で顔の良い家無しの男など、衆道を好む輩にとって恰好の餌食となる。「もっと奏でよ」と命じられ、閨に呼ばれた事もあった。当時二十を迎えていた詠心はその意味を知らぬ子供ではなかった。何とか貞操は守っているものの、夜の誘いが嫌で髪を伸び放題に伸ばし、髭も剃らずなるべく醜い見た目を装っている。枯れ枝のように痩せているのと継ぎ接ぎだらけの小袖は何とかするのに十分な金が無いだけだが。
「うん、今日は穏やかな曲が良い」
 都に着いた詠心は懐から龍笛を取り出し、おもむろに構えた。そして人目を気にする事なく、笛を吹き始める。夏の暑さを忘れさせるような、爽やかな曲だった。澄んだ笛の音を聴いた者が次々と足を止め、詠心を見る。いつの間にか人の群れができていた。腰の曲がった老爺から小さな童女まで、老若男女問わず、詠心の演奏に耳を傾けている。
「きれーねえ」
 曲が終わって、一人の童女が詠心に近寄る。曇りなき瞳で興味津津に詠心を見ていた。他の者も口々に感想を述べたり手を叩いたり、思い思いに詠心に賛辞を述べる。
「有難う御座います」
「おじさん、笛じょーずね。どおしてそんなにじょーずなの?」
 詠心はしゃがんで童女に目を合わせ、優しく言った。
「ずっと肌身離さず持ってね、沢山練習したよ。できるようになるまで、何回も何回も繰り返しね」
「ふうん?」
「分からないかな?」
「ううん、分かる。ねえおじさん、私も笛欲しいの。それ、やってみたい」
 それ、と童女は詠心が持つ龍笛を指差す。流石にあげるのも貸すのもできない。かといって代わりに渡せる物もなかった。
「ごめんね。これは母上にいただいた大事な物なんだ。私の宝物だから渡せないよ」
「そっかあ」
 童女は落胆した声でそう言った。だが直ぐにまた目を輝かせる。
「じゃあさっきのよりも凄い事して」
「えっ?」
 子供故の無茶ぶりである。詠心は少し考えてから笛を構えた。そして再び歌口に息を吹き込む。今度は眠ってしまうような、穏やかで緩やかな曲を奏でる。かつて母が詠心に聴かせてくれた曲だ。目を閉じて、心を込めて只管に演奏する事に集中していた。
 吹き終わり目を開けて、詠心は従者らしき者を引き連れた大柄な男が自分を見ていたのに気付き、酷く狼狽えた。名は分からないが、見る限り確実に身分の高い者である事だけは分かる。詠心は慌ててその場に膝を突き頭を下げた。詠心を囲んでいた者達も急いで道を開け、それに倣う。ただ一人、何も分かっていない童女だけは詠心に体重をかけて寄り掛かっていた。大柄な男は赤銅色の肌や赤毛、薄茶の瞳など珍しい外見だった。
「構わん、顔を上げよ。もう一曲聴かせてくれないか?」
 男は偉そうに気取った様子もなくそう言った。詠心は恐縮しながらも静かに立ち上がる。後から考えれば命取りになりそうな選択だと思ったが、何となく荒れたような曲の方が男が好きそうだと思い、次の曲を決めた。
「有難う御座います。では先日完成させたものを……この曲は『白勢の鬼神』の噂を元に作りました」
 一礼し、笛を構える。そして作ったばかりの曲『白勢の鬼神』を演奏した。旅の途中、戦に参加して生き延びた者達に話を聞いた戦場の鬼神、白勢頼隆という男の印象から生み出した曲だ。詠心はその鬼神に出会った事はないし、姿を見た事もなければ性格も生き様も知らない。ただ、激しく恐ろしく、だが美しい武士だったとだけ聞いていた。
 この曲に余韻はない。急に動から静へと切り替えるように演奏を止めた。そして大柄な男にに向かって一礼する。男は興奮した様子も興醒めした様子もなく、暫く黙って詠心を見ていた。何か言われるだろうかと緊張しながら男の言葉を待つ。
「あんた……名は何と言う?」
「詠心、と申します。心を詠む、詠うで詠心です」
 男に問われ、詠心は丁寧に名乗った。何を言われるのだろうか。男の雰囲気に圧を感る。辛うじて冷静を保っているが、緊張やら恐怖やらで口から心臓が出そうだ。だが、男は詠心を咎めも褒めもせずに言う。
「詠心、もう一度同じ曲を――」
「輝信様、もう日が暮れます。そろそろお帰りにならなくては」
「なら俺の城に呼べばいい」
 態度や言葉には出ていなかったが、輝信と呼ばれた男は先程の曲をいたく気に入ったらしい。もう一度同じ曲を演奏するためだけに半ば拉致されるように輝信と呼ばれた男の住む屋敷へと連れて行かれた。
「ここなら問題ないだろ?」
「もう夜ですが……」
「夜は宴の時間だろ。どうせまだ寝る奴はおらん」
 輝信は大きな盃で酒を煽る。帰るなり食事を出され、全て食べてしまってから直ぐに演奏を求められた。
「では一曲、失礼致します」
「おう、よろしく」
 笛を吹きながらちらりと輝信を見ると、輝信は目を閉じていた。余程注意深く聴いているのか、或いは何かを思い浮かべているのか……詠心は笛を吹きながら、最後まで輝信のその姿から目を逸らせなかった。
 

第二話は明日、7月9日午後公開予定です


原作はこちら

『非天の華』著 : 葛城 惶

原作…葛城 惶さま(@1962nekomata)

表紙…松本コウさま(@oyakoukoudesu1)