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吹けば飛ぶような

おまくら

久々に投稿しようとするともう書くことが不慣れになっている。
この一行を何度も書き直している。さっきまでは書きたいことがあったハズなのにいざパソコンの前に座ると、そこまで言うことでもないしなと改める。今日はまたある人から、投稿をひっそり拝読していると言ってもらえてので嬉しくて投稿しよう。我ながら単純だ。

なんだろうな。何者なんでしょう。

街頭アンケートによく引っかかる。それを断らずにホイホイ受けて見ると、こっちの善意に漬け込んでか、ナメた対応をされる事がある。大体、何をやってるかを聞いてきて、劇団と答えるあたりから態度が変わる。正直に言う私も悪いのだけれど腹が立つよね。極め付けは年収を聞いて答えたらもう向こうのターゲットから外れるのだろう。投資とか興味ないっすよね〜みたいな感じで見切りをつけられる。ナメやがってと思いつつネタにしてやろうくらいの気持ちで街をさ去る。帰りに自分は何者なんだと、些細なことで落ち込んでしまう。

早く俳優になりたいと思っていた20代前半。試行錯誤を繰り返して今は何だろう。劇団主宰なのか。脚本家なのか。俳優なのか。
関わってきた人に「前田は真っ直ぐで熱い人」と分類されことがある。その人は僕のことをちゃんとわかってない。そんなに輝かしい言葉じゃないよ。私は欲深いだけだ。演劇を始めた時から今まで。ずっと焦がれている。ずっと追いかけていた。
俳優になるってどういうことか。すぐに誰でも名乗れる職業にどうやって一本の俳優になることができるのか。職業として、生活としての俳優とは何か。自分が目指すべき形は何かを考える。
舞台が好きで、自分の作った舞台の興行で生きていく。それが出来たらどれだけ幸せだろうか。そこに行き着くためには、俳優としての人気であること。そして舞台の作品も唯一無二であり「面白い」ことが条件である。何より「面白くあり続ける」ことが必須である。
「落語から演劇へ」のフォーマットは発見であり生涯を通して研究する分野で定めて良いと考える。ただ、同時にこれ一本では限界があり賞味期限があるのもわかった。僕の個人としての研究と力を試すためには、このフォーマットだろう。ただ、「演劇」のような物の軸でいくには別の工夫が必要だ。ハコボレといえば〇〇。といった作品のカラー。私はSFかと思っていたがただのSFではいけないのだ。どうすればいいか。新しくて面白い次の一手を考える。

なんてね。最近は机上で考える事ばかりで。
演劇を作ってない時。俳優でいない時。この時間、この瞬間の私は何者でしょうか。やってないと名乗っちゃいけないと思ってしまう。だって芝居つくってないもん。舞台やってないもん。なら君はなんだい?偉そうに語るだけの奴が嫌いだった。自分がそうなってそうで滅入る。嫌なゾーンに入りそうなので今日はここまで。大丈夫。心配ない。

こぼれ文章

吹けば飛ぶような労働者
有象無象の成功者に
見境なしに羨望しては
現在地点を見失う

ずっと焦って息切れしたら
少し立ち止まって振り返る

今まで書いてきた台詞の数々
今まで舞台に置いてきた言葉
お前はなんて叫んできたんだ

一人じゃない舞台を超えて
たくさんの出会いに恵まれて
今も立ってられるのだから
正しく自分を評価しなさい

明日も明後日も、まだ何者でもない私は少しでも肯定できるように。
みなさんも自分を正しく見てあげてください。
また明日。おやすみなさい。

前田隆成


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