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【フォト便り3】木瓜のように...(漱石の生き方)

 すこし盛りをすぎたが、薄紅、純白、深紅の三種類の木瓜(ボケ)が小園に咲き誇っている.写真はその一つ.どれもあざやかだが、どことなく愛嬌(あいきょう)のある花だ.

 ボケの品種を知りたくて、ネットで検索すると「日本ボケ協会」というのがヒットした.ご老人の親睦団体ではありませぬ.木瓜の愛好会だ.(60品種もの写真があるので、興味のあるご仁はご覧あれ.)

 さて、木瓜は平安時代にシナから入ってきたらしい.けっこう昔から日本人は馴染んできたのであろうが、その語源が気になっていた.一説には、夏から秋にかけてつける実の形が瓜(ウリ)に似ているので(またはそう錯覚したのか)、木になる瓜、つまり「木瓜」の字をあてて「ぼっけ」と呼んでいた.それがだんだんと訛っていまのボケに転じたとのことである.

 以前「次は、ナス君」という記事で紹介した高校時代の恩師、「瓜先生」は国語の担当だったが、このような説をご存じであったかどうか、
―― わしゃ、そげ~なこと知りゃ~せんの~
と仰るかもしれん.

 想い出した.木瓜に関心のあった作家がいた.夏目漱石だ.
彼の句に

 木瓜咲くや 漱石拙(せつ)を 守るべく

というのがある.熊本の第五高等学校の英語教師になったころ詠んだものだ.俳人漱石、29歳.おのれの俳号を句に入れるというのも珍しいが、結婚した彼には「妻を遺して独り肥後に下る」との前書で

 月に行く 漱石妻を 忘れたり

という句もある.どちらもユーモアにあふれていますな.

 さて本題の木瓜の方だが、そこの「拙を守る」とはいったい何を云いたかったのか.ふつう拙といえば、「拙速(せっそく)」とか「稚拙(ちせつ)」など「まずい」ことをさし、あるいは「拙者(せっしゃ)」というふうに自分を謙遜していう言葉だが...

 しかしそのヒントが「草枕」の一節にあることを知った.

...木瓜は面白い花である.枝は頑固であって曲がった事がない.そんなら真直(まっすぐ)かと言うと、決して真直でもない.​只(ただ)真直な短い枝に、真直な短い枝がある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上がって居る.そこへ紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑(あんかん)と咲く.柔らかい葉さえちらちら着ける.評して見ると木瓜は花のうちで愚(ぐ)にして悟ったものであろう.世間には拙を守ると云う人がある.此人(このひと)が来世(らいせ)に生れ変ると屹度(きっと)木瓜になる.余も木瓜になりたい. (草枕)

 主人公で漱石の分身でもある画工に、彼の生き方というか信条のようなものを云わせている.

 京都帝国大学教授のポストをけり、文部省から届いた博士学位記の受け取りを拒否し、生涯を通じて妻・鏡子以外の女を知らず一穴主義を貫いた(であろう)ことも、陋巷(ろうこう)のいち物書きに徹したことも、すべてがなんとなく合点がいきますな.

 さて、いい季節になったものだ.ぼつぼつおぼろ時、ひとつ湯でも浴びて、先日手に入れた秋田の銘酒「雪の茅舎」を冷やでいただくことにしよう.木瓜の花でもめでつつ、高校のとき恍惚となった「那美さん」の入浴シーンでも想い出しながら.
(おわり)