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水曜日と鼻歌

毎週水曜日の午後6時。
Outlookの予定表には、目立つ赤色で「定時上がり」と書かれている。
社内の定例ミーティングを終えると、私はチェロケースを肩にかけ、楽譜を無造作にカバンに突っ込んで、東西線に飛び乗る。

そんなに重いものを背負って毎週往復2時間もするなんて、と会社の人からは驚かれる。
そうですね、と口では答えながら、「この重さが心地よいんです、って言ったら変な顔されるかな」と心の中で呟く。

向かう先は、区営の公民館だ。
最寄駅に着くと、鮮やかな色の楽器ケースたちが、持ち主の背中に揺られながら、わたしと同じ目的地へと向かっていた。

公民館に着くと、わたしはいそいそとケースの留め具を外す。水色の蓋を開けると、綺麗な飴色をした、わたしの愛器が顔を出した。
夏の暑い時期なので、調律が狂いやすい。弦に耳を近づけ、胸を楽器に当てる。それが発する微妙な音の揺れを頼りに、ペグを回し、毎回同じ5度の幅を探す。

午後7時になって、指導者の先生がきた。恰幅の良いその人は、前に出たお腹に手を当て、ニコニコしながら指揮台に立った。もう片方の手には、ビオラを抱えている。バイオリンよりも一回り大きいはずのその楽器も、先生にかかると心なしか可愛らしい。

「よろしくお願いします!」と言って、先生がおもむろにタクトを振り出したのは、ブルックナーの交響曲第九番。ドイツに生まれた偉大な作曲家の、最後の交響曲だ。

神妙な顔つきで曲を進めていた先生は、突如その進行を止めた。気になる箇所があったらしい。そのまま、チェロの方に向き直る。指導を聞き逃すまいと、わたしは楽器を脇に抱え、鉛筆を手にする。

彼は突如、オペラ歌手のような豊かな声量で、チェロのメロディの一節を朗々と「チャ〜〜〜〜ラララ〜〜〜〜」と歌った。ビオラ使わんのかい、というツッコミをしたのは、わたしだけではないと思う。その後「こういう感じでさあ、スッ ジャーンって入るんだよ!」と言いながら、軋む指揮台の上で大きくジャンプをした。わたしは笑ってしまって、なんの指示も書き残すことができなかった。

その後「もう一度」と促され、オーケストラは、進行を止めた少し前のフレーズから演奏を再開した。音楽は、芳醇な人格を持ったものになった。抱きかかえるような体勢で楽器を鳴らしながら、わたしはニヤリとする。
先生もニヤリとして「良いねえ!」と、例の豊かな声量で言った。

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毎週水曜日の、午後7時から午後9時まで。たった2時間、私は違う”わたし”になる。
仕事をしたり、家にいたりするとき、急に飛び上がったり、歌い出したりする人は周りにいない。
みんな、とても仕事や勉強ができる顔をして、モニターや資料に向かっている。だから私も「自分だってデキるんです」という顔をして、黙ってキーボードを叩く。もちろん、飛んだり歌ったりしない。

だんだん、実は水曜日の2時間はパラレルワールドなのではないか?と思うようにすらなった。チェロを背負って公民館に向かう1時間と、公民館から家に帰るもう1時間で、私は日常世界と並行世界を行き来しているのではないか、と。

いや、もしかすると、水曜日の方が日常世界で、それ以外の方がパラレルワールド、なんて可能性もある。ああ、もうわからない。

でも、思い出せば確かに、そんな時があった。
音楽が日常で、それ以外が日常でないときが、わたしにもあった。

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大学生のときに所属していたオーケストラサークルは、オブラートで5重に包んでも、求められる演奏の質、練習量、全てクレイジーとしか言いようがなかった。ドMの所業だ。あの頃は音楽するために大学に通ってたな、と思い返す。

4年間、演奏するか、対話するか、そのどちらかだった。楽器を鳴らして、あれこれ言い合い、また演奏し、そうしているうちに日が暮れた。サークルでの活動は、しんどさ9割、楽しさ1割だった。自分たちで好んで入団したことを知っていながら「こんなに時間を費やしてるんだから、お金になったら良いのにね」「ならないけどね!」と言って笑ったりもした。

オーケストラにいる自分の存在の重さに耐えられなくなって、サークルを離れたこともあった。でも、家の中にいても、頭の中で鳴るのは音楽だった。結局わたしはまた、古巣に戻った。

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一体何を以って「これがわたしの日常だ」と言えば良いんだろう。
お金を稼いでいること?たくさん時間を費やしていること?楽しめていること?

音楽は、もはや離れがたい、自分から引き剥がすことがままならないものだ。それを自分に繋ぎ止めているものは、お金でも時間でもなく「これが無くなってしまった世界では生きられない」という切実さなんだと思う。

音楽は、必ずしも幸せだけを与えてくれない。でも、わたしの持つ身体と心を、無加工のまま使うことができる。仕事中に自分に装着した「理路整然と答える」「ギブアンドテイクの法則に則る」そんなオプションを一切合切取り除いたわたしは、とても身軽だ。


毎週水曜日の、たった2時間。その間わたしは、わたしが一番好きな、”わたし”になる。

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先週の金曜日。
水曜日に定時上がりをするので、残り2日間の仕事量は、どうしても多くなる。

夜の8時くらいに残業を片付けながら、片耳だけイヤホンを装着し、ブルックナーの交響曲第九番を聴く。

ふと、斜め手前の席から、クスッと笑い声が聞こえた気がした。
視線を向けると、一つ下の後輩が「すみません、はちこさんの鼻歌が…」と、笑いながら言ってきた。無意識のうちに声に出ていたらしい。

ごめんね、と返すと、彼はいえいえ、と言い、そして「楽しそうで、とても良いと思ったんです」と続けた。純粋な気持ちで口にしてくれたのだと、そう分かる表情をしていた。

音楽をしている自分は、水曜日のたった2時間から、そのつま先を少しだけ外に出した。
所在なさげだった日常の着地点は、一つではなかったのかもしれない。

私が好きなわたしは、これからどんな広がりを見せるんだろうか。

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