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六本木ヒルズ出店!これが一番キツかった。


また、まさかの事態を引き起こしてしまった!
苦しい目にまた合う。

それは背伸びをして
仕事するから。
それは悪いことでなく
良いことだと思う。
仕事って少し背伸びして
無理して苦しんで
そして成長するんだと思う。

苦しいときは
伸びてるとき。

けど、この時は全くそんな風に思えなかった。
情け無い話だが
どうしていいかわからないし
ノイローゼになりそうだった。


第4話
「大混乱」

六本木店が3周年を迎えて売り上げがやっと上がってきたころ信じられない事が起きたのです。

3.11東北大震災

もう東京はもぬけの殻で
失望と不安の真っ只中でした。
日本中が悲しみにつつまれていました。

もう、東京はダメかも知れない。
東京は立ち直れるのか?
そんな気持ちで一旦福岡へ帰ることに。

そして、
六本木ヒルズから出店のお誘いがあったのです。
まさかこんな時に。。。

隣接する
グランドハイアットのコンシュルジュさん達からの評判が決めてとなったみたいです。
六本木にある焼き鳥屋では、八兵衛の評価がかなり良かったみたいです。
特に外国からのお客様に。

しかし、とても状況的には出店できる体制ではありませんでした。
色々な方面へ相談しましたが、やめた方がいいという結論に。

一旦は引き受けたものの、この状況ではやはり無理がある。
そう思い丁寧にお断りしようと…

福岡の郊外の小さな商店街で始めた焼とり屋が、東京の世界的にも有名なあの六本木ヒルズへ出店のお誘いがあるなんて…

震災の後で客単価5000円くらいのお店が入ってほしいと。

チャンスではあるが…



専務と
悩みに悩み、
考えに考えて
相談した結果
「やらずに後悔はしたくない。
どうせ田舎の焼とり屋。ダメだったらまた一からやりなおそう。
引いたら負けやろうもん!
こんなチャンスはもう二度なかばい!
よしやってみよう!」と。




しかし、
人通りの少ない
路地裏に出すより
もっと恐ろしいことが起こりました。

押し寄せるお客様
さばききれない接客、料理…
予想をはるかに超えた数のお客様に対応できない私やスタッフ。

そのほぼ全てのお客様が怒ってしまわれる。。。

映画の前の30分で来られるお客様
鶏肉だけの焼き鳥屋と思って来られるお客様

30分しかないから早くしてよ!
豚バラなんていらないから!
ネギマないってなんなの、おたく?!
で、なんで誰も商品説明できないの?!
このお店って何屋??
もう、いいです!帰ります!



八兵衛に来られてるのではない。
六本木ヒルズの焼き鳥屋さんに来られてるのです。
東京の焼き鳥屋さんをイメージして来られてるです。
そのことにはすぐに気づきましたが、どうしていいのかわからず。

毎日、毎日まさにクレームの嵐。


そして
遂にはスタッフをまとめきれない状態に…

夜中にスタッフに呼び出され話し合いをすることに。
スタッフの我慢、ストレスが限界に達してた。

「八兵衛のイズムって何ですか?」
「リーダーは誰なんですか?」
「ちょっと、この地方料理屋ではやれないっすよ」
色んな意見、質問が飛び交った。
そりゃそうだろうと思いました。
博多の焼とりなんて誰も知らないわけだし
八兵衛なんて知るわけもなく。
福岡のことなんて誰も知らないわけだし。
ゴマサバだって、東京の職人さんにしてみれば邪道だし。



それまでの八兵衛は
ミーティングも
朝礼も
もちろん社訓や
行動指針なんて
何もなく
本当に何もなく

商店街の元気な兄ちゃんがただ突っ走ってきた。
その背中に若い衆たちがついてきた。
そんな感じでした。

実際、数年前までは
人通りまばらな商店街で
にいちゃんが焼き鳥屋やってた
程度だったし。
いきなり六本木ヒルズは
無謀だったと思います。

八兵衛って何ですか?って聞かれて言葉につまりました。
何て答えればいいんだろ?
ホント、八兵衛って何なんだろ?
イズム????
イズムっていると?

その言葉につまった瞬間に全てが終わったような気さえしました。。。。
あの夜のことは
今でも鮮明に覚えています。
悔しかったけど
事実を突きつけられた感じで
なるほどと感心してしまったのも事実です。
不思議な感じでした。


もちろん、それからの売り上げなんて…

人は言う。
「商業施設なんて簡単だよ。
黙っててもお客様来るからね。
裏路地の大変さに比べたら」


私には裏路地の出店のほうが楽でした。

この過去最大のピンチ!それが今の八兵衛の基礎となるのです。

つづく

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