いつもにこにこ している人が いちにちの中で いちばん 表情がなくなる時 それが 朝 まっすぐな顔に おかえり というと にこにこ になる のが 夜 今日もお疲れ様 ご飯を食べる顔も にこにこしてる
おはよう 今日も来てくれてありがとう ベランダのユーカリに太陽があいさつして 太陽のあいさつを洗濯竿が勘違いして 勘違いに小鳥が笑う ぴちち、ぴちちち、 あ、今日は友達も来てくれた あいさつは気持ちいいのかもしれない
きっと未来できみはもっと 上手に恋をしていてよ じゃないと私が今こんなに 下手な恋に明け暮れて 沈んでいる意味を持たないでしょう いつもと同じお菓子とのみもの 傾けたコーヒーの香りが前よりも他人みたい ぎこちない笑みを私に配って 私が笑えると思わないで 合わない視線に何を思うかなんて わたしにも夜にも届くわけない きっと未来できみはもっと 上手に恋をしているよ だから私も今みじめで 下手な恋に足がもつれて 動けない意味を持たないでしょう いつもと同じ椅子と風景 ああまた
折る音 割る音 折れる音 割れる音 折られる音 割られる音 全部嫌い ひとつだけ好きなぼきぼきは 柔らかくなる音 大きくなる音
みなさま! お久しぶりです。 いかがお過ごしでしたか? 色々なこと書いてみたけど、これからはラフにいこうと思います。 わたしは絶賛負のループにはまっておりまして、しかしながら抜け出すことができずにいます。どうしたら抜け出せるのかとか考えるけれど、沼に刺さっちゃったみたいで。わはは。 なぜかというと、目標が消えたから。今に至るまでの道のりも消えちゃって、ぽこぽこ浮かんでるモノやコトなら好きなものがたくさんあっても、だから?というものばかりで。周りに影響されやすいから自分で決
adult 静かな生活の中のけがれた余裕がうみだす情事に、どう寄り添うのが正解だろう それは性別を越えてふいに襲いかかり、むき出しになった欲で溢れ、だれかに愛を注ぐとは違う、欲に呑み込まれる 襲われてからの選択はそれぞれ、でも、情事はけがれた余裕を飲み込んでいく 食べられていく そこにはきっと、淋しさと悲しさと怒りと、それらにまみれた大きな独占欲が入り混じり、少しの倦怠感がそれを包んでいる でも特別な日には、とびきりの愛で優しくつつんでほしい そうしたら、わたしは
最近靴を洗った。 「どこかに連れて行ってくれる」という靴の話題を扱ったコピーライトを、人生で何度目にしたことだろう。 私も会いたい人のところに、私を変えてくれるところに、つれてってくれよ。 靴。
中にはふにゃ、っとした音が組み合わされている その音の中にはいろいろな思いの色が、繊細にやさしく それでも、なにも知らないふりの、無垢なわずらわしさのない、なでらかな音。 雲のようにやさしくなでる しっとりすいつき、かといって粘着はしない 決してベタつかない、いやらしいサラつきもない 浮いたり沈まない肌に添う、猫か、 温度はきっと大切に温めてきたもので そこにはふみこめないし、意識をさせないから、きづかれない あつくても、つめたくても、だめなんでしょう その色と、温度と
平井堅さんの有名な曲にあるタイトル。 私の愛おしい人に「どこがすきなの?」と聞かれたら、たくさんあるよ!、と言い返すが、本当だ。 たくさんありすぎて伝えられないので、まとめようと思う。
諸行無常と唱えた目には 虚無と謳った貴方の背中 動かす足が前に動いて 私が砂利道辿る頃 貴方は何をみるのでしょう 遠い氷国の夢のなかで
小さい頃の髪型はよく覚えている。 根っこからくるくるなので、引っ張るように縛り上げられ、ポニーテールかツインテール、お団子にされた。 当時の記憶なんて保育園の時だから、正直覚えていない。 ただ、多感な学生時代、髪の毛のクセがなければ、500倍生活が楽しかったのは確かだ。 今、やっと落ち着いた。 何度も繰り広げていた縮毛矯正論争とはお別れし、カラーをすることや、カットのみで髪型を選べる毛質にまでもってこれた。 さあ、どんな髪型を繰り広げよう。
わたしの1番最初の夢は、パン屋さんだった。 保育園の卒園の時に、先生にきかれる将来の夢の話題。みんながヒーロー、お花屋さん、ケーキ屋さん、と書いている中で、私はなんとなくパン屋さんとかいた。 私は行動力には自信がある。 周りの友達がひとつ目の就職先でキャリアを積み上げている中、20代前半でやってみたいことを片っ端から首を突っ込んでいるからだ。 20代前半の真ん中で、そろそろ落ち着きたい、という思いが湧いてきたけれど、なにができてないだろう?と考えた時に、不意にパン屋さん
私は、ラベンダーがなんとなく好きだ。 ラベンダーは色々な種類はあれど、だいたい淡い紫色を連想する人が多いだろう。 わたしが小さいころ、おばあちゃんの家に行くと、北海道旅行に行ってきたんだ、とラベンダー畑の写真をわたしに見せてくれた。 へえ、と晴れた空とあざやかな紫色を見て思った。おばあちゃんは気に入ったのか、次の週には庭にラベンダーを植えていた。 そのイメージが強かった。 私の地元の小さな商業施設(とてもとてもお気に入りなのでこの話も後々させて欲しい)に、それはあっ
「読書感想文があるなら、なんでも感想文にしちゃえばいいじゃない」 みたいな、マリーアントワネットの名言みたいなノリでこの連載を始めてみようと思う。 「感想」と検索すれば、 ある物事に対して心に生じた、まとまりのある感じや考え。所感。 と、Google先生は教えてくれる。 その通りだ、とわたしも思う。 しかし、現代においての感想と言うと、悪いイメージの方が強くはないだろうか。 お店に行ったらクレーム、SNSでは誹謗中傷、人と接する上ではお節介やありがた迷惑、などなど
夜中の信号はいつもより光る そりゃあそう、周りが暗いんだから 自立をしたいとか、大人になりたいなんていう言葉は幾度となく言っていて、それに伴う責任なんて私には持てなかった。 だから、どれだけ歳をとっても責任逃れな不誠実人間が出来上がってしまう。 自分が嫌いと言っていても、責任を持とうという気がないから説得力がない。 今までは守るものがなかったから、不誠実な仕事も不誠実なこともできた。 その中で1番最初に守りたいと思ったものが自分なので、不誠実な仕事をやめた。 不誠実な仕事
つかれたな