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「手編みのマフラー」 はっち

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Photo by Les Triconautes on Unsplash

私が初めてマフラーを編んだのは、高校生の時だった。初恋の男の子にプレゼントしたくて…なんて甘酸っぱい思い出なんかではなく、洋服やら服飾小物やらがいろいろ欲しいけれどお金がないから、自分で作ったら安上がりではないかという動機だった。周りに教えてくれる人なんていなかったから、編み物の本を買い、編み針と毛糸を選んで見よう見まねで編み始めた。編み物のイメージといえば、おばあちゃんが暖炉の前で、ロッキングチェアに揺られながらのんびりと、しかしさささっとセーターを編み上げる…というものしかなかったので、マフラーくらいすぐに編めるだろうとタカをくくっていた。

ところが。まず力加減がわからないから、ほんの数列編んだだけで疲れてしまう。編み目の大きさもバラバラ。本を見ながらなので、遅々として進まない。おまけに毛糸も意外と高価で、安上がりにオシャレしたいという当初の目的からも外れてしまい、泣きそうになった。「こんなに大変なら、買えばよかった…」と何度後悔したことか。

それでも「ここまできたら完成させるしかない」という、意地なのかもったいない精神なのかはわからないけれど、体のそこから湧き出てくる何かによって、完成までこぎつけた。その時の達成感は忘れられない。やっとできたという嬉しさと、ゴールまでたどり着けたという安堵とが入り混じり、初めて首に巻きつけた時は思わずニヤニヤしてしまった。

今ではファッションが低価格化し、収入もあるから、わざわざ手編みで何かを作ろうという気にはなれない。でも、時々無性に「編む」という時間を過ごしたくなる。無心になりながらも充実感が得られるという、ちょっと矛盾した、他に変えられない貴重な時間なのだ。

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