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「路線バス」 けっち

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Photo by Jerry Zhang on Unsplash

たとえば「リムジンに乗って東京デートした」なんて話をもしもあなたの友達がTwitterなりInstagramに書いていたらどうですか? 「リムジンのデート? けっ」と反感をもつ人もいるでしょうが(僕もそれにちかいですが)、たいていの人はまず羨ましいと思うのではないでしょうか。8人も乗れるようなリムジンの広い車内にデーンと座って、運転は運転手にまかせて恋人とシャンパンで乾杯する。こんなの大富豪じゃないと無理じゃないか、と普通は思いますよね。

ところが、調べてみたらリムジンはレンタルが可能でした。運転手付き、ガソリン代込みでも車種のグレードはあったとしても1時間だったら税込25000円。4人で借りたとしたら1人6500円以下。ちょっと高いレストランをやめてコンビニで酒を買って、リムジンに乗り込んで東京1時間回遊しながらビールで乾杯!したあとに安居酒屋、ラーメン屋のはしごをしたとしても、なんと1万円くらいで収まるわけです。

世の中の「絶対自分には無理な贅沢」も、たしかに「リムジンが当たり前な生活」は無理かもしれないけど、とりあえず体験してみよう、とトライしてみれば、体験くらいならだいたいどんなことでも可能なのかもしれません。たった1時間のリムジン体験であったとしても、それを経験したあなたは「俺はリムジンに乗ったことがある」という自覚とともに一生をすごすわけですから「リムジンのデート? けっ」と言うだけで終わる人生より、豊かな気がします。

さて。そんな本物のリムジンに乗る方法を書いたわけですけれども、そのリムジンというのは「路線バス」じゃだめだろうか。路線バスデートじゃ、だめだろうか?

というのも、僕らの頭のなかには「ブランド志向」が根づいています。わかりやすい例は学歴です。「東京大学は最高の大学で、地方にある○○大学はたいしたことがない」学歴信仰が崩壊しつつある現代であっても、やはり大学名はものすごいブランド価値がありますね。

でもご自身の大学時代をふりかえってみてください。僕は地方の国立大学でした。東京大学よりものすごく下です。でも地方の私立大学よりは名声は上です。じゃあ僕は東京大学出身の学生より人間的に「下」で、地方の私立大学より「上」なのかというとまったくそんなことは関係がなかった。もっというと、どんな大学であろうとその場所で頑張っている人は、時間がたったらどこかでその頑張った成果がでています。上や下というのは、結局のところ箱じゃなくその人の頑張り次第。

ではバスとリムジンはどうか?

子どものころを思い出してみてください。リムジンと言われてもそれが何かもわかりませんでした。バスといわれたらすぐにわかった。バスはかっこよかったからです。なぜなら、バスは町を走っている車のなかで一番大きく、一番長く、たくさんの人をのせていって、車掌の低い声でさえかっこよく響いたものでした。

リムジンのほうが断然洗練されていて乗り心地がいいのはたしかですけれども、バスの中からみる道路の眺めもいいです。バスは大きいからちょうど見おろせるからです。

私たちはどこかでリムジンとバスに「お金」のものさしを加えてしまいます。リムジン=金持ち 路線バス=庶民 という固定観念を自分の頭のネジでしめこんでしまう。だからリムジンときけば飛びあがり、バスといえばがっかりしてしまう。でも、大きさでいえばバス。迫力でいってもバス。そもそもリムジンのように「ひとりじめ」しなくても、みんなで乗っていてもカッコいいものはカッコいいはず。

……というのは、ここまで書いていて我ながら極論だなと思います。冷静に「バスとリムジンどっちにのりたい?」と言われたらそりゃあリムジンにきまっています。それでもこのような極端な例をもちだしたのは、僕は子どものころ、「将来はバスの運転手になりたい」と言っていた自分を覚えているからです。あのとき感じたバスへの憧れ、それは歳とともに摩滅していって、今じゃバスに憧れはないです。ないけれども、あの頃の自分の物の見方には、本質がみえていたんじゃないかとも思えてなりません。余計な欲望にふりまわされず、人や社会をある種の価値観で判断することなく、ただバスが走っているのが本当にカッコいいと思えたーーそういうことは大事じゃないかな、と思うことがあります。今日もありがとうございます。


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