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「お弁当」 けっち

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Photo by qi bin on Unsplash

弁当って不思議だなあ……と僕はよく思うことがあるんです。たとえば弁当箱があるとすると、その3分の1はご飯が入る。ひょっとしたら男子の多くはご飯が3分の2かもしれません。残りのスペースにたとえば卵焼き、ウインナー、からあげ、ブロッコリ……パッと思いついたおかずですが、それらがせいぜい2つずつ。なぜかというと、一般的な弁当箱はそんなに大きくないから入らないのです。

おかずは正直、そんなにたいした量でもないし、おかず一品一品にしても決して高級な食材でもない。なのに、それがひとつの箱に詰められて「お弁当」となったとき、食べるときにものすごくテンションがあがる。菓子パンとカップラーメンの組み合わせのほうが、ガッツリ食べられてそれなりにおいしいし安いのに、手作りの弁当のもつ「お弁当」の圧倒的なパワーには敵いません。

もちろん、いわゆるコンビニ弁当にも「お弁当」の魔力は適用されていると思います。たとえばコンビニの「とんかつ弁当」なんかどうでしょうか。カツは薄っぺらだったり、とっくに冷めていたり、キャベツは萎びていることもある。つけあわせのポテトサラダは家で自分でつくったポテサラのほうがはるかにおいしい。だけども。それでも「とんかつ弁当」として弁当のフタをあけてみると、なんだかおいしく感じる。手作りよりはるかに劣ってしまうけれども、それでも弁当としてフタをあけて食べてみるとき、いろんなものがおいしくなっている。

僕は結構、毎日妻に弁当をつくっています。僕のつくる弁当、正直いって、そんなにおいしいものではありません。ご飯も4合で炊いたのを小分けして冷凍したのをレンジで解凍しているし、揚げ物の多くも冷凍品を解凍した2度揚げが多いです。おかずもそんなにつくれないし、こうして文字にしてみると、「もっとがんばれよ俺」と言いたくなるような、そんな弁当です。

だけども、妻は毎日おいしいとLINEで書いてくれます。本当においしいのか? と自問すると、やはり弁当の「お弁当」パワーでやっぱりそれなりにはおいしくなってるのかもしれません。でも、弁当の魔力には食べる側だけではなく、つくる側にも「おいしいと言われるとめちゃくちゃうれしくなる」という魔法が働いているにちがいありません。

たとえば手抜きの夕食をつくったとします。そうだな、インスタントラーメンだけ、ということにします。それを食べた妻が「おいしい!」と言ったとする。多分、僕はあんまり喜ばないと思います。なぜなら「インスタントラーメンって鍋にラーメンいれただけだからな」とわかってるからです。もしおいしかったとしたなら、それは僕の調理はまったく関係がなく、そのインスタントラーメンがおいしいってことだからです。

だけど、弁当になるとこれが全然ちがいます。さきほど書いたように、僕は弁当をつくるのに一生懸命になっているわけではなかった。冷凍品や作り置きしたものをフル活用して詰めただけだった。でも、それを「おいしかった」と言われると、そのときすごく嬉しくなります。不思議なものですね。弁当は食べる側になっても、つくる側になっても、なにかしら相手や自分の心に響くおいしさがあります。それがなぜなのか、日本人のDNAにすり込まれている先祖代々の「弁当をたべて笑顔になった時間の総量」が関係しているのか。いったいなぜかはわかりませんが、弁当っていいな、って思ってます。今日もありがとうございます。


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