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「雨」 けっち

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Photo by Matthew Henry on Unsplash

ずいぶん昔、誰だったか雨と町の関係について書いた作家がいます。それは……うろおぼえなのですが「その町に文化というものがあるとすれば、雨の日に散歩をしてみればわかる」。正確な引用をGoogleで探せばいいかもしれませんが、やめておきます。というのも、僕はうろ覚えのこの一文が好きだからです。だからこうしましょう、これは「ある作家」ではなく「けっちが言った一文」だと……。

冗談はさておき。

どの町も、その町が町であるならばだいたい晴れた日の散歩は楽しいものです。ハレ舞台という言葉どおり、ハレた日は、太陽の光を浴びて歩いているだけで、だいたいワクワクする。でも雨の日はそうはいかない。雨が降っているだけで、空気は重たくなって、道を歩くの鬱陶しさがつきまといます。なにより傘をささないといけません。

でも僕が「その町に文化というものがあるとすれば、雨の日に散歩をしてみれば……」の一文を読んだとき、僕はちょうど金沢という町に住んでいました。文化都市・金沢。そんな枕詞がつけられる金沢ですが、僕はただ金沢に住んでいただけで文化都市だなんて感じる日常を過ごしていませんでした。能楽や加賀友禅、兼六園という庭で有名な金沢ではありますが、僕にとって能楽も加賀友禅にも接点がなかったし、兼六園は年に1回行くかどうかでした(頻繁にいくようになるのは後のことです)。

でも、雨の日の金沢散歩は本当にたのしかった。何がたのしかったか、具体的に言いあらわすことは難しいのですが、大阪や神戸に住んでいた子供のころの雨は、ただひたすら冷たく、暗く、歩くことを義務に感じさせるものでしかなかったのにたいして、金沢の雨は僕を旅情にかりたてました。それは道が狭く、建物も戦争でやけなかったこともあって古い日本家屋が多かったこともあるかもしれません。その古い日本家屋にふりそそぐ雨の音に味わいを感じることができました。

なにより、町がずっと町であったことを意識したのです。僕が住んでいた神戸の住宅地はなかなか立派な現代コンクリート建築のマンションだったり、舗装されたきれいな道路だったのですが、それはそこに時代がながれていなかった。だから雨が降ったとき、現代建築はただ雨にさらされているだけで、雨は邪魔でしかなかったのです。

金沢で降ってきた雨は、町のあちこちの古さや、昔の匂いを僕にとどけてくれました。町の中に川が流れていたことも、用水が整備されていることも「昔の匂い」と具体的に関係があったのかもしれませんが、雨が降った曇り空の下で歩いていると心がラクになったものです。

金沢で知った「雨と町の関係」はそれ以降、僕にとって町の文化をはかる自分ものさしになっています。どこかに旅行にいったとき、雨が降ってきたらちょっとこの言葉を思い出してみてください。「ああ、雨だけど、なんだかいいな、この雨は」と直感でかんじた町はきっと文化的な町かもしれませんよ。東京のビル街で降られた雨はどこか痛かったですが、おなじ東京でも浅草で降ってきた雨はなかなかいいものでした。今日もありがとうございます。

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