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『日本国憲法に於ける法の基の平等とは』

先日交通事故死された某俳優の奥様が
警察の初動捜査に疑問を抱かれ
その発言が物議を醸している。

一方で生前某俳優が起こした
複数の轢き逃げ事件に対する
批判的声も少なくない。

事の詳細は何れも明らかにされていない。
双方共に社会的立場の有る人間である。

恐らく事は表沙汰にはされず
裏で取引されそれを知るべき権利の
国民の目に事件の真相が触れる事は無い。

勿論轢き逃げの事実は断罪されるべき事。

歩行者が違法横断していたならば
別だがそれでも注意を怠るべきではない。

もしも其処に警察関係者の
何らかの隠蔽工作の事実があるならば
明るみに出すべきである。

警察も人間である、人間である限り
常正しい行動を取り続ける事は困難である。

其は正しさの解釈が
人により異なるからである。

法的解釈にも様々な解釈が
存在するのは正義の解釈が
一通りではない事を示している。

人の数だけ正義は存在し、
その数だけの解釈があって然るべき。

されど一つその中にあって
真理と言える物があるならば
冒した罪は償われなければ
ならないと言う事だけ。

其は社会的地位や権力や
経済力等汎ゆる物とは
本来違う場所に置くべき物。

だが更に話を難しくするのは
国の主義の違いが
法的解釈の違いを生んでいる事。

或る事例を出して説明しよう。

某政治家の親族と
某ムード歌謡の女王の親族が
同じ時期同じ罪で起訴され捕縛された。

その後ムード歌謡の女王は
不慮の事故で亡くなり
親族は服役中で
親の死に目には会えなかった。

やむをえずと言えば
やむをえずかもしれぬ。

だが此処で問題視
すべきは一方の存在。

政治家の親族はその後
保釈され自由の身に。

その理由は『社会的必要度』との事。

ではこの『社会的必要度』とは
何を示しているのか?

この『社会的必要度』とは
受刑者本人ではなく親族の事である。

何故なら被告人は双方無職且つ
社会的地位は同じ。

一方の親族は政治家。
一方の親族は一歌手。

勿論社会的必要度は前者が上。

つまり身内に政治家がいた事が保釈理由。

では法の基の平等とは何を示すのか?
法の基の平等とは資本力に依る。

平等とは『同じ』と言う意味ではない。
平等とは『格差が少ない』と言う意味。

勿論これは資本主義的解釈である。
資本主義に於いて主眼に置くは資本。

政治家と一歌手では資本力に違いがある。

法曹人も税金で飯を食ってる方々である。
ならば納税順に法の基の平等が行われるのは至極当然。

本来『保釈制度』があるのもその為。
平たく言えば金持ちは罪を犯しても
釈放されるが貧乏人は釈放されず服役。

資本主義社会に於ける平等とはそのような物。

ならばどうすれば『真の平等』となるか?
それはもう『法改正』しかない。

一首相が『景気回復』を錦の御旗として
『憲法改正』による『軍事利益』を
得ようとする世の中である。

『憲法改正』すれば日本も戦争に
『参戦』出来る。

そうなれば莫大な『軍需利益』が期待できる。 それが『国益』となり『景気回復』に繋がる。

朋友である『米国』と同じ事を今、
日本はやろうとしている。

だがその為に嘗ての戦時中と
同じように多くの罪なき命が
散っていく事を忘れるべきではない。

景気回復の為に老若男女の命が
数多く奪われる、この事を貴方は
容認できますか?

誰かの犠牲の元に
利益を得たいですか?

誰かの命を犠牲に
豊かに成りたいですか?

今一度私はこの事を
日本国民に問いたい。

そして政府に問いたい。

命の重さは地球より重い。
嘗て誰もが学校で習った事。

そして日本は唯一の被爆国。
今の米国の繁栄は嘗ての軍需利益による物。

その犠牲に多くの日本人がなりました。
多くの日本人の命を奪った国にその日本が今、
倣おうとしている。

その事を日本国民は失念すべきではない。
私はそう考えます。

私はこれからも国と戦います。
血を流さない戦いを国と始めます。

民の為、家族の為、そして自分自身の為に。

サポート頂いた方の思いを私なりに形にし世界へ発信していきたいと考えています。人は思いによって生かされている事を世界へ発進する為の資金に使わせて頂きます。