
会社の朝礼を面倒くさいと思ってた私が、家族で毎日朝礼をしている理由
会社の朝礼をめんどくさいと思ってた
みなさんの会社には朝礼ありますか?僕も前職では朝礼がありました。毎朝、定時のちょっと前から始まります。会社の企業理念をみんなで唱和し、1分間スピーチがあり、申し送りを共有し、最後「今日も一日頑張りましょう」で締める。
(今はそう思ってないのですが)当時は宗教みたいで気持ち悪いなぁと思っていました。そもそも定時前に始めるのもイヤだった。1分間スピーチもめんどくさかったなぁ。
組織づくりをしている現在は、いろんな会社の朝礼の話を聞くことがあるのですが、オリジナルの社歌や体操があったり、純粋におもしろいなぁと感じています。
単なる言葉ではなく、身体も交わる儀式めいたものは、自分では気づかずに深く価値観に影響しています。実際、僕もまた「企業理念」を覚えているし、たまに「企業理念」に沿って事業を振り返ることもあります。
そもそもなぜ朝礼をやるのか
朝礼がイヤだった理由は、やる意味が理解できなかったことと、やらされ感があったからだと思います。そして朝礼をしてもしなくても一緒だと思っていました。
でも今、朝礼をしない働き方を3年くらいから続けていて、あらためて朝礼をしないことのデメリットがあることに気づきました。それは何かというと「期待値がズレる」ということです。
これは家庭内の出来事ですが、よく僕が仕事に集中したいときに限って、妻から用事を頼まれることがあり、そのたびフラストレーションを感じていました。
この出来事は妻は一切悪くなくて、僕が妻にこの時間は集中して仕事したいと事前に伝えていなかったことが原因です。僕が仕事に集中したいから、きっと妻はそっとしてくれるだろうと勝手な期待をしてしまっていました。
そのときに気づいたのは、もしかすると朝礼は、相手のスケジュールやコンディションを効率的に見える化する仕組みではないのかと思いました。
早速、家族で朝礼をやり始める
気づいたら、まず実験です。家族で朝礼をやり始めることにしました。毎朝、テーブルに座って向かい合い、今日のスケジュールを紙にメモしていきます。相手に依頼したいことがあれば、朝に確認します。
↑これは実際使ってるメモ帳(TENTさんのA6のHINGEはオススメ)
朝礼ではこういう会話をしています。
僕「今日は都内に行かずに家で仕事しているけど、タスクがたまっているので集中して作業したい。」
妻「そうなのね。私はママ友と遊びにいくから、家にいないので集中できると思うよ。保育園のお迎えはいける?」
僕「お迎えは調整したらいけるかな。もしいけないときはまた相談させて。」
妻「わかった、ありがとう」
僕「こちらこそ、ありがとう」
これが朝礼がないと、どうなるのか。
(お迎えの時間になって)
妻「お迎えにいってきてくれる?」
僕「ごめん、仕事したいからできない」
妻「えっ家にいるからいけると思ってた」
僕「いや、家にいても無理なときあるし」
妻「・・・」
お互い期待がずれていて、少しイライラしてしまう。些細な火種から喧嘩になるケースも実際、ありました。
朝礼をしてから、夫婦喧嘩が激減した。
人間には、言わなくてもわかるテレパシー機能は備わっていません。そのかわり、言葉を使ってるコミュニケーションができます。朝礼はたったの5分。いや、実際は5分もかかっていないと思いますが、その5分のおかげで夫婦喧嘩は激減しました。
人間関係のトラブルのほとんどは、期待値のズレから起こるものではないでしょうか。なぜ期待がズレるのかというと、言語化していないから。言ってもないのにやってくれるはずだという思い込み。思ってるだけわかってくれないと悩む。そんなことで人間関係が悪くなってしまう。それっておかしなことですよね。
何か相手にして欲しかったら、相手に向かって言語で伝える。依頼された相手は、どうやったらできるかを考えて伝える。できないとき、やりたくないときは理由を説明する。相手から断られても仕方ない。相手に選択肢のあるお願いが依頼であり、相手に選択肢のないお願いはそれは「命令」でしかありません。断れない命令は、奴隷関係にあるってことです。
僕は「命令」はしないと心に決めています。それは、たとえ子どもであっても、報酬を支払っているメンバーであっても一緒です。当たり前なようだけど、他者だということを前提にしたタイワが必要だと思います。
朝礼、最高。今日も一日頑張りましょう。