noctchillとGARNET CROW―ある幻

※これはいつまでも古い記憶を更新できない夢遊病者の戯言です。

はじめに

 GARNET CROWというバンドがあった。そしてその歩みは7年前に終わった。活動期間はおよそ13年間。世に送り出した楽曲は160曲余りであった。

 今年2020年は、彼らがメジャーデビューを果たしてから20年目のアニバーサリーイヤーである。といっても、既に解散後相当の歳月が経過しており、折しも世界は疫禍の最中。彼らに関する筆者の記憶は漂白の一途をたどっていたから、20周年の記念企画が動いていることなどつい最近まで気づくこともなかった。

 GARNET CROWは、2000年3月29日に1stシングルを発表した、男女混合の4人組バンドである。

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GARNET CROW『Mysterious Eyes』CDジャケット(2000年)

 ところで、彼らの記念日にやや先立つ2020年3月22日、「アイドルマスター シャイニーカラーズ 生配信 2nd Anniversary前夜祭!新情報大公開SP!」では、プロデュース対象となる新たなアイドルユニット「noctchill」の追加が発表された。

 紹介文の二言目には「透明感あふれるアイドルユニット」と謳われながら、キャッチコピーでは「さよなら、透明だった僕たち」と常人の感覚を突き放す。そんな型破りの「幼なじみ」4人組に、多くのシャニマスユーザーが刮目し、自粛生活下で蓄膿されたエネルギーを無限の妄想力に転換していったことは記憶に新しい。

 noctchillは、2020年3月22日にキーヴィジュアルが発表された、シャニマスの4人組アイドルユニットである。

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noctchill ユニットPV(Youtube)より

 さて、ことさらに意味深な書き方をしてみたものの、両者それぞれで符号してみえる部分はただの偶然であり、(たぶん)有意の関係は何も存在しない。冒頭に書き連ねたのは、単に筆者がこの2つの存在にことさらの愛着を感じているから、というだけのことである。

 しかし、ある人間がその感性でもって全身ずぶ濡れで没入できる対象というのは、何かしら、どこかで共通点を有していてもおかしくないものである(もちろん、共通点などなくたっておかしくはない。可笑しいのは筆者の頭だけで十分だ)。そのあるかないかもわからない共通点というやつが、このごろ夏の終わりとともに筆者の思考を蝕みはじめ、臼歯の裏側あたりから苦い汁を滴らせている。虫歯って移したら治りますか?(嫌、近づかないで)

 このノートに迷い込んできてしまった人の多くは、きっとシャニマスとnoctchillについておおよそ知っている(或いは筆者の比でないほどとてもよく知っている)けれど、GARNET CROWについてはほとんど知らないのではないかと思う。そういう人たちに対して、何事かを表明してみたい、GARNET CROWについても知ってもらいたい、というのがこのノートの目的である。

 それとは逆に、GARNET CROWについてはよく知っているけれど、シャニマスやnoctchillについては知らないよ、という人がいたら大変申し訳ないですが、今すぐシャニマスを始めてください。たぶんあなたは私よりGARNET CROWに詳しいので、他に言うことはありません。


GARNET CROWについて、筆者の頭のなかにあること。

※「御託はいいんだ!さっさとてめぇの妄想を晒せ!」という方は、楽曲紹介まで飛ばしてください

 GARNET CROWとはどんなバンド(だった)だろう。恐れ多くも筆者が一言で表現しようと試みるなら、例えば「カフェイン切れのひどく胡乱な午後」だとか、「窓際に置き捨てられた、そよ風が静かにページを捲る旧約聖書」、或いは「躁鬱」、「宛先のない予言」、「”マージナルマン”」、「”百年の孤独”」、「””世界はまわりゅと言うけれど””」……。

 彼らが歌っているように、”千以上の言葉を並べても言い尽くせない事”はある。だからといって、言葉を尽くすことは無意味でないし、無意味に等しい言葉の羅列が必ずしも完璧な無意味に帰結するとは限らない。少なくとも、彼ら自身がデビュー当初に標榜したというネオアコとかパンクとか、或いはロックだとかクラシックだとかという枠組みで語るよりよほど有益だろう。

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GARNET CROW『千以上の言葉を並べても…』2000年9月

 要するに、わからん。わからないなりに、時々何かにつけてワンフレーズ思い出して、こういうことだろうな、と思ったりするし、いやそんなこともないか、とも思ったりする。どの楽曲にも具体的なことはほとんど歌われていないし、何らかの答えが導き出されているわけでもない。そこにあるのはせいぜい、一般名詞と「君」と「僕」、あといくつかの品詞が組み合わさって提示される諦念の諸相、とでも言うほかない。かといって悟りきっている風もなく、折に触れてらんちき騒ぎをしたり、快楽に堕ちたり堕ちきれなかったりしている。

 禅問答はここらでやめて、紹介らしい紹介をしてみよう。まずは簡単に、活動時のメンバー紹介から。詳しく知りたい人は公式ページWikipediaアンサイクロペディアへ。

↑ GARNET CROWのあれこれについて、学術的に努めた研究の成果をYoutubeで公開されている有志の方もおられる。圧倒的感謝。

ボーカル・作曲__中村由利(なかむら ゆり)

 GARNET CROWの楽曲における歌唱全般と作曲を担当。ライブやインタビューの仕事では大抵顔役をしていた。あと後述の岡本が歌う際は踊りながらタンバリンを叩いてたりする。愛称は「ゆりっぺ」。デビュー期のCD音源はやたら低く細い中性的な声質で、何度も洗濯した粗いタオルケットの肌触りを思わせる歌声(個人の感想です)だったが、2000年代半ば以降声域・声量ともに安定してきた。どちらかといえば歌いぶりは平坦で、一つひとつの歌詞に重心を傾けているという印象は薄い。真面目に考えるとよく分からない歌詞や真に受けるとヘヴィーな歌詞が多いため、かえってメロディと歌詞とを聴かせるバランスがちょうどいいという説もある。それはそれとして母音の処理に癖が強い。2010年代、解散までの数年間で更に声に膨らみとバリエーションが増したが、筆者の耳にはそれ以前の方が馴染みが良かった。

ギター担当__岡本仁志(おかもと ひとし)

 GARNET CROWのギター担当。いじられ要員という向きもある。愛称は「(おか)もっち」など。根に持ちそうな顔をしている。2004年からGARNET CROWのライブで岡本が1曲歌うコーナーが設けられるようになり、2010年12月8日からSUPER LIGHT名義でソロ活動を始めた(オフィシャルサイトの更新は2012年2月で止まっている)。声の安定感や出し入れのテクニック、引き出しの多さはボーカルの中村より高レベル。自身のソロ楽曲では全ての楽器を自分で演奏して収録していた。しかしGARNET CROWの一員としては控えめな演奏に徹していることが多い。中村とバンドメンバー以上の関係にあった時期があるとかないとか言われている。

キーボード・リーダー__古井弘人(ふるい ひろひと)

 GARNET CROWのキーボード担当その1かつほぼ全楽曲の編曲を行う。バンドリーダー。その演奏技術から「ゴッドハンド」と呼ばれている。いつもサングラスをかけている。移動中にシンカンセンスゴクカタイアイスを密かに食べる。結成以前は草創期の所属レーベルGIZAstudioを吐血するほどの活躍で支えていたらしい。表舞台では声と発言権が小さい。ライブ演奏ではにこやかに荒ぶっており、キーボードを破壊することもある。たまにアコギも弾いていた。GARNET CROWのメンバーでは現在唯一Twitterを開設しており、メディア欄には自筆?のイラストが並んでいたりする。2019年からALPHAというバンドを結成するなど、現在も精力的に活動している。

キーボード・作詞__AZUKI七(あずき なな)

 GARNET CROWのキーボード担当その2かつ作詞を担当。たまにフルートも吹く。熱心なファンからは「七様」と呼ばれている。結成以前は関西ローカルで芸能関係をいろいろやっていたらしい。関西弁をしゃべる。だいたいいつも、不自由な自由を持て余したような目で涼しく笑っている。「世間」を(せかい; 「Rainy Soul」)と訓ませたり、「健康」を(しあわせ; 「holy ground」)、「既成概念」を(こだわり; 「夜更けの流星たち」)と当ててみせたりするルビ芸の使い手。基本的には不安定な恋愛関係を描いたと思しき歌詞が多く、不可避の喪失を匂わせる悲観的で抽象度の高い表現が特徴。本人いわく、中村の作曲した音からインスピレーションを受けて詞を紡ぐスタイル。

 以上の4人がGARNET CROWのメンバーである。長らくメディア露出少な目の方針を採ってきたため、それぞれのプロフィールはほとんど公開されていない。4人は「お見合い」形式で引き合わされたらしいが、バンド結成の契機も多くは謎に包まれている。

 楽曲制作に関しては、バンド内でおおよそすべてが完結する曲先方式の分業体制であることが知られている。中村が作曲したデモテープをもとに、古井が編曲、AZUKIが作詞をそれぞれ別々に行った。あえて制作段階ではバンド内で予め意思統一を図らないこともあったらしい。このような関わり方をしていたためか、メンバー間でも会話が噛み合っていない場面が少なからず確認される。但し、単にジョークセンスの相違という可能性もある。

 また、所属レーベルのGIZAstudioおよびその親会社であるビーイングは、宣伝戦略として所属アーティストの楽曲をアニメ主題歌に起用しているが、当然GARNET CROWも例外ではない。『名探偵コナン』(1996年-)ではメジャーデビュー曲の「Mysterious Eyes」(後述)以来、解散に至るまで定期的に新曲が用いられていた。一方『MÄR-メルヘヴン-』(2005年-2007年)では大半のOP・EDが、GARNET CROWの楽曲ないしGARNET CROWのメンバーにより作詞・編曲された楽曲で占められている(OPに至ってはすべてGARNET CROWの新曲)。筆者も含め、こうしたアニメを通じてGARNET CROWを知ったファンは多い。但し、明らかにアニメソングとして意識された曲は恐らく「君の思い描いた夢 集メル HEAVEN」くらいであり、それ以外のタイアップ曲は割と好き勝手やっている。誇り高いファンに向かって「GARNET CROW? ああ、あのアニソンバンドね」みたいなことを言うと、高確率で機嫌を悪くされる……かもしれないが、筆者の場合は周りにGARNET CROWを知ってる人がほとんどいなかったので、名前を知っている人がいただけで嬉しくなっちゃうと思う。


GARNET CROWの楽曲紹介(noctchillみを感じるチョイス)

 それでは、GARNET CROWの楽曲を紹介していこう。noctchillについての説明は(言語化できる自信がないので)割愛してしまうが、個々の曲に触れるなかで所感を云々できればと思う。

 なお、GARNET CROWの楽曲はサブスク配信等されていないため、聴こうと思ったらCDを購入するか違法アップロードされている音源を探すしかない。後者を推奨することはできないが、わざわざゼロからシングルを買い揃えてもらおうというのも正気の沙汰ではないので、まあ、うーん。とりあえず、ライセンス所持者に収益化されているYoutube音源があれば貼っておきます。あと、各タイトルに歌詞へのリンクを貼ってあります。

noctchill全体編

 まずは、noctchillというアイドルユニット、というよりも浅倉・樋口・福丸・市川という4人の幼なじみたちを連想してしまう楽曲をいくつか。とはいえイメージソングと言えるほどソリッドな接点があるかというと大いに怪しい。一般性があるかはともかく、筆者の脳内では個人的視聴経験から強めの幻覚を生成してしまう曲、という程度で理解していただきたい。

Mysterious Eyes (『Mysterious Eyes』2000年3月)

 ——……読者は『ミステリアス』って言葉、どんなイメージだ?

 「Mysterious Eyes」はGARNET CROWの記念すべきメジャーデビュー1作目にして、筆者の脳内ヘビロテ率No.1の曲。名探偵コナンの主題歌で流れたのが初出(1999年11月~)。もしかしたら、コナン君と毛利のおっちゃんが並んで歯磨きをしているOPを覚えている人もいるかもしれない。

 「君と僕とは別の人間(いきもの)だから」という歌い出しはシャニマス全体を通して(特にイルミネとnoctchillで)読み取ることのできるメッセージとリンクする。続く「好みが違う 歩く速さも 想いの伝え方も」というフレーズはむしろイルミネの初期コミュを想起させるが、曲調は未来への希望あふれる輝きというよりも、寄せては返す波間のきらめきや、遠い潮騒が思い起こさせる懐かしい幻想、といった趣き。どれだけ身近な相手といっても、”目は口ほどに……”といっても、その瞳が今まで何を映してきたかは知り得ない。これからもお互い違う道で、違うものを映して生きていく。それでもすれ違いながら求め合うし、それぞれの道でも迷わないように「その腕を 離さないで」、「抱きしめて」欲しい、それを感じていたい……という歌。たぶん。

 数年後、それぞれの進路に進んだ4人が学園祭とかでバンドを組んで歌ってたら凄くいいな……と思う。「思うより強く生きて 特別な 愛 求めてる 強かな日々に悩んだり」「海の見える街へゆこうよ 君だけにみえたあの日を 誘い出して連れてきて」など、色々とフラッシュバックさせてくる歌詞もポイント。

マージナルマン (『THE TWILIGHT VALLEY』2006年10月)

 女の子やぞ。マージナルマンとは心理学者レヴィンの提唱した概念で、一般に「互いに異質な二つの社会・文化集団の境界に位置し、その両方の影響を受けながら、いずれにも完全に帰属できない人間のこと。社会的には被差別者、思想においては創造的人間となりうる。境界人。周辺人。」(大辞林 第三版)を意味する。曲の説明も筆者のイメージの共有もこれだけで十分な気はするが、蛇足をいくつか。

 あっけらかんとした曲調に、キックボードでまっすぐ丘を征くような中村のボーカルがよくマッチしている。闊歩する“マージナルマン”と、彼/彼女が後にする“この町”とを交互に淡々と語る構成。「新しい風が吹くのを畏れた 心には愛があり 守ろうとしたやくそくが少し多すぎただけなんだ」というように、むしろ”この町”への同情すら窺えるのは阿部真央の「マージナルマン」と対象的。歌詞の端々に垣間見える存在の対立とその深刻さは、涼しげな風に乗って背後に遠ざかり、それでも消滅することはない。「変わらない町のWoman 風に乗り飛んできた みた事もない花の種 咲かせた」というオチから、「あの花のように」にも示されている、未だ名前の知り得ない、それゆえ価値のある美しさを感じたりもする。

 ついでに、このnoteの主旨とは外れるが、「空色の猫」(『Best Selection 2000 to 2005』2005年10月)も併せて紹介しておきたい。この曲で”空色の猫”が”まちを出る”という構図は「マージナルマン」と似ているが、その理由は「君を傷つけた その毛色(いろ)にね 背中を押されていく」とあって、生来的・根源的なもどかしさを聴き手に伝えようとする、より主観的な語り口が展開される。

Naked Story (『SPARKLE~筋書き通りのスカイブルー~』2002年4月)

 アニメ『パタパタ飛行船の冒険』(2002年1月-6月)のOPとしても知られる。タイアップのためかGARNET CROWの楽曲には珍しく(?)、ロマンやワクワク感を与えてくれる一曲。しかし、手放しでファンタジーの世界観に浸った内容かといえばそうでもない。

 「無防備でも飛び出したい」と歌い出して、すぐに「舞い上がれ!浮き立ってゆけ!現実(イマ)をゆけ」と一気呵成に奮い立たせたかと思えば、「走り抜けていければいい」「遠出してみたい」と行動にまでは至らない思いが続き、結局「目を開けたままで 見れるだけの明日を 夢見てゆくよ」とだけ告げて終わる。語り手の主観はどこまでも醒めているけれど、それでもどうしようもなく溢れ出る願望や期待があり、それらが常夜灯の淡い光に照らされている、といった感じ。冒険の始まりは予期させるが、そこまでキラキラしていない。言ってしまえば物語の導入として煮え切らない。「We're born in this way.」、そんな風に生まれてきたんだから、という表明に、「生きてることは……物語じゃ……ないから…………」みを感じる。”Naked”という形容に、様々な想いが込められているのだろう。そんな諦観すら読み取れる歌詞と歌声に、ワクワク感とは一見相反するような安らぎがある。よく晴れた午後、無為に窓の外を眺めたままどれだけでも聞き流せてしまう不思議な曲。

 自らのあり方を自覚的にも無自覚的にも受け入れて開き直っているようなところとか、積極と消極とがないまぜに折り重なっているところとか、気を抜いてると心にスッと差し込んでくる清涼感とか、とてもあの4人に似合うなと思いました。マル。まあ、noctchillは「待っていた毎日に さよならを告げ」て「夢も憧れも迎えに」いくらしいんだけどね。

浅倉透編

 ここからは、noctchillのメンバーである4人の幼なじみ一人ひとりに焦点を当ててGARNET CROWの楽曲をセレクトしてみたい。例に違わず、イメソンだとかカバーして欲しいだとか、そういう質量のあるつながりを望むべくもないことは改めて断っておこう。以下で述べられるのは、筆者の脳内で”ある幻”を現出させるシステムと、それを駆動させている何かの輪郭だけであるから。

Secret Path (『百年の孤独』2008年10月)

 端的に言ってしまうと、歌い終わりの「今見えるすべてを感じてたい」を改めて聴いたときに「あっ、あっ、【10個、光】浅倉透TRUE ENDだ!!!!」となって以来、そういう文脈でしか聴けなくなってしまった曲。どうしてくれようか。

 件の「今見えるすべてを感じてたい」だけでなく、歌い出しの「ね、昨日の木々の色ちゃんと覚えてる? 今日とは違う雨の色」というフレーズからも読み取れるように、歌詞のテーマの一つとして、世界の見え方、感じ方がある、と思う。そのうえで「秘密の隠れ家はもう 僕らには小さくなって身を隠せない」「太陽に輝いたガラスを 大切に集めてたけど 今はなくて」というシンボリックな事実を述べて「僕ら」の間に流れた不可逆の時間を示し、歌い出しに続く「君と過ごしてく日々 どんな風に 記憶に残されるのかな」という未来への想像力に、しなやかな物語性を与えている。にぎやかで開放感のあるアレンジに伸びやかなボーカルが合わさり、GARNET CROWの楽曲中でもひときわ輝度の高い作品と言えるかもしれない。

 「ちゃんと覚えてる?」という問いかけが浅倉のWING共通コミュを想起させる。逆に「今日とは違う雨の色」すら弁別してみせて欲しい、という歌詞に、筆者自身が浅倉のこれからに思いを馳せるときの、枠組みの一端が投影されてしまう。そして同時に、「ねぇ あの日より速く駆け抜けた道は 辿り着けない場所がある」と力強く歌い上げられる、一抹の残酷な事実が想像の足を重くする。字面の鮮やかさが増すことで、失われてしまう感覚があるのではないか、認識の境界が曖昧で、言葉足らずの今までの浅倉だからこそ、見えるものや見せられるものがあったのではないか……。そんな不安もすべて胸に抱きながら、これから繰り広げられる物語を記憶していくしかないのだ。

永遠を駆け抜ける一瞬の僕ら (『Crystallize~君という光~』2003年11月)

 そろそろ説明が面倒になってきて「いいからいっぺん聴け! 歌詞を読め! それで十分だ!」と言いたくなってきたけれども、まだまだ序盤。とはいえ「永遠を駆け抜ける一瞬の僕ら」は「どこが浅倉っぽいの?」と聞かれても「わからないわ」としか答えようのない、それでも我慢できずにピックアップしてしまった曲。要するに説明が面倒。文体が崩壊し始めるのも致し方ない。

 仮に浅倉透のエッセンスを豊富に含んだ海藻みたいなものがあったとして、それを鍋でじっくりコトコト煮込んで染み出たエキスを隠し味に、コンソメを効かせた小ぎれいなスープスパゲッティを作ればこんな感じ、という曲。つるつると喉ごしが良く、やわらかな深味(ふかあじ)があってとてもうまい(つまり???)。強いて言えば、曲名でありサビの歌い出しでもある「永遠(とわ)を駆け抜ける一瞬の僕ら」から、WING共通コミュの「人生」とその後の流れを思い出すとか、「なんとなく気づいた目の前の愛しいモノ」のあたり、二次創作で見たことあるな……とか。あと「夕波の音」「爽快な深いブルー」「地上で流れゆくんだ」みたいな流体をイメージさせる縁語の波状攻撃に筆者は弱い。それから「ハジケて消えそうでそんなとこ 偉大(すき)」の当て字もめっちゃ「偉大」。もしかしたら筆者が浅倉に抱いている「すき」もこれなのでは……と思いつつある。知らんがな。

 この曲そのものを浅倉にカバーしてもらうには「少なくとも5年は早いな……」という気がするが、noctchillのシングル曲なりアルバムなりに「永遠を駆け抜ける一瞬の僕ら」という文字列が並んでいても全く違和感はなさそうだと思う。

ブルーの森で (『I’m Waiting 4 You』2004年12月)

 まず、浅倉透の精神内に、「あさくら」と「あさくら(?)」が同時に存在する状況Tを仮定し、その状況が始まる時点をT(0)する。また、「あさくら(?)」の「あさくら」との統合または消滅によってその状況が解消される時点をT(1)とする。このとき「あさくら」とはT(0)以前における浅倉透の精神内の単一の精神内主体(ここでは、”ある個人の精神・意思を構成する要素の集積構造を一つの「世界」とみなすとき、その個人の精神や意思のはたらき・発現の仕方に対して、「世界」の内部にある時点から恒常的に存在し、何らかの主体的効力を発揮する存在”のことを「精神内主体」と呼ぶ)と無自覚的ながら連続性・同一性を有する精神内主体である。一方「あさくら(?)」は外発的事由によってT(0)に浅倉透の精神世界内部で生起したサムシングである。それはT(0)以前の浅倉透の精神と恐らく連続性を有するが、未知の要素を含み、同一性を未だ獲得していない精神内主体である。T(0)からT(1)に至るまでの「あさくら」と「あさくら(?)」との関係性のイメソンが「ブルーの森で」である(つまり???)。

 「何もない 名前もない 互いの名前つけよう」「はじめての会話 言葉の意味など 知らないで過ごしてきた 今まで」「君が今まで見てきたってものを 僕に話して聞かせてよ」と、「僕」が「君」と出会うことで、言葉により「世界」を言い表すこと、「君」の言葉で「世界」を知るということを欲するようになる物語が綴られる。そして、サビの後には間髪入れず「次の季節がくれば君はゆくんだ」と明確に別れを意識し、「僕」も自分の足なり羽なりで世界の果てまで見にいけたら……と「今度ばかりは考えてみた」。そして「君」が行ってしまうまでの時間だけ、「僕」と「君」とは「どこまでも続くブルーの森」とその外の「世界」との間に、「確かな二人の世界」を現出させる。そんな束の間で偶然の仕合せに、「哀しい」と名付けた感情が溢れ、「まるで今日生まれたみたいな気分」を実感し、「世界の果てに思いめぐる」。「夢を渡す火が灯るよう」というのは、「ブルーの森」が千々に色づくことのメタファーかもしれない。

 要するに、「僕」が先に仮定した「あさくら」、「君」が「あさくら(?)」に対応すると思って聴くと、浅倉透が未知の世界に触れることで、世界の見方や感じ方、そしてその言い表し方を更新し、鮮明にしていく不可逆的変化の間に、人知れず繰り広げられる物語として聴けてしまう。困ったね。

 そんなことはさておき、「過ごしてきた 今日まで」の後に気の抜けた「イエーイ!」っていう合いの手が入るのを浅倉にやってほしい。私が言いたいことはそれだけです。


樋口円香編

 ようやく二人目、樋口とGARNET CROW。これは筆者の勝手な所感だが、GARNET CROWの楽曲には素の(「もぎたて♡にーちゅ」の方でない)樋口と取り合わせても違和感のない作品が多いように思う。全体的に上昇志向、前進志向の曲が少なく、シニカルで斜に構えた内容だったり、神経質で堂々巡りな内容だったりが多いためそのような印象になるのだろうか。今回は、その中でもとりわけ業の深そうな選曲になった。インパクトは大事だからね。というわけで、樋口の冷たい視線に耐えながらお送りします。

Anywhere (『THE TWILIGHT VALLEY』既出)

 はい出ました「Anywhere」。いや~やってしまいましたね、これはちょっと救いようがないですよ、いやほんとに……もぉ~~~~。

 GARNET CROWの音楽的要素を全部突っ込んだらこうなったと言われている曲。水彩絵具を全色混ぜれば真っ黒になるが、GARNET CROWの場合は†痛苦と問い†になった。短くシンプルながら、毎秒「どうしてそうなってしまったの?」と思わずにはいられない曲。

「愛したい? 愛さない? 愛せないの…」「歩きたい? 歩かない? 歩いてゆけない…」という1サビ怒涛の煩悶はAnywhere三段活用として有名だが(初耳)、2サビの「届かない? 届けたい? 触れてみたいの?」「何処かに? 何処かへ? 何かに?」という発展形と合わせて、「anywhere=どこにも……ない」という処置無しな感じを全力で歌い上げている。両サビの間に挿入されている「もっと強く突き刺して苦しめて欲しい 多くを望まぬように」が、この曲の歌詞中で唯一示されている欲求であるところも実にGARNET CROWらしい。

 この曲を樋口円香にあてがうのは、一部分を誇張し過ぎというか、二次創作的な方向に引きずられ過ぎと言われても言い返せない。元はと言えば、「何処かに? 何処かへ? 何かに?」という疑問形の連続にどうしても天塵の樋口を思い出さずにはいられなかった、「どこに行くの」という天塵での樋口の問いに、「Anywhere」を思い出さずにはいられなかった、というだけの話である。樋口に歌って欲しいとも思わない(というか本気で歌われたら怖くて逃げだしてしまいたくなる気がする(何処へ?))。ただ、例えば灰色の雨が降る街で、樋口が独り傘も差さず立ち尽くしているようなシーンに、この曲のピアノソロが流れていたら……はぁ~~~~~~~~

Float World (『僕らだけの未来』2004年1月)

 より強く樋口円香みを想起する曲。あるいは「Anywhere」を形ばかりマイルドにしたような曲。筆者はこの曲の1サビまでなら最早どこをとっても「樋口じゃん」となる病気に罹患している。

 「衝動に任して全部(すべて)終わりにしたくなる時ない? 愛に満ちた時間(とき)はいつまでも続きやしない」→言いそう。思ってそう。独白の脳内再生が余裕。「人は弱さ故に 誰かの為に生きてる そんなつもりになって そして欲しがる」→樋口がそう考えてなかったら嘘でしょ。「僕らはまだ 知らぬ場所へ行こうとしてる? 曖昧なイメージのくせに」→聞いてるか浅倉。「此処でいいじゃない」→うん……。「めぐり来る明日を迎え撃てば 満ち足りる…Float World」→いや、あとは気持ちだけなんだ……。はい。2番以降については、少なくとも現状の樋口からこういう発想は漏れてこない気がする歌詞なので、多くを語ることは控えたい。

 それにしても、【カラカラカラ】のフェス用イラスト、仮に「【Float World】樋口円香」ってタイトルだったとしても全然違和感無いと思いません? とにかく、天も地もない浮遊感や虚脱感に身を明け渡しているような観が、よく表現された曲であることは間違いないだろう。

かくれんぼ (『THE TWILIGHT VALLEY』既出)

 樋口みがあるというよりは、5~10年後くらいの樋口に歌って欲しい、演じて欲しいという選曲。衝動に任せて全部終わりにするやつを実行してしまったような曲。個人的には2007年仁和寺ライブの音源が最高。

 歌詞のストーリー(?)としては、神社の境内でかくれんぼをするのに、「最後まで見つからずにいれば 願い事はきっと叶うはずと ふざけただけなのに信じて」「息をころし」「祈りささげて」隠れ続けている人々を置き去りに、「鬼」である「私」は境内の鍵を閉じて帰ってしまう、というもの。酷い話や。「まだ祈るつもりですか? 私は帰るよ 鬼ですから」あたりは濃厚な樋口みに溢れているし(前言撤回)、「鳥居くぐる夕暮れ時は 爽快な気分で 微笑もこぼれてしまう」というシーンは、微笑みと言いつつ口裂け女レベルでニィとほくそ笑んで鳥居を後にしてほしい。もちろん和装で。筆者が監督だったらそうする。将来の樋口さんの演技力に期待ですね(は?)。

 といいつつ、これも本気で樋口に歌われたり演じられたりしたら、最後の「そのまま祈るがいい 私は鬼です 鬼ですから」で恐怖と緊張感のあまり失禁してしまうかもしれない……あっ、帰らないで、ちょっと待って……あっ、あっ……鍵が掛かってる…………

 

福丸小糸編

 はい。というわけで、福丸小糸さんを思い浮かべる曲に入りたい。しかしながら、正直なところ福丸にGARNET CROWの影を感じるということはあまりない。ここまで紹介してきた楽曲の音源を素直に探して聴いてくださった皆さんなら、なんとなく分かっていただけるのではないかと思う。以下の選曲は、どちらかといえば、福丸のありもしない将来を勝手にでっちあげたような内容になっているかもしれない。しかしそれを言語化することがこのnoteの目的であるから、今はそのそしりをも恐れず書き進めてみよう。

君の思い描いた夢 集メル HEAVEN (『君の思い描いた夢 集メル HEAVEN』2005年5月)

 アニメ「MÄR-メルヘブン-」の最初のOP(2005年4月~)に採用されていた曲。タイトルを見ても分かる通り、タイアップを強く意識した作品で、「Naked Story」と同様GARNET CROWの楽曲としては異彩を放つ存在。集メル HEAVENってなんやねん。

 歌詞にところどころ福丸小糸みを感じる部分はあるが、むしろ筆者の脳内では福丸にむけた応援ソングくらいの位置づけ。といっても、3つの背中を追いかけていたい、という福丸に対してのではなく、今後(それが本人にとって良いことかどうかは分からないけれど)一人のアイドル、一人の人間として道を進んでいかなければならない……ということになった場合の福丸に対しての、と言うべきか。とにかく「思い描いた夢」、「思い描いた場所」のある「君」に対して、「君が大人になってゆく その間中 傍にいたいけれど 一人きりで旅立つ君を 遠く 見守っているよ」という曲。

 サビに出てくる「青い花を 咲かす ノヴァーリスの扉」というのは、18世紀ドイツの詩人ノヴァーリスによる未完の小説『青い花』を意識したものだろう。その筋書は、夢の中で見た青い花に焦がれる詩人が各地を遍歴する、というもの(因みに、novalisはラテン語で「新開墾地」または「休閑地」の意)。小糸ちゃんにとっての「あの花」は何色なんだろう。ところで、やっぱり「きみ」の「隣で笑う」ためには追いかけているだけではだめな気がするんだけれど……これ以上は胸が苦しくなるからやめよう。noctchillのGRAD編が怖い。

この手を伸ばせば (『風とRAINBOW/この手を伸ばせば』(2007年2月)

 これもアニメ「MÄR-メルヘブン-」で、最終クールのEDとして用いられた曲。実際のEDは見たことがないけど、夕焼けの河川敷を歩く主人公のシルエットが思い浮かんでしまう曲。たぶん、主人公以外の登場人物が入れ代わり立ち代わり主人公と並んで歩いたり、走り過ぎる時に振り返って手を振ったり振り返らなかったりするやつ。

 サビの「この手を伸ばせば 君に届くけど 君はもう 明日を その瞳(め)にみてるんだね」が辛いくらいに福丸小糸だ……となったため選んだ。逆に、それ以外の部分に関しては、福丸に当てはめるのはいくらなんでも……とさえ思える(少年漫画的な方向で)切ない曲。そのうえで妄想を開陳するのもやぶさかではないが、あんまり深く語るのはやめておこう。「やがて来るあすを 汚してしまうから…」

やさしい雨 (『君を飾る花を咲かそう』2004年6月)

 これもやっぱりお別れソング。ぶっちゃけ現状の福丸小糸みは薄い。もし数年後、大学進学とかアイドル活動終了後の就職とかで地元を離れる福丸さんがいたら……なんて妄想の拠り所みたいな曲。「相思相愛ver」なるアレンジが存在するため、無印の方は相思相愛未満の人間関係を前提にしていることになりそうだが、それについては一旦措く。

 先に紹介した「Secret Path」では「ねぇ あの日より速く駆け抜けた道は 辿り着けない場所がある」という歌詞を引いたが、こちらの歌い出しは「全速力でもかけ抜けた あの路地は今とても狭く」。前者が「駆け抜けた道」の行き先を意識した表現なのが浅倉っぽいなと筆者は思ったわけだが、後者は路地の行き着く場所なんて気にしていない。かつて、ただひたすらに「君」を追いかけて走っていたことを思い出しているのかな、という気がする。そうしてその先には「君が 好きな場所」があった。一方「真っ直ぐに この道をゆくと」、「変わらない波の音が 迎えてくれる 心の中 羽が広がる そんな気持ち なれちゃう場所」がある。たぶんこの2つは違う場所で、だからこそ最後に「君の’好き’と僕の’好き’が出会うといいな」と願い、ひとりで「この街を あとに」する今は「どちらを選んでも」「切ない気持ち 残すよ」と呟く。 そんな今このときが「やさしい雨のよう」と歌って、ようやくタイトルを回収する。結局こいつもお別れソングじゃねえか。

 「この街を あとにします」とか「君の’好き’と僕の’好き’」とか相思相愛or Notとか、どれも福丸にかこつけるて語ろうとするのは業が深いな……と思いつつ、そういう場合の方便として「こういうドラマ、小糸ちゃんにこの役で出演して欲しいよね~」みたいなことは結構考えています。


市川雛菜編

 最後は市川雛菜さんをイメージしてしまう曲。難しいよね、雛菜ちゃんさん。もしかしたら「雛菜ちゃんは難しいよね」って言ってみたいだけで、本当はもっと単純なのかもしれないけれど。でも、単純だから簡単、ってことでもないよね。というわけで、以下は”難しく考えてそうで難しく考えてない少し難しく考えた選曲”です。

Doing all right (『Doing all right』2009年5月)

 この選曲に関しては割と自信があります。あんまり難しく考えてないので(そういうことではない)。『名探偵コナン』のED(2009年4月~)にもなった曲。Queenの「Doing All Right」もモチーフになっている気がする。

 歌詞・曲調共に元気づけてくれる……というより、「そうだね、これも”Doing all right”だね! 」と微笑みながら肯定してくれる曲。もっと言えば、「私はこれでも”Doing all right”。あなたの場合はどうか分からないけど、これはこれでいいんじゃないかな、って思うの。その方が”素敵な予感”がありそうでしょ? そう考えてみたらいいのにね」くらいの気持ち。単に元気の押し売りでもカラ元気でもなく、「置いてきた何かはもう 此処にはないけど」と自分の手が選び取らなかったものの不在を意識しつつ、「Doing all right! 通り過ぎた 戻らない時に用はない」と過去を解消し、「打ち放たれた生命はただ 今を感じたいんだ」と宣言する、意志の力に溢れた曲だと思う。それって雛菜さんじゃんね(せやろか)。「始まりがあったのならば 終わりもあるもの 馴染めない街でも ふいに明日をみたよ」あたりのフレーズも雛菜さんポイントが高い。たぶん。

 筆者が抱く目下の欲求は、この「Doing all right」のMVに市川雛菜が出演してほしい、というもの。よく晴れた草原からいろんな場所に繰り出して、曲中のドンドンチャ!!の拍子に合わせて幸せの音を打ち鳴らしながら、すれ違う人々にニコニコを振りまいていく……みたいなやつ。雛菜さんの通り過ぎていった場所に黄色い花が咲く演出もいいですよね。そんな感じです。

HAPPY DAYS? (『first soundscope~水のない晴れた海へ~』2001年1月)

 ほぼほぼタイトルの字面で選んだ曲。クールかつアンニュイで抑制的でもあり、普段の雛菜さんとはむしろ正反対にすら思われる。かっこいい雛菜の方向で攻めていく(バッドコミュニケーション)ならワンチャンあるかもしれない。

 「気の利いた言葉さがすよりも とりあえず君にギュって抱きついて 気まぐれな愛感じていたい」「大切な人になれるといいな 触れ合える距離でそっと見つめてる」このあたりは思うところがないではないけれども、まあ十中八九そういう文脈ではない。それはそれとして、「誰かが私だけ みていてくれる事 心の奥で狂おしく望んでる」とか「君が誰かを求めるのなら 私はココで変わらずにいる いつの日かまた逢えるかな」みたいなフレーズ、お仕事で渡された台本に載ってたら、雛菜さんどんな風に読むんですかね。

 これはただの曲の感想ですが、Cメロの「夜に消えてく」の部分のセルフハモリがとても好きです。 

Mr. Holiday (『Locks』2008年3月)

 GARNET CROWの全楽曲中でいちばん、文句なくカワイイ曲。ライブ用の振り付けまである。雛菜さんにカラオケで歌ったり踊ったりして欲しい。noctchillのメンバーでカラオケ行ったときにこれをノリノリで歌ってる雛菜さんが存在するかもしれないと考えてみるだけで幸せになれる、そんな曲。

「草原を走るあなたが疲れて休む時にはね その地に湧いたオアシスみたいに現れるわ」←好き。「素敵な風の吹く日にはあなたはきっと海に出る そして私は恋の邪魔をする風を少しうらむの」←天才。「カラカラの砂漠にいても私は真っ赤な実をつけ あなたにそっと摘まれて食べられちゃいましょう」←ア~困りますア~~~~。はい。水や海のモチーフが盛り込まれているのもよい。ずっと二人称は「あなた」で通してきたのに、ラストサビだけ「hop step jump のもとへ ゆくために生きてるみたいよ Mr.Holiday」なのもにくい。

最初は罰ゲーム枠で樋口の方に入れておこうかと思っていた。なんせ「ミスター・ホリデイ」だし、「カラカラの砂漠」とかあるし、もぎたて♡にーちゅだし……。そういうわけで大変迷ったのだが、趣旨が違うということになってこっちに落ち着いた。

おわりに

 ということで、GARNET CROW自体の大雑把な紹介と、GARNET CROW・noctchill両方のファンとして思うところのある楽曲紹介をしてきた。書いたものを振り返ってみると、今までぼんやりと考えてきたGARNET CROWの抽象的なあれこれを、noctchillという新たな具体像でもって整理しなおしただけのようにも思う。その具体像というやつも酷く朦朧としているために、終始胡乱な文章になってしまったが。noctchillについてのまとまった説明そのものを省いてしまったから、大変不親切な内容になってしまった気もする。

 また、noctchill全体およびメンバー個人に対して選曲をしてみたが、メンバー間の特定の関係性で思い当たる選曲については敢えて触れなかった。キリがないから、というのが正直なところだし、そもそもイメソンみたいなものは、あくまで脳内にある諸概念の輝きを相乗的に増幅させるための装置であって、思い入れのない曲との組み合わせで関係性云々と言われても、ほとんど共鳴しないだろうから(万人受けする第一印象の曲もそんなにないし……)。だからまずは、noctchillという存在を手掛かりに、GARNET CROWの楽曲を知ってもらうことに努めたつもりである。その過程で、筆者の頭蓋に充満し、存在する幻のいくらかを映し出すことができたなら、このnoteの目的は遂げられたのではないかと思う。

 とはいえ、まともに紹介できたGARNET CROWの楽曲は全部で16曲。全体の作品数からみれば10分の1もない。そんなわけで、最後にGARNET CROWの特徴がよく表れていると思う曲(要するに筆者が好きな曲)で、タイアップがなく知名度低めのもの10選を挙げて、終わりにしたいと思う。よかったらどこかで聴いてみてくださいね。

・A crown (『first kaleidscope』1999年12月)

・Rhythm (『first soundscope~水のない晴れた海へ~』既出)

・Jewel fish (『Last love song』2001年5月)

・pray (『SPARKLE~筋書き通りのスカイブルー~』既出)

・夜深けの流星たち (『君を飾る花を咲かそう』既出)

・君 連れ去る時の訪れを (『I’m Waiting 4 You』既出)

・Go For It (『涙のイエスタデー』2007年7月)

・最後の離島 (『Locks』既出)

・短い夏(『夢のひとつ』2008年8月)

・strangers(『parallel universe』2010年12月)


以上、ここまでご覧いただき誠にありがとうございました。

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