日記:2020/2/25(火)

曇り。底冷えするような天気。11시쯤에는 진눈깨비가 띄엄띄엄 내리기 시작한다. The laundry which I washed yesterday evening is still not dry partly. Maybe it's about time to buy a clothes dryer. 

泉鏡花『鏡花紀行文集』(岩波文庫)をちまちまと読んでいる。鏡花は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』を愛読しており、同紀行文中もいたるところで『〜膝栗毛』を引用し、自身を「弥次郎兵衛」「喜多八」と称したりなどしている。関東大震災発生からまだ1年にも満たない大正13年初夏、慣れない一等車(白切符)での旅(東海道~大阪~兵庫)を綴った随筆「玉造日記」に現在さしかかったところ。列車の窓ガラスに寄り掛りうたた寝する鏡花のかたわらを流れる風景が、半睡半醒の彼の頬をほとんど触覚的な艶めかしさでかすめ、雨のそぼ降る梅田の駅に着けば、ホームにひしめく群衆は黒々とした液体のごとく流動化している。

 それ酒中(しゅちゅう)の快たるや――一つ大きく出た、が、「膝枕」などと贅は言わない、第一そんな銭は持たぬ――微酔(ほろえい)の面(おもて)を汽車の窓に押(おっ)つけて雨に打たせるのである。硝子窓で漉すのだから、玉の簾がすずしく当たって、居ながら山が撫で、野が擦(さす)り、青葉が擽る。……時に卯の花の靡くに逢えば、春の雪を扇子で払うよりも面白い。(…)
(「玉造日記」『鏡花紀行文集』p.98)
 どどどどど、プラットホームへ押出した群集(ぐんじゅ)と言っぱ、一面に黒く流れて、雨の中に瀬を造り、一瀬ずつ堰に掛って、群りかかる状(さま)である。改札口は一つだろうが、夜の梅田へはお初にお目に掛るのだから、なだれかかる出口出口が、幾つも並んで、人で黒いばかりで見当がつかない。(…)(p.112)

鏡花の筆致が冴えわたる幻想的描写であるが、その合間、同行の妻がだしぬけに「うなどん」(p.108)ときわめて所帯染みた言葉を発し、夢現のはざまを漂う筆者共々読者もハッと我に返る、という絶妙なユーモアの繰り出し方がまた楽しい。ちなみに「うなどん」は鏡花の聞き間違いで、実際は「ウナデン」(※至急電報のこと。urgentの「u・r」が和文モールス信号では「ウ」「ナ」にあたるため――「注」より)が宿泊先の知人宅に着いたかどうかを心配しての言葉。

読んだ記事:

BBC Cultureによるアポストロフィ終了のお知らせ。イギリスの大手書店チェーンのウォーターストーンズやあのロイター社(!)までもが、ここ数年アポストロフィの使用を廃止、さらに、「近年まかり通っている句読点の濫用を正す」という目的で2001年設立された「アポストロフィ保護協会」が、2019年末をもって活動終了を宣言した、とのこと。創立者のJohn Richardsは「現代における無知と怠惰が勝利した!」と嘆いている。ちなみにアポストロフィをめぐる団体は上記保護協会だけでなく、作家のKeith Waterhouseによる「Association for the Annihilation of the Aberrant Apostrophe(異常型アポストロフィ撲滅協会:通称AAAA)」なるものも過去設立されているらしい。あと、日常生活でお目にかかる特殊なアポストロフィ例として紹介される、greengrocer's apostrophe(八百屋のアポストロフィ。例:「'Cauliflower's – two for a pound!'(カリフラワー、2個で1ポンド!)」)が笑える。

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