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 【物理法則は、時間が反転(逆行)しても不変である】

JP Cooper - Let It Be (The Beatles Cover)


汝、自らを知れ。

ソクラテス


Anything Goes!(なんでもかまわない!)

 物理学を習っている人にとっては常識ですが、数多ある物理法則は、どんな法則も時間の順行と逆行を区別していないのです。任意の物理法則で起こる現象をビデオに撮って逆回し、つまり時間の逆行をしても、同じ物理法則が成り立ちます。

 ただ、1つだけ”例外”があります。
 物理法則の中で、時間の順/逆がある法則は『エントロピー増大の法則』と言います。この法則だけは時間の順/逆を区別するのですよ。つまり、時間を逆行させると、法則に当てはまらないものになってしまうのです。物理学の初歩ですが、この話を知ってからなんとなく記憶に残っていました。

 p. 時間の順/逆がある… エントロピー増大の法則
 q. 時間の順/逆がない… その他の物理法則

ってことです。
 エントロピー増大の法則だけが時間に関係するって、おもしろいですよね。他の法則は関係しないのに。うろ覚え程度に覚えていたのですが、あるとき、解剖学者であり東京大学名誉教授の養老孟司さんの著書『唯脳論』を読みました。

 私が読んだのは1998年のちくま学芸文庫の本で、元は1989年の青土社のものだそうです。内容は脳や心、意識などに関することです。その中で、最初の方に少しだけ出てきた『形態学』の話で、興味深いことを言っていました。

a. 『構造』 と 『機能』

 形態学は、生物学の一分野です。生物の器官や組織を調べて、構造や機能を理解する学問です。
 物理学の本を読んでいてたまに見かける問いに、
「心は脳から生じるのか?」
というものがあります。脳は細胞があるので”目に見える”のですが、心は”目に見えない”ことから、「目に見える物質から、見えないものが生まれるとはどういうことか?」という問いですね。確かによく判らないよな〜と考えていたのですが、養老さんの本の中で、

 「脳は”構造”であり、心は”機能”だ」

と言っていました。
 人にもよるでしょうが、私自身はこれを読んだときにすごく”納得”できたんですね。「そういう捉え方があったのか!」と。他にも養老さんは、光は粒子か波かという問いにも、

 「光を”視覚”で捉えると粒子になり、”聴覚”で捉えると波動になる」

と答えていました。
 ここで「光を聴覚で捉えるってどういうことだ?」と思った人もいると思いますが、これは光の音を聞くとかそういう意味ではなく”時間の経過がある”って意味です。

 聴覚は”音”に対応する器官です。そして音は波、波動ですね。その波動が耳に聴こえるためには時間の経過を必要とするのです。止まった時間の中では音は聞こえません。

b. 『因果関係』 と 『対応関係』

 数学の”集合”などで『因果関係』について習います。原因と結果、原因が先(過去)にあり、結果が後(未来)にある時間の経過を伴う関係です。それとは対照的に形態学では『対応関係』を見ます。対応関係は因果関係とは違い、時間の経過は考えません。時間という概念を除いて”形(構造)”だけを捉えるんですね。

 ここで、「あれ、なんか物理法則にも通じるものを感じるな…」と考えました。というのも、ほとんどの物理法則は時間の順/逆を区別しない = 時間の経過を考えない対応関係であり、エントロピー増大の法則だけは時間の順/逆を区別する = 時間の経過を考える因果関係である…
 それなら、対応関係とは構造・視覚になり、因果関係とは機能・聴覚になる…のか?…と。
 《物理法則は構造なのか、機能なのか?》
 これを考えたとき、形態学に倣うと、

 p. 時間の順/逆がある… エントロピー増大の法則… 機能
 q. 時間の順/逆がない… その他の物理法則… 構造

ってことになりますかね。ほとんどの物理法則は”構造”についてのものであり、唯一、エントロピー増大の法則だけが”機能”を表している… 。
 数学の『1対1対応』なんかも”対応”って言っているくらいですから、因果関係ではなく対応関係、すなわち時間の経過は除いたもの、機能ではなく構造の話になりますかね。

c. 『絵画』 と 『音楽』

 若いころに音楽をやっていた経験があるのですが、ふと「音楽と他の芸術(絵画や彫刻など)はなにが違うのかな〜」と考えたことがあります。そのときの答えは「絵画は時間が止まっている、音楽は時間が流れている」でした。

 絵画や彫刻は時間が止まっているんですよ。その瞬間だけを捉えたものですから当然ですね。しかし、音楽だけは流れる時間の中でしか成り立たない芸術なのです。止まった時間の中では音楽はできません。

 a. 止まった時間… 構造… 停滞… 視覚
 α. 流れる時間… 機能… 変化… 聴覚

 ★組織が機能していない
 ★仕事に心がない
 ★経済が止まっている

 他の記事でも言ったことがあるのですが、店舗で働いていると、上手く回っているときには”歌”が聴こえます。まぁこれを言うと「頭がおかしいな」と思われることもあるので、あんまり言いたくはないんですけどね。
 歌が聴こえるとは、時間が流れているということ。時間が流れているとは、機能しているということ。そして、機能しているとは、心があるということです。

 さて、あなたの会社では、歌は聴こえますか… ?


Go Out

 理論物理学者のカルロ・ロヴェッリが『時間は存在しない』って本を出してて、

まだ読んでないんやけど、タイトルの時点で絶対おもろいやんって感じよね。
 ほとんどの物理法則が、時間の順/逆を区別しない ≒ 時間が止まっている、機能ではなく構造のことを指す、因果関係ではなく対応関係である… これらを考えると、時間は存在しないってところに帰着するのも肯けるよな。

 おもしろいのは、物理学者やなくて”解剖学者”の養老さんが似たようなことを言ってることよね。専門家って人種は、どこから行っても似たような場所にたどり着くってことなのかね。

 物理学者のケイティ・マックが「これから先、素粒子物理学の標準模型をどう発展させればいいのか分からない」みたいなことを言ってたけど、他の学問をやるってのがええかもね。自分が専門としとる学問の”外”に出てみて、他の学問から何か得られることがあるかもしれんし。
 実際、宇宙の誕生を表すビッグバン理論は当初、うまくいかなくて『インフレーション』ってものを足すとうまくいったけど、インフレーションは元々は”経済学”からきたものやんね。

α. 『戦士』 と 『魔法使い』

 話変わるけど、昔、『ダイの大冒険』っていうマンガがあってさ。去年、アニメ化もされてたから、知ってる人も多いと思う。傘でアバンストラッシュの真似して遊んだりしたよな。ドラゴニックオーラ(竜闘気)とかね。

 ポップがメドローアを覚えたときは震えたけど、最初のオリハルコン軍団との戦いで射ったのを見たとき、「ヒュンケルのブラッディースクライドみたいやな」と思ったのよね。攻撃の”跡”が似てない? 円形に貫く感じ。

 他にもポップはいろいろ真似してるんよな。2つの呪文を同時に使うのは師匠のマトリフの真似やし、最終決戦でダイがドラゴニックオーラを使って、大魔王バーンのカラミティウォールをすり抜けたことがあるけど、ポップは両手の指に魔法力を溜めて、カイザーフェニックスを2つに引き裂いたりね。

 a. ブラッディースクライド → メドローア
 b. 2つの呪文を使う → そのまま
 c. 竜闘気ですり抜ける → 魔法力で引き裂く

 3つとも真似やけど、ただ真似したわけやなくて、自分流に変換(アレンジ)しとるのよね。b だけはそのままやけど、a は戦士であるヒュンケルの剣技をそのままできるわけないし、c の竜闘気はもっとできるわけないしな。やき、剣や竜闘気を自分の使える『魔法力』に変換(アレンジ)しとるのや。

 ポップは”変換の天才”と言えるかなとね。

β. Generalist ”and” Specialist 

 ジェネラリストは総合職とか万能家とか言われて、スペシャリスト(専門家)の対極にあるやんか。なんでもできるけど、スペシャリストほどはできない。それを指して”器用貧乏”とも言われるよな。

 なんでもできるけど、なにもできない

 これってダイの大冒険で言えば、戦士でも魔法使いでもなく『勇者』のことよね。「なんでもできるけど、なにもできないのが勇者だ」って誰のセリフだっけな…マトリフだっけ…? 忘れたけど、言いたいことは日本には勇者がいないってことよ。

 専門力を問われる社会になっとるから、ジェネラリストかスペシャリストかみたいに言われると、必ずスペシャリストの方が勝つのよね。この問い方そのものがおかしいのよ。0か100か、全か無かみたいな。だってこれ、

 戦士… 剣 100、魔法 0
 魔法使い… 剣 0、魔法 100
 勇者… 剣 50、魔法 50

ってのを考えると、戦士と魔法使いは残るけど、勇者は必ず淘汰されるやん。んで、残った戦士と魔法使いは能力が極端すぎるから、意見が合わなくて絶対にぶつかるよな。結果、チームプレーができないんや。
 つまり、

 ジェネラリストスペシャリスト ではなく、
 ジェネラリストスペシャリスト なんやで。

 『か』じゃなくて『も』、or じゃなくて and なんや。

 経験上、仕事を一人に集中させようとするところもあるけど、それがおかしいのよね。仕事なんて一人でできるわけないのによ。やることが2つあるなら二人に分ければええだけやで。専門力ばっか問う社会やから、戦士と魔法使いばっかになって勇者がおらんから全然まとまらん = 物事が進んでいかない やろ。30年止まっとるからな。

 戦士… 肉体労働・行動
 魔法使い… 頭脳労働・思考
 勇者… 行動と思考の中間(交差)

って感じか。

γ. 『復興』 と 『進化』

 日本は戦争で焼け野原になったやんか。東京に住んでたときに、吉祥寺のカウンターしかないような飲み屋で一人で飲みよって、近くに座ったおじいさんと話したことがある。
「昔は駅前にはマルイシティも何もなかったね。焼け野原でね」
と言ってたな。吉祥寺に行ったことがある人なら分かるけど、駅の南口を出たところにCICI(マルイシティ)があるやん。そこを越えたら井の頭公園やな。

 戦後の復興を考えたとき、「とてつもない速さやな」と思うことがある。原爆だけやなくて爆撃もすごかったみたいやし、文字通りの焼け野原になったんやろな。そんな焼け野原やった日本を短期間で復活させるためには、尋常やない速度を求めるしかなかったのかも… それこそ”人間性(心)”なんかはおいてきぼりにするしかなかったのかもしれんな。
 店の人の話では、そのおじいさんは地域では有力な人やったみたい。まぁそうとは知らんから、思いっきり”タメ口”で話とったけど。

 短期間で復興ってのは、言い換えると短期間で進化とも言えるやん。
 んで、短期間で進化と言われて思いつくのが『クラシック』なんよな。クラシックの始祖はJ・S・バッハやけど、バッハの生まれた年って”1685年”なんや。日本で1685年と言えば、江戸時代の5代将軍徳川綱吉の『生類憐れみの令』かね。日本人が生類を憐れんどったときに、ドイツで「オギャー!」って生まれたのがバッハなんや。

 クラシックって”古典”やから、ものすごい大昔からのものってイメージがあるけど、実はそんなに古くないのよね。なんなら、割りと”最近”って言ってもええかもね。ん? 古代のルネサンスを復活させた? まぁまぁそれは置いといてよ。話が長くなるわ。

 言いたいことは、クラシックの曲って複雑だったり難解だったり、演奏が難しかったりするけど、それらは”短期間で完成された = 進化した”ってことや。バッハが生まれてから現時点でもまだ300年くらいしか経ってないやろ。338年か。
 「とてつもない速さやな」と思わん? 簡単には比べれんけど日本の戦後の復興に匹敵するか、それ以上の速度やと思うけどね。

 p. 急激な復興(戦後日本)
 q. 急激な進化(クラシック)

 この2つに共通するのは”急激”ってところ。そして、それゆえに、専門家を必要としたところや。復興にしろ進化にしろ、専門家が要るやん。ジェネラリストよりもスペシャリストを求めるってことは、戦後の日本をもう一度やるってことやで。

 んで、こっからなんやけど、俺がたまたまそういう人に出会っただけなのかもしれんけど、クラシックの人って”精神的に幼い”んよな。俺がたまたま、ホンマにたまたまそういう人ばかりと出会っただけなのかもしれんけど、とにかく幼いのよ。精神は幼いんやけど、演奏技術は桁違いなのよね。ホンマに専門家って感じやな。外の世界のことをなにも知らないのや。

 外の世界のことを知らない = 全体像が見えない

とも言えるかもね。
 解決するには、やっぱり”外”に出ることやな。



Mr. Big - Goin' Where The Wind Blows


 世界で一番高い玉座に上っても、やはり自分の尻の上に座っていることに変わりはない。

モンテーニュ


As Time Passed

 適度、ほどよく、良い塩梅、手加減… 本来、これらは”良いもの”なのですが、視点を変えると『中途半端』となり、悪いものになってしまいます。しかし、それは自分よりも弱い者と接したことがないからかもしれません。
 自分より弱い者といえば”子ども”ですが、子どもと接するときは、いろんなことで手加減が必要です。その経験がない人は、手加減などを中途半端と捉えてしまい、悪いものと認識してしまうことがあるのです。

 何年か前、親戚の子どもを”肩車”してあげたことがあります。そのとき、落としては大変だと、足首をしっかり握りましたが、子どもにすぐ「痛いー!」と言われてしまいました。慌てて力を緩めようとしたとき、「あれ? ちょっと困ったぞ」と思ったんですね。というのも、子どもは”急に動く”ことがあるので、足首を握る力が弱すぎると、ふりほどいて落ちてしまうかもしれません。かといってこのままでは痛がっている…

 だから『手加減』が必要なのです。痛がるほど強くもなく、ふりほどかれるほど弱くもない”適度”な強さ。そうでなくては肩車はできませんからね。ちょうどいい力で握ってあげると、子どもは肩の上で「キャッキャッ♪」と楽しそうにしていました。
 ただ、それでも1つだけ問題があって、普段なら手が届かない、ホコリが溜まっているであろう冷蔵庫の上などを、手が届くからと触りまくったあとに、その手で私の顔を”ベッタ〜”と触ってきたんですね。「おい、やめろ〜!」と思いましたが、まぁまだ子どもだし、なにより楽しそうなんで何も言いませんでしたけどね。「キャッキャッ♪」と笑っていました。

 p. 構造… 視覚… 頭脳… 思考・知識… 魔法使い… ナレッジワーカー(本社)
 q. 機能… 聴覚… 身体… 行動・実践… 戦士… エッセンシャルワーカー(現場)

 上記の2つは表裏一体になっています。
 構造は”止まった時間”のものであり、機能は”流れる時間”のものです。ですので、構造ばかり考える人は実践をしませんし、機能ばかり考える人は思考が足りないなんてことが起こるのです。こういったことが、社会・組織・国を『分断』する原因になっているのかなと考えます。

 p. 絵画は止まった時間の芸術であり、視覚で見る → 後頭葉
 q. 音楽は流れる時間の芸術であり、聴覚で聞く → 側頭葉

 この2つは脳の受け取る場所が違っていますね。受け取る場所が違うのですから、考え方や感じ方が違ってきます。だから、本社と現場で認識の”ズレ”ができるのは当たり前なのです。

 p. 本社は”結果”を重視した視点、つまり、止まった時間を見ます。
 q. 現場は”経過”を重視した視点、つまり、流れる時間を聞きます。

 受け取る感覚器官が違うのですから、違う認識をするのは自明というものです。

 『日報』『売上』などは結果であり、止まっています。
 『会話』『作業』などは経過であり、流れています。

 止まっているものと流れているもの、この2つは背反の関係にあります。が、合わせられないものではありません。なぜなら、脳が1つになっているからです。確かに他者の脳と自分の脳とは別々になっていますが、少なくとも自分の脳は1つですよね。だったら、自分の脳の中では合わせられるのですよ。まぁ、そこまで自分の脳を使えている人は”稀”かもしれませんが。

 ただ、無意識に自分の脳の中で2つを合わせることをしている人は、意外と多いのではないかと考えていますね。戦士や魔法使いのように『専門家』の立場からすると「どうやって合わせりゃいいんだ?」となるかもしれませんが、勇者のような『万能家(器用貧乏)』の立場からすると「え? 合わさってるのが普通ですよね?」となるのですよ。

 結果だけを見る本社の人は、止まった時間だけを見ていますが、それは五感の中の視覚だけしか、1つだけしか使っていないと言い換えることもできます。本来、人間には五つの感覚、

 α. 視覚
 β. 聴覚
 γ. 嗅覚
 δ. 味覚
 ε. 触覚

があります。
 結果のみを見るということは、五つの感覚の視覚だけしか使わないということです。それって『人間』と言えますかね? それこそ『AI』ではないのですか?
 私はいままで、どちらの立場かというと、ナレッジワーカーよりエッセンシャルワーカー、魔法使いより戦士、止まった時間より流れる時間の立場で仕事をしてきたので、どうしてもその方向に意見が”偏って”しまうのは否定しません。しかし、だからといって、止まった時間の中でしか仕事をしたことがない人を肯定するつもりもありません。

 五つの感覚、全てを使うから人間なのではないですか? どれか1つしか使わないのであればAI、もしくはただの”センサー(感知機)”でよくないですか? 実際、IT企業の世界で『メタバース』が広がっているようですが、メタバースとは、自分自身はPC上の架空の世界に暮らし、現実世界のあらゆる場所にセンサーを取り付けて、センサーが異常を報せ、現場の人が直すというものです。現場の人が直すというものです。(2回言いました)
 完全に妄想の世界、赤ちゃんの世界ですね。

 そして、五感というと『第六感』を思い浮かべる人もいるでしょう。生物学的に確認されている知覚ではなく、言わば”謎”の感覚ですね。比較的わかり易いのは女性特有の『女の勘』ってやつですね。端的に説明するなら、男性の”痛い”ところを突いてくるってことです。それを言われたら身も蓋もないよってところを突いてくるのですが、この”特殊能力”、なんとかなりませんかね。それこそもし、神龍がいたら真っ先に消してもらう(願いを叶えてもらう)のですが…

 エントロピー増大の法則は、秩序ある状態は混沌に向かう、噛み砕いて言うと、整理整頓されたところはぐちゃぐちゃになっていく、というものです。
 現代の世界は”ぐちゃぐちゃ”と言ってもいいかもしれませんが、気になるのは、ぐちゃぐちゃにしているのは誰か? ということです。真っ先に思い浮かべるのは『子ども』ですね。子どもはいろんなものをぐちゃぐちゃにしますからね。それこそ自分が使ったもの・遊んだものを、一向に片付けないのです。

 自分が使ったものは、自分で片付けろ

 誰もが言われたことのある言葉です。これを経ないで大人になった人は、まず、いないでしょう。子どもからすれば「片付けろ!」なんて言ってくる大人に対して「クソウゼー!」と感じるかもしれません。心配しないでください。どんな大人も言われたことがあるのです。それこそ、日本では天皇でさえ言われますね。なぜなら、天皇とは言え子どもの時代があったからと解釈するでしょうが、半分合ってて半分間違いです。というのも、天皇自身が片付けないことを許すか許さないかに関わらず、職人が許さないからです。

 許しませんよ。それはどんな立場の者であろうが、看過しませんね。ん? 信じられない? だったら、職人に聞いてみればいいのですよ。実際に聞きに行けばいいのです。「自分が使ったものは、自分で片付けろっていうのは、本当なんですか、嘘なんですか?」って聞けばいいのですよ。簡単ですね。

 大人に成るには実践が必要だと言いたいんですよ。自分の身体を使った経験なくして、大人には成れません。もちろん、その『逆』も言えますよ。どちらの逃げ道も塞ぐのが”joker”の役目ですから。

 p. 自分の身体を使わないと、大人に成れない が成り立つなら、
 q. 自分の頭脳を使わないと、大人に成れない も成り立つ。

ってことです。
 p. 自分の身体で行う
 q. 自分の頭脳で考える
ですね。
 実は、今の世界は大人が片付けていないのですよ。子どもではなく大人が片付けないから、ぐちゃぐちゃになっているのです。子どもに対しては「片付けろ」と言うくせに、自分は片付けない。そんな大人だらけだから、ぐちゃぐちゃになっていくのです。

 飲食業界で、最初の数ヶ月、あるいは数年だけの”短期間”は売上が良くて、その後落ちていき、中長期的に見れば全然ダメなのも、結果(止まった時間)しか見ないで、経過(流れる時間)を見ないからですよ。短期間とは、言い換えると『一瞬』です。

 一瞬 ≒ 止まった時間

になるので、止まった時間しか見ない会社が、一瞬(短期間)だけしか売上を上げられないのは必然なのです。反対に、流れる時間を見る会社は、最初はダメでも徐々に上がっていくことがあります。なぜなら、流れる時間の中では、人は『成長』するからです。止まった時間の中では人は成長しません。当たり前ですが。

 上述しましたが、上手く回っている店では『歌声』が聴こえます。そして、歌はもちろん”音楽”なので、流れる時間のものです。歌声の反対と言えば『怒声』ですね。とある串カツ屋で、またパワハラがあったようですが、怒声が響いているような店では、時間は止まってしまうのです。怒声が響いた瞬間、従業員の気が逸れてしまい、手が”止まった”りするので、作業がどんどん遅れていく = 止まっていく のです。止まっているのですから、売上なんか上がるわけがないのですよ。

 歌声… 流れる時間・経過・成長
 怒声… 止まった時間・結果・停滞

 あなたの会社(店舗)は、どちらの声が聴こえますか?

 結果しか見ない… 止まった時間… 日本経済の停滞… すべてつながっているように見えるのは私だけでしょうか。

 ところで、メタバースで思い出したのですが、キアヌ・リーブス主演の『JM』という映画で、最後に”薬漬けのイルカ”が出てきたと思います。そのイルカ一体しか入れないような小さな水槽に入っていて、ほとんど身動きできないのですが、薬漬けになっているので自分では『大海を泳いでいる夢』を見ているのです。

 メタバースの住人たちは、その”夢を見る薬漬けのイルカ”を連想させますね。他にも、本社にひきこもり店舗のことを考えない人たちも、イルカと同じですよ。

 メタバースの住人… 薬漬けの水槽の中のイルカ… 檻の中の猿… 本社のひきこもり… すべて同じに見えますね。

 あと、養老さんの本に『失”音楽”症』というものについての記述がありました。これ自体、本当に存在するものなのかよく分かっていないそうですが、もし存在するのであれば、その人は音楽を失っている、つまり、流れる時間を失っているのかな…? と考えましたね。
 流れる時間を失うとは、止まった時間の中で生きているということです。

 『止まった時間の中で生きる』との表現自体、矛盾をはらんでいますね。ゼノンの”飛んでいる矢は止まっている”みたいです。あるいは、ディオのスタンド『ザ・ワールド』ですかね。

 そして、今の日本、世界は止まっていますね。

 自分の脳をいくら他人に押し付けようと思っても、相手がバカならどうにもならない。

『唯脳論』 養老孟司

【∞】
 止まった時間 ∞ 流れる時間
 結果 ∞ 経過
 本社 ∞ 現場(店舗・工場)
 知識 ∞ 実践
 魔法使い ∞ 戦士

 RPGをやったことがある人なら分かりますが、主に戦士は”先頭”に配置し、魔法使いは”後方”に配置します。これを本社と現場に置き換えると、

 先頭… 現場
 後方… 本社

になります。
 本社の仕事は『後方支援』なんです。RPGでもそうでしたよね。戦士が先頭に立ち剣で戦っている背後から、魔法で援護射撃・支援する。それなのに、先頭の戦士を”背後から撃つ”みたいなことをするところもありますが、一体何を考えているのでしょうか? いやいや、本社の仕事は戦士(味方)の支援・援護ですよ。

 結果から逆算して『原因』を探しますよね。そのとき、結果も原因も”点”で表現します。その点を結んで”線”にしますが、その線が『経過』なのです。たとえば、子どもが学校から家に帰ってくるとき、

 原因… 学校が終わる
 結果… 家に帰ってくる

と考えます。ですので何も気にしないで家で待っていると、膝をすりむいた状態で帰ってきたりします。学校から家に帰ってくるだけでなんで怪我するんだ? と思うかもしれませんが、この膝の怪我こそ『経過』なんですよ。つまり、結果から原因を探るだけでは不十分なんです。

 原因 → 経過 → 結果

 この形が正しいのです。そして、原因と結果は点であり、経過は線ですから、

 止まった時間(原因) → 流れる時間(経過) → 止まった時間(結果)

になります。
 ということは、結果と原因の2つしか見ないことは、止まった時間しか見ないことになりますね。だから、原因を特定して改善しても良くなっていかないなんてことが起こるのです。流れる時間(経過)を見ていませんから。

 止まった時間しか見ない大人にとっては”謎”でしかない膝の怪我は、流れる時間の中で生きている子どもからすれば、自然なことなのです。

 飲食店では「店舗の従業員がマニュアルを守らない」ことがよくあります。本社からすれば確かに頭が痛いことですが、従業員の立場の意見を言えば、「止まった時間を見ている人たちが作ったマニュアルが、流れる時間の中で一体何の役に立つというのか?」ってことです。

 野球のバッティングの練習で『止まったボールを打つ』ことはありますが、試合中に止まったボールを打つ機会なんて”絶無”でしょう。あり得ませんね。
 私が「飲食店の仕事はサッカーだと思え」と教えるのは、絶えず仕事が動いている = 流れている からです。人から人へ、どんどんパスを回していくんですね。ボールのパスは野球でもやるにしても、塁に出た選手は止まっていますよね。

 「数字が全てだ」
 「結果さえ出せばいい」
 「売上しか評価しない」

 本社や上層の方はこのように考えていますが、これらはすべて「止まった時間さえ存在すればいい」と言い換えることができますよ。そして、現実にそれを言い続けた結果、日本は”止まった”のです。願いが叶ったんですよ。良かったですね。

 止まった時間の中では、心もなく、音楽も流れず、風も吹かなければ、子どもも生まれません。日本の新生児の数が、80万人を下回ったそうです。
 さて、

 p. 私が子どもに、肩車をしてあげた
 q. 子どもが私に、手加減を教えてくれた

 あなたの”視点”は、どちらにありますか?


Ending.

Brian Culbertson - Go


なにを言う、このおれはたとえ胡桃の殻に閉じ込められようと、無限の宇宙を支配する王者と思いこめる男だ、悪い夢さえ見なければ。

『ハムレット』 シェイクスピア


Crossover

 視覚と聴覚を合わせたものといえば『共感覚』が思いつくね。共感覚は、”音を聴くと色が見える”ってやつや。音楽のドレミを聞くと、赤青緑とかの色が見えるのよ。音の聴覚(側頭葉)と色の視覚(後頭葉)がつながってるのやろな。共感覚の持ち主はジェネラリスト・勇者の素質があるのかもしれんね。

 物理学の一つ、『量子力学』での”位置と速度は同時には決まらない = 不確定性原理”ってのも、

 p. 位置… 止まる… 視覚… 後頭葉
 q. 速度… 流れる… 聴覚… 側頭葉

って捉えると、後頭葉と側頭葉がつながってない人 = 共感覚を持たない人 には、難しく感じるって説明が成り立つのかな〜とね。

 古典物理学… 主に視覚の理論
 量子力学… 視覚と聴覚を合わせた理論

って言ってもええし。
 未知の物質ダークマターとかダークエネルギーなんかも、空間に残った”波動”の痕跡って捉えてみたらおもしろいかもね。未知の”物質”であれば『粒子』やから視覚で見えるけど、もしそれが粒子じゃなくて『波動』なら聴覚を使うことになる。見えないなら、聞けばいいってことよ。

 超ひも理論で『重力は次元を越えて伝わる』ってのがあるけど、重力が次元を越えるなら波動も越えることがあるのかな〜とか考えるね。『空間』は伸び縮みするゴムに喩えられる。んで、ゴムは圧力を加えるとヘコむけど、そのあと”跳ね返す”やんか。ビヨンビヨ〜ンって、なんか”波動”っぽいよな。
 さて、

Last Mission
 《 埋もれたダイヤモンドを探し出せ 》

 先述のように、専門力ばかり求める社会やと、共感覚の持ち主は埋もれてしまう可能性が高いからな。両方を半分ずつってことは『中途半端(器用貧乏)』に見えてしまうき、見過ごされ易いのや。両方を半分ずつ… 子ども… DNAみたいやな。

金属の、
 金… 価値が変化しない = 止まっている… 不動… 安定… 停滞
 銀… 電気を流す = 流れている… 可動… 不安定… 変化

 こういうのも想起させるね。そういや、金と銀を‘’合わせた金属‘’ってなかったっけ? 止まった時間の中で‘’生‘’が存在できないのと同じように、流れる時間の中では‘’死‘’は存在できんのや。んで、死は存在できないとは『遺伝子』、つまり、子どもやな。

 共感覚(勇者)の人のやることは、専門家(戦士・魔法使い)から見ると破壊と再生を同時にやってるように見えることがあると思う。クレイジー・ダイヤモンドみたいなね。(ドラララ〜… グレート〜… )

 資本主義は『金(かね)がすべて』ってなりがちやけど、金(きん)だけやとあかんのや。銀がいる。ちなみに銀には”魔除け”の効果があるとされるで。
 人間は生まれてから死ぬまでいろんな経験をしていく。んで、経験には、

 p. 知識を得てから、実践する
 q. 実践してから、知識を得る

 この2つの順番がある。
 どっちの順番でやるのかは、その人の”意志”によるやんか。どっちが正解って考えるんやなくて、どっちが正解なのよね。『か』じゃなくて『も』やで。

 「仕事は”戦い”だ」

みたいに捉えとる人が多いけど、いやいや、自分の目の前にあるのは『お客さん(流れる時間・経過)』であり、『データ(止まった時間・結果)』なんや。どっちも敵ではないのよ? 敵なんていないんやで。
 じゃあ、一体、自分は”何”と戦ってるのか?

 p. 現場を否定する本社は、行動を教える能力がない自分を棚に上げる。
 q. 本社を否定する現場は、知識を理解する能力がない自分を棚に上げる。

 b. 戦士が魔法使いを否定するのは、自分が魔法を使えないから。
 d. 魔法使いが戦士を否定するのは、自分が剣を使えないから。

 自分が戦ってる相手は敵やなくて、自分自身やないの? 敵なんてどこにもおらんやろ。自分自身との戦いを、目の前のもの(お客さん・データ)に投影しとるだけやで、それ。仕事中にと戦うな、気色悪い。夢見るイルカか。心理学で”自己投影”っていうやつや。

 自分の手は動かさず、他人の手を使ってやるってことは、5歳児のやる『クレーン現象』ってのと同じになる。

 クレーン現象は『自閉スペクトラム症』の可能性もあるのかね。

 あと、いろんな会社で未だにある『パワハラ』やけど、”怒鳴る”ことについて説明しとくか。めんどくさいけど一応ね。
 大声の出し方には”横隔膜”を使う方法がある。んで、横隔膜を使う発声法をやってるのは『犬』なんよな。犬が吠える(威嚇する)と、熊でさえ逃げるやろ。それは、横隔膜を使った大声ってのはそれぐらい”恐怖”を与えるからなのよね。動物の本能的なものやと思う。んで、人間ももちろん動物なんやから、その大声に恐怖を感じるのや。
 どこで練習してんのか特訓してんのか知らんけど、横隔膜を使った大声は恐怖を与えるってことを”知ってる”人たちがいるのよね。だからその特訓をして、相手を従わせるために使っとるのや。何が言いたいかというと「ただの”演技”やで」ってこと。だって、知った上で特訓しとるんやから、完全に演技やん。
 「わかりやすいな〜」って思いながら見とるけどね。どこに行っても”同じやり方”なんよな。もう飽きた。

 さて、話変わる、というか戻すけど、養老孟司さんの唯脳論は”全経営者”に読んでほしいね。それぐらいオススメやな。養老さんといえば400万部以上売れた『バカの壁』は知っとるやろ。それがおもしろいと思ったなら、唯脳論もおもしろいはずや。経営者は総じて”売れるもの”に興味があるやんか。それなら、400万部以上売れた本を書いた養老さんの話は、絶対に参考になると思うで。
 養老さんは『ものがわかるということ(祥伝社)』で「人の”心”なんて読めないから解剖を選んだ」ってことを言ってて、ふと、養老さんの”対極”の人って誰なんかな〜と考えて思い浮かんだのが高須克弥さん(通称かっちゃん)なんや。

 p. 養老孟司さん… 研究医… 死んだ人を相手にする… 止まった時間
 q. 高須克弥さん… 臨床医… 生きてる人を相手にする… 流れる時間

 素人目線で見るとこんな感じに見える。
 おもしろいのは、養老さんは昆虫採集が好きやから”自然”の中にいく、つまり、流れる時間のことも知ってる。反対に、高須克弥さんは仏教の”僧侶”でもあるから、死、つまり、止まった時間のことも知ってる。ってことはp と q が”逆”になるのや。

 p. 高須克弥さん… 僧侶… 止まった時間… 死
 q. 養老孟司さん… 自然… 流れる時間… 生

 こんな感じで”入れ替わる = 交差する”のや。(グランドクルス!!)
 この2人の対談とかあったら絶対おもしろいと思うんやけどな〜。人の心が読めないから解剖を選んだ養老さんに対して、高須克弥さんは臨床医やから人の心を読むことをずっとやってきたやろ。絶対おもしろいって。

 こういうのはどこに言えばええんやろ。電通とか? テレビ局か? NHK? フジテレビ? 出版社かね? 分からんけどどうにかならんかね、ワトソンくん。

 2つのものを交差させるってのは、思ってる以上に”高度”なことなんやろな。自分はできてると思ってても、視点を変えるだけで全然できてないことが分かる。
 日本社会は専門性を求める割りには、Felica とか iPS細胞とか、良いものが出てくるたびに潰すのはなんなんやろね。完全に倒錯しとるようにしか見えんけどな。「もしかして違法なクスリとかやってます?」って言いたくなるわ。あるいは統合失調症か。

 日本から良いものが出てきたら消す… 常時、極大消滅呪文メドローアを射っとるみたいやけど、メドローアは跳ね返すことができるんやで。跳ね返すのはマホカンタって呪文。んで、この呪文は『魔法の鏡』とも言える。

 鏡を見たとき、そこに写ってるのってだれだっけ?

 それではまた〜。



*参考書籍*
 ・唯脳論 養老孟司 ちくま学芸文庫
 ・ものがわかるということ 養老孟司 祥伝社
 ・宇宙の終わりに何が起こるのか ケイティ・マック 講談社ブルーバックス


(… 相変わらず… 寝かしつけるのが下手だな… )




【HUNTER】

 自然は、エントロピー増大の法則に従う。

 エントロピー増大の法則は、整理整頓されたところをぐちゃぐちゃにしていく法則。

 ぐちゃぐちゃにしていくってことは、片付けができないということ。

 片付けができないってことは、必ず痕跡が残るということ…

 つっかま〜えた!

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