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私も“無敵の人”になるところだった。

安倍元総理の銃撃事件から一週間が経った。この一週間、参院選の投開票日なども含めて、個人的にはあまりに様々なことがあったため、もっと時間が経過しているかのように思えるが、まだ一週間だ。

事件当初は、政治的思想によるものかと思われていたが、この一週間で少しずつ事件の背景が判明しつつあり、新興宗教による搾取とそれによる家族の崩壊という構図が見えてきた。

どんな理由にせよ暴力が許されるものではないが、山上徹也容疑者の境遇がつまびらかになっていくことで、そこに一掬の同情を禁じ得なかった人も少なからず存在したのではないだろうか。

少なくとも私は、幼い頃に父親を自死により失い、残された母親が信仰に傾倒し、1億円を超える献金により家族を困窮させていったという報道を見て(それが事実ならば)、彼の壮絶な生い立ちに胸が苦しくなった。

山上容疑者をはじめ、こうした事件を起こす人々のことを、世間は「無敵の人」と呼んだりする。無敵の人とは、ひろゆき氏が命名したワードで、彼はすでに2008年からブログでこのような文章を書き、警鐘を鳴らしている。

「本来人間は、逮捕されると職を追われたり社会的な信用を失うことから、犯罪行為に手を染めることを躊躇する。ところが元から無職で社会的信用が皆無な人には、逮捕されることがリスクにならないため「刑務所もそんなに悪いとこじゃないのかもね」程度の環境の変化にしか過ぎなくなる。そのような人間が、インターネットの発達によりそれなりの社会的影響力を行使できるようになったことで「自分が警察その他多くの人間を動かせる」事に満足感・充実感を見出した」

また、ひろゆき氏は、昨年11月にも京王線の車内で起こった“ジョーカー男”による犯行に際しても、次のようなコメントを残している。

「『この社会が僕を受けて入れてくれないから、自殺をする』っていうのを、日本人は選びがちだったんですよね。でも、自殺する1万分の1ぐらいで『何人か殺してから死のう』って人が、定期的に現れるようになって」「いじめを見て見ぬふりをする人って、いると思うんですけど。そういう人を見て見ぬふりをしていくと、社会に対して牙をむいてくることがあるっていうのは、もうちょっと考えて理解した方がいいと思うんですよね」

これらのコメントに、私は深く共感する。私は2017年に5ヶ月ほど欧州に滞在していたのだが、当時は欧州各地で移民2世、3世によるテロが続発していた。社会から彼らを排除していくのではなく、むしろ彼らの存在を包摂していくことは、移民2世、3世である彼らのためだけでなく、一般市民のため、治安維持のためでもあると実感させられた貴重な経験だった。

一方、私はわずかながら、“無敵の人”と呼ばれる彼らの心境が理解できないわけでもない。というのも——。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
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