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雨の中、横断歩道の途中で、電動車椅子が立ち往生していた——。

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「いや、立ってないのだから座り往生だろう」というツッコミはさておき。

車椅子と雨の相性は、すこぶる悪い。というのも、車椅子ユーザーは傘をさしにくいのだ。そもそも手が使える車椅子ユーザーは両手で車輪を漕ぐことで手が塞がっているし、手が不自由な車椅子ユーザーは文字通り手が不自由なのだから、そもそも傘をさすことが難しい。

さて、私はどうしているかというと、短い右腕で車椅子の運転レバーを操作して、利き手である(こんな短い腕でも利き手ってあるのよ)左腕で、傘の骨の部分を押さえつけるようにして使用している。しかし、これだと頭のすぐ上を傘が覆ってしまうため、ビニル傘でなければ視界が遮られてしまう。まあ、ビニル傘にしたところで素材が半透明なので、どうしても視界はぼんやりしてしまう。

言葉を尽くしても、なかなかイメージしづらいかもしれない。百聞は一見に如かず。こちらの動画をご覧いただきたい。


観ていただいてわかるように、傘をさしながらの走行はなかなかの難易度となるので、車椅子ユーザーのなかにはレインコートを着用して出かける人も少なくない。ただ、私もそうなのだが、レインコートをみずから着脱することが難しいために、着用を断念している人も多くいる。

そんな雨の日だった。私は『選挙ドットコムちゃんねる』の収録を終え、相棒であるキタムラの運転する車でオフィスに戻るところだった。夕方5時半を回った頃。あたりはずいぶんと暗くなり始めていた。いつもどおり、二人でバカ話に花を咲かせていると、車はあっという間に私たちの明治通りへと差し掛かった。ここまで来れば、オフィスはもうすぐだ。

車道の信号が赤になり、キタムラが緩やかにブレーキを踏んだ。私たちは、横断歩道の前から2列目で停まった。まもなく、目の前の歩道の信号が青になる。歩き出す人の群れの中に、私たちは一台の電動車椅子を見つけた。傘はささずに、レインコートで全身を覆っている。シルエットから、どうやら男性であるらしいことがわかった。足早に歩く人々から遅れ、車椅子はやがて群れから外れて、横断歩道の中ほどまで差し掛かった。

そのときだった。彼が操作していた車椅子の座席の下に積んであった荷物がすべり落ち、雨で濡れた横断歩道にバラバラと散らばってしまったのだ。

私は思わず息をのんだ。車内の後部座席に陣取った重度身体障害者では、この状況をどうすることもできない。ハンドルを握るキタムラも状況に気づいたようで、ソワソワしているのが雰囲気から伝わってきた。

すると、電動車椅子に乗った彼はレインコートを着たまま、おもむろに立ち上がった。よく誤解されがちなのだが、車椅子ユーザーでも一歩も歩けない人もいれば、よろよろと数歩なら歩ける人もいる。また、手すりなどに捕まることができれば、もう少し長い距離を歩くことができる人もいる。「車椅子=歩けない」というわけではないのだ。

立ち上がった彼は、一歩、また一歩と、ゆっくりではあるが、確実に前へと進み、散らばった荷物へと近づいていった。周囲の助けを借りようとはせず、なんとか自力で荷物を拾おうとしているようだった。だが、無情にも時間は流れていき、歩道側の信号は点滅を始め、やがて赤になった。それから数秒すると、当たり前のことではあるが、私たちが待たされていた車道側の信号が青になった。

しかし、いくら信号が青になったとはいえ、横断歩道のど真ん中に電動車椅子が立ち往生していて、さらには荷物が散乱していたのでは車も発進することができない。そして、恐れていたここが起こった。待たされていた車のうち一台が、クラクションを鳴らしたのだ。もちろん、その車から横断歩道で何が起こっているのか見えていたのかはわからない。しかし、そのクラクションは横断歩道で立ち往生している彼の耳にも、間違いなく届いている。

もう、心臓が押し潰されそうだった。あれが私でないと、どうして言えるのか。たまたまそこにいるのは彼で、クラクションを鳴らされているのも彼だが、いまはこうして後部座席に座っている私が、あの立場に入れ替わっているかもしれない。横断歩道の真ん中で、あの状況で聞くクラクションは、いったいどう聞こえるのだろうか。想像するだけで胸が張り裂けそうだった。

「僕、行ってきます」

キタムラが運転席のドアを開けて、雨の中を傘もささずに飛び出していった。救われた思いがした。彼も救われた思いがしただろうが、何より「私が」救われた。車内で待っていることしかできない無力な私は、ただ心の中で「ありがとう」「ありがとう」とつぶやいていた。

数分後、雨に濡れたキタムラが帰ってきた。拾い集めた荷物を座席に積んでもらった彼は、キタムラの手を借りて車椅子に戻ると、ようやく横断歩道を渡りきった。そうして、また私たちの信号が青に変わり、キタムラはゆっくりとアクセルを踏んだ。

私は、恐る恐る、口を開いた。

「あの方、なんて?」

キタムラは、少し解せないといった表情を浮かべて、こう言った。

「ずっと、『すみません、すみません』って……。『ありがとう』でええのに」

ただ、私には、痛いほど彼の気持ちが理解できた。

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