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「車椅子界の出川哲朗」に救われた夜。

「車椅子界の出川哲朗」と呼ばれる男がいる。いや、本家・出川哲朗さんに比べればちっとも面白くもないし、人間ができてもいないのだが、とにかくリアクションが大きく、やたら威勢がいいので、いつしかそんなあだ名がつけられた。

寺田ユースケという。

彼との出会いは、かれこれ6年ほど前になるだろうか。私が登壇するイベント会場の車椅子トイレの前で待ち伏せをされ、「これ読んでください」と、便箋何枚にもわたる直筆の手紙を渡されたのがきっかけだ。

その手紙には、彼自身は脳性まひで車椅子生活であること、関西学院大学を卒業した後にロンドンへ語学留学に行き、そこで障害者が平気でブラックジョークを言い放つTVショーに魅せられ、「僕もお笑い芸人になろう」と思い立って帰国し、吉本初の車椅子芸人としてデビューしたばかりであることなどが綴られていた。

さらにその手紙には、子どもの頃からテレビに映る私を見ては、「障害があってもテレビの世界で活躍できるんだ」と、いつかスターになることを夢見ていたこと(私は決してスターなどではないが、少なくとも彼の目にはそう映っていたらしい)、そしていつの日か私のポジションに取って代わりたいという大胆な“宣戦布告”まで書かれていた。彼が、23歳になったばかりの頃だったと思う。

以来、弟子にした覚えなどないのに、私が出かける場所に「師匠、師匠」とついてくるようになった。そこまで言われれば放っておくわけにもいかないので、そのうち食事などにも誘うようになった。「頑張ってほしい」という気持ちで、渋谷にあるヨシモト∞ホールにまで彼が出演するお笑いライブを観に行ったこともあったが、これが致命的に面白くなかった。本人もその才能の無さに気づいたのか、それから一年ほどして芸人を辞めた。

「この先、何をしたらいいでしょう?」と相談されたので、「どうしたいのか?」と聞き返した。「何をしたいというより、有名になりたいんです」と言うので、ひとまず歌舞伎町でホストになることを勧めた。笑いのセンスはなかったが、しゃべりは悪くない。見た目もそこそこいい。車椅子がホストだなんて意外性があり、話題になるのではないかと思ったのだ。

かれこれ十数年の付き合いになる私の盟友でホストクラブのオーナーである手塚マキに相談したら、「面白いかもしれないですね」と私の“自称”弟子を受け入れてくれた。

源氏名は「クララ」。お客様の前で「立った、立った、クララが立った」とよろよろと立ち上がってみせるネタで店内を盛り上げた。膝の上のお盆に乗せてドリンクを軽快に運んだ。勘のいい読者の方はもうお気づきになったかもしれないが、私の書いた小説『車輪の上』は彼のことをモチーフにしている。


大事なことなので2回言うが、私の書いた小説『車輪の上』は彼のことをモチーフにしている。

仲間に助けられながら奮闘を続けていたホスト稼業だったが、もともと体力に自信のないなかで無理に体を張っていたせいか、いつしか肉体が悲鳴をあげ、2年ほどで店を辞めることになった。

人一倍の“鈍感力”を誇る彼も、さすがにこのときばかりは「僕には何の取り柄もないんですかね……」としょげていたが、伴侶探しの能力だけは長けていたようで、彼の友人たちが口を揃えて「おまえにはもったいなすぎる」と言うほどの素敵なパートナーと出会い、結婚した。

いまは妻・まゆみさんと二人三脚で『寺田家TV』というチャンネルを運営するYouTuberとして活動しており、登録者数1.8万人を超える人気チャンネルとなりつつなる。


そうそう、つい先日、私もこの『寺田家TV』に出演し、彼と「20m競争」をしたので、ぜひともチェックしてほしい。予想だにしない衝撃の結末に、きっとお腹を抱えて笑えることと思う。


まあ、そんなこんなで彼との付き合いも6年近くになるのだが、彼との付き合いを語る上では、どうしても忘れられない夜がある。まさか、彼の言葉に号泣させられる日が来るとは思ってもいなかった。

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