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【義足プロジェクト #22】 義手がついた。思いのほか、それは「エモかった」。

 四月十日。

「おはようございます」

 午前十時半、いつも通り理学療法士の内田氏が訪ねてきた。窓の外では、例年よりもずいぶん遅くまで生きながらえた桜の花が、ようやくその役目を終えようとしていた。この部屋に平行棒が設置されて、まもなく一年を迎えようとしていた。

 あのころは、ソケットと足部をパイプでつないだだけの短い義足だった。それを履いて歩く姿はまるでドナルドダックのようだったが、いまでは最先端のロボット義足を装着し、身長も一六〇センチにまで伸びて人間らしい立ち姿になってきた。思うように上達しない日々に苛立ちを覚えていたが、こうして一年間というスパンで振り返ってみれば、上々のできなのかもしれなかった。

「じゃあ、今日もストレッチから始めましょう」

 内田氏の声かけで、私が仰向けに寝転ぶ。太ももに手を添えて、少しずつ負荷をかけていく。「痛くないですか?」と聞いてくる彼に「だいじょうぶ」「ちょっと痛いかも」などと返しながら、太もも周辺の筋肉を伸ばしていく。

 三月からメニューに加えられた上半身のストレッチも入念に行われた。内田氏は私の背後から両手をまわし、私の胸とみぞおちのあたりを軽く指先で押し込む。彼が八の字を描くように上半身を揺らすと、私の上半身もぐねぐねと左右に揺れた。体幹の「回旋」と「側屈」の可動域を広げることは、来月にも導入される「義手」を活用した歩行に向けての準備段階と考えられていた。

「だいじょうぶです。ストレッチを続ければ乙武さんの上半身は柔らかくなりますよ」

 私の肩に手をあてた内田氏は、そう言って励ましてくれた。

 ストレッチが終わると北村に義足を装着してもらい、平行棒の間に立つ。三往復ほど歩いたあとで平行棒の外に出るのはこれまで通りだが、四月になっても右足が突っかかる悪癖はなかなか改善されなかった。


「あっ、ダメだ」

バランスを崩し、情けない声をあげる。左足はスムーズに前に出るのだが、どうしても右足が出ないのだ。ソファを利用しての筋力トレーニングも続けていたが、なかなかその効果が表れてこないのがもどかしかった。

 原因はわかっていた。体重がうまく左足に乗っていないのだ。左足に体重をかけ、左足一本で立っていられる時間を少しでも長く確保することができれば、右足ももう少しスムーズに出てくるはずだった。ただ、脱臼している左の股関節を無意識のうちにかばっているせいか、思いきって左足に体重をかけることができないまま、力任せに右足を振り上げてしまっていた。これでは「歩く」というよりも「引きずっている」という表現のほうがふさわしい。

ゴールデンウイークが開けると、プロジェクトリーダーの遠藤氏からメンバー全員に「乙武プロジェクト ロードマップ」と題したメッセージが届いた。

「いままでに存在しない、未来の当たり前を作る」という文章から始まるそのメッセージには、各メンバーが果たすべきミッションが記されていた。私のところには「歩くことをあきらめかけている障害者に歩くという選択肢を提示し、社会的弱者に住みやすい社会を示す」とあった。なかなか上達しない歩行練習に心折れかけていたが、あらためてこのプロジェクトの原点に立ち戻ることで闘志がかき立てられた。

「ロードマップ」というタイトル通り、秋までのスケジュールも書かれていた。

[五月] 膝のスイッチをオフにした状態(膝の曲げ伸ばしを自力で行う状態)での練習

[六~八月] 片足で間をとる練習、膝の屈曲方法の体得、バッテリーを外して練習

[九月三日] 超福祉展で進捗を報告

 超福祉展――あの会場でプロジェクトを初披露してから、もう半年が経とうとしていた。今年も、超福祉展での報告会がひとつの山場となることが、メンバー一同確認された。


五月十五日。

 ついに「義手」が完成した。

 私の身体の三重苦の一つである「腕がない」ことを克服するための練習が始まるのだ。わが家を訪れた義肢装具士の沖野氏が、キャリーケースから二本の義手を取り出した。その義手は、肩全体を覆うソケットからステンレス製のパイプが伸びただけの単純な構造で、幼少期にさんざん義手を使って物をつかんだりする練習をしてきた私にとっては、「え、これが義手……」と拍子抜けするほどシンプルなものだった。

「あくまでも試作品のようなものだと思ってください。安定した歩行のために手でバランスを取るための義手なので。ちなみに、一本あたり約四〇〇グラムになります」

 沖野氏によると、この義手は、パラ陸上四百メートルの日本記録保持者・池田樹生選手をはじめ、多くのアスリートが使用しているものと同じタイプだという。池田選手の義足や義手も沖野氏が担当しているそうだ。

「池田選手は、右足は膝下まで、右腕は肘までしかありません。もともとは義足だけで走っていたのですが、三年前、もっと速く走るためには義手をつけたほうがいいと提案しました。義足と義手の相乗効果で記録を更新し続けていますが、乙武さんにもぜひ、義手の効果を体感してほしいと思います」

 以前に紹介した佐藤圭太選手は私の「兄弟子」に当たると紹介したが、この池田選手も私の兄弟子ということになる。兄弟子を日本記録へと導いた義手に、私もあやかることができるだろうか。

 ところが、この日の練習のことを私はほとんど覚えていない。というのも、義手を振り回しては両手をカチャカチャとぶつけ合ったり、フローリングの床をトントンと叩いてみたり、あまりに「義手をつけた」ことによる印象が強すぎて、そのあとの歩行練習のことが記憶に残っていないのだ。

 このときの心情を、私は当時の記事にこんなふうに記している。

 だが、こうした腕に対する感傷に浸る余裕など、翌週の練習ではすっかり失われることになる。

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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116

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