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鉄砲持ってさ、鹿撃ってさ、肉食ったって話 その2

☝️その1はこちら

2月末、オホーツク振興局の猟期の終わりが近づき、一度ぐらいは猟にでようといざ出陣。

私の周りの強者たちは結構気軽に「鹿獲ったよ〜」っていうもんだから、若干舐めてた。今振り返ればそう思います。

遊歩道ではなくただの森、傾斜もそこそこある中を歩くわけですが、足元は慣れないスキー、肩には想像してたよりも重い鉄砲。うまく歩けるはずもなく着いていくのに必死でした。

...

わたわたしながらも歩くこと1時間、日当たりの良い開けた斜面に鹿の姿を発見。距離は、まだ射程外。

「静かに距離を詰めるぞ、すぐ後ろを着いて来い。」

少しずつ歩く。スキーを滑らせて転けないように、音を立てないように、木の影に隠れながら。

鹿が気づく。少しずつ距離を取られる。

近くにある木を支えにして構える。

動く鹿、重たい銃、慣れない体勢、足元のスキー

スコープの中に入ることもなく、鹿は走り去っていく。


「モタモタするな。」


モタモタしないってどういうことだろう。

森の中では、いつ鹿が出てもおかしくないわけで。きっと、「いつでも撃てる意識」が私には足りていないのだろう。

射撃場のように作られた台は森の中にはなく、そこら辺に立っている木を支えに銃を構え撃たなければいけません。それが思っていた以上に難しい。
当たり前ですが木の形は違うし、自分の目線に銃がかけられる枝があるわけではなくて、足元の雪が崩れればまた高さが変わります。
そして、鹿は動く。

一歩一歩進むたびに、目に映る木をどう使うかを考えることにしました。
(木の影から鹿が出てきたら、この木のここを使って銃を構える...。あっちは...)
そう思いながら歩いたら自然と呼吸が整って、体も心も準備ができてきます。歩くスピードも。

...

歩くこと、また40分ほど。

何度も斜面の上に姿を見せる鹿。撃てない距離・角度をわかっているのか、こちらを見ながらひょいひょいと駆け抜けていく。

道を抜けたところにあった開けた斜面に、鹿2頭を発見。

少し距離を詰める。
鹿が重い腰を上げる。
斜面を登っていく。

木の枝分かれのところに銃を置く。

スコープを覗くが、鹿を捕らえることができない。

白い斜面だけが映る。

「205m、撃たなきゃ当たらないぞ。」

間違いない。

そう思った時、スコープの丸に鹿が映った。

射程距離、引き金を引く。

キーンと耳鳴りが響く中、鹿が倒れた。

鹿を撃った場所から。米粒ほどの鹿を見つけることができるだろうか?

倒れた獲物を見た時、「これが狩猟民族の気持ちか...」と思いました。ワクワクというにはもっと血の巡るような赤くて黒い色をした何かで、今からこれをさばきどう食すか、角や皮をどうするか、目の前の絶命した鹿は、私にとって宝物である他ないのです。

手際よく血抜きをして、鹿を持って帰る準備をします。立派なオスジカだったので、角も切って持ち帰ることにしました。

さっきまで野を駆けていた鹿を背負って、来た道を戻っていきます。汗だくになって歩き、やっと道路まで出て広がっていた海は、やっぱり真っ白できれいでした。

さて、頑張って持ち帰ったお肉はとりあえず血抜きをして、それぞれ使いやすいように切り分け保存していきます。

狩猟する友人が「田舎のスローライフなんて言えない。毎日生活することに必死。」と言っていた気持ちがわかりました。

鹿は食べるには硬い筋が多く、取り除かなければいけません。また、解体の際に毛が肉についた場合は、衛生的にそれも取り除かなければいけません。


保存する鹿肉をトリミング(筋部分を取り除く作業)をし、いい感じのサイズでラップに包み保存する。この作業を仕事に行く前にパパッとやったり、帰ってきてから銃のメンテナンスをしたり、どんだけ時間があっても足りない日が続きました。

血抜きも終わって保存もひと段落した日、鹿肉を食べようと思いました。自分が撃った鹿のお肉を。

その日の仕事はそこそこに終えて、朝のうちに自然解凍していた鹿肉を切り分けます。フライパンに油をしきニンニクを炙ってからお肉をジュワ。シンプルに塩胡椒でどぅぞ。


食べた感想としては、今まで食べた鹿肉の味がしたし、いつもと違う味がちょっとだけしました。


「いただきます」って皆さん言葉にしますか?

「いただきます」と言った時に思い浮かべることは、なんでしょうか?

私は、人の顔であることが多かったと思います。

モノ自体の性質よりも「どんな人が関わっているか」やストーリー性を重視している中、恐らく食べ物もそうでしょう。

しかしながら、この鹿肉、関わった人間は私と連れ出してくれた方の2名だけ。そもそも生産者や調理人などというカテゴリの人は、この鹿にはいないわけで。

鉄砲持って、鹿を撃って、今、そのお肉を食べてるんだなぁ、と。
ただただそう思いました。

その事実を確かめながら食べた鹿肉の味はいつもと一緒で、ちょっと特別でした。

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