朝鮮半島における演劇の歴史的展開~伝統芸能としての演劇の観点から~

 上演芸術における演劇は、通常、劇場において観客に対して俳優が物語等を演じるという構造を備えている。この観点から、朝鮮半島における演劇は、20世紀初頭以降の近代演劇から始まったといえる。ただ、伝統芸能からみると、視聴衆に対して演じる行為という意味での演劇は先史時代から始まり、様々な影響を受けながら発展してきたとみるべきである。
 この広義での演劇は、近代演劇の出現以前では、「古代」「中世」「近世」の時代区分にわけることができる。
 古代ではまず、他の民族の歴史と同様に、祭礼の要素を切り離すことができない。朝鮮半島では、巫堂が主宰するシャーマンの祭儀「クッ」において、巫歌や踊りで神を楽しませる。これらには物語性はみられないものの、身体表現に一種の演劇的な要素が伴っており、演劇の端緒となったといえる。
 三国時代、統一新羅時代と進むと、仏教伝来を通じ、主に中国から芸術や技術を受容しながら、自国の民族性に合わせて変化させていく。特に、中国の「散楽百戯」を多様化した自国風の「歌舞百戯」が盛んとなり、仏教行事中で演じられた。追儺儀式から生まれた仮面劇「処容舞」、霊魂慰撫の儀式を由来とする剣舞「黄倡舞」には、自国風演劇への萌芽がみられる。
 次の中世は、ほぼ高麗時代にあたり、仏教が国教となったため、仏教行事での演舞が重要になる。新羅時代から伝わる八関会や燃灯会の仏教行事後に、処容舞のような演目が演じられた。また、中国からの影響を受けて宮中儀式に儺礼が導入され、中国風儀式を真似たものだが、処容舞が演じられるなど自国独自の特徴を有したものでもあった。
 高麗後期には、蒙古侵入といった影響も受け、雑戯が演劇形態の主要なものとなり、宮中を中心に、歌舞百戯などが簡易舞台で演じられる「山台雑戯」が代表的となっていった。それらは末期以降には、仏教行事や儺礼での祭祀的性格が薄れ、より演劇的な性格が強くなっていく。
 続く近世は、李氏朝鮮時代にあたり、斥仏崇儒のもと仏教行事は廃止され、国家行事として儒教様式の宗廟大祭と儺礼が行われた。華やかで優雅な祭礼楽や舞が愛好されたが、一方で、次第に公儀が廃止される方向へと進んだため、多くの俳優(広大)が地方に流浪し、庶民性豊かな演芸が流布することになった。男寺党による仮面劇や人形劇をはじめ、様々なものが民間で演じられたことは、近代の朝鮮演劇への発展の一助となった。
 李王朝の独自文化を特徴づけるものとして、ハングル制定とともに、パンソリの誕生があげられる。17世紀末頃から形成された、歌い手が太鼓のリズムに合わせて物語を語るという独演の語り物で、演じることを重視する演劇的要素をもつ。パンソリは、朝鮮文学最高の作品ともされる『春香伝』といった名作を生み出すなど、近代演劇の誕生とその後の発展に大きな影響を及ぼした。
 このように、朝鮮半島においては、古来の祭祀や仏教・儒教の行事を由来とし、中国などの影響を大きく受けながら、独特の演劇的要素をもった伝統芸能を育み、近代・現代の演劇をはじめとした自国の上演芸術に結びついていったのである。

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