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バーチャルとリアルの狭間

Zoomで会合を開く機会が増えている。診断士の研究会の多くは、Zoomで開催されていて、3月から立て続きでZoomミーティングに参加するようになった。気付いたら、自分で有料版のアカウントを取っていた。

勤務先にはTeamsの活用が始まっている。昨年10月からslackとの対比実験を繰り返してきたが、結果、Teamsを導入した。3月末からスタートしたが、あっという間に使う人が増えている。

そのslackだが、関連会社の顧問とのやり取りに利用してきた。また、自分が管轄する部署内の連絡には、諸般事情でslackを使っている。

最近の主だったものはすべて使っている形である。

数年前、Skypeやハングアウトを利用してミーティングをした時には、使い勝手の悪さに閉口した。チャットワークを使ったこともあったが、使う意味がよくわからなかった。その後、メールとFacebookですべてを済ましてきたのだが、必要に迫られて使ってみれば便利さも理解できた。最近、Skypeを使ってミーティングをする機会があったが、数年前と使い勝手が違い、その進歩に驚いた事もあった。僕が忌避している間に、いろいろなものが進化していたのだと思う。


従来やってきたことの8割は、WEBでできると思える。診断士の研究会なら9割方できると思うし、仕事・業務として考えても6・7割はできるだろう。
さらに、従来はできなかったこともWEBでは可能になった。遠隔地の人とも一同に会せるのはWEBの大きな魅力。空間を超えてつながれるメリットは大きいと感じている。

しかし、リアルに顔をあわせないとできないこともあるはずだと僕は信じている部分がある。情報伝達やすでに見知った人間同士のつながりであれば、WEBでかなりのところまでフォローできるだろう。しかし、初対面の人との交流をどうするのか。単に知り合いになるだけならいいかもしれないが、より深いつながりを求めるなら、リアルの場は欠かせないと思うのである。

それに、ライブの場でしか生み出せないグルーブ感があると僕は思っている。これはその場にいる人たちの反応に応じて登壇者のパフォーマンスを変えていくことで生まれてくる。Zoomなら、チャットを使った双方向性で、という話もあるが、それだけではない、生身の反応にどう対応するか、はライブでなければ醸し出せない。

しかし、である。いままのでライブ-診断士の研究会や業務上のプレゼンなど-で本当にグルーブ感が出せている機会がどの程度あったか考えると、心許ないのは確かだろう。一度も感じたことはない、という人がいてもまったく不思議ではない。

だから、これからのリアルの場、ライブの場は、単なる情報伝達であってはいけなくなると思っている。情報伝達だけであれば、WEBで十分である。あえてライブでやる価値を提供できないとライブでやる意味はなくなってくるだろう。そこを踏まえて、リアル・ライブとバーチャルを使い分けていかなくてはいけないと思う。

ただ、グルーブ感はライブの経験を積み重ねないとなかなか出てくるものではない。ライブの機会が減れば、グルーブ感を出せる人は減り、さらにライブの価値が下がることも考えられる。ライブの場に立つ人は、いままでとは違う状況を迎えていることを自覚し、バーチャルの場と違う価値を提供するように意識しないといけなくなるだろう。

映画やテレビが発達しても、舞台演劇はなくなっていない。レコード・CDが発展してもライブ演奏はなくならない。同じように、ライブの価値は残るはずだ。残らないとしたら、ライブをする人間の意識が変わっていないこと、そして情報伝達で事足りると思う人が増えている、ということなのだろうと考えている

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