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コモンズ投信 社会起業家フォーラム

世界中には色々な人間がいて、様々な愛情の形がある。違う生活があり違う生き方がある。自分の知らない世界を教えてくれる。それが映画だということを知った。

昔読んだ本の一節です。

10月5日に開催された、「コモンズ投信 第11回社会起業家フォーラム」に登壇された、NPO法人 World Theater Project 代表である教来石小織さんのお話を聞きながら、この一節を思い出していました。
World Theater Project は、途上国に暮らす子ども達に移動映画館で映画を届ける事業をされている、NGO団体です。

途上国への支援で「映画」を届ける意味が最初はわかりませんでした。食糧や教育への支援が先に思い立ちます。しかし、教来石さんのお話を聞いて納得できました。途上国の子どもの多くは、自分たちが住んでいる世界の外を知りません。今いる場所が世界のすべてだと思っているわけです。それで持てる将来の夢は、ごくごく限定されたものになるのでしょう。可能性はもっとあるはずなのに、外の世界を知らないわけですから、広がりようがありません。

映画は外の世界を見せます。自分たちがいる世界がすべてではないことを教えてくれます。考えてみれば僕たちも、映画からたくさんのことを教わってきたように思います。少なくとも僕はそうです。それが、冒頭に引用した言葉に込められているのです。


コモンズ投信の「社会起業家フォーラム」は、こうした社会課題に立ち向かっている起業家がその想いを発表する場です。むろん、一方的に発表するだけでなく、起業家と我々とを繋ぐ橋渡しをする場でもあります。そうした場をコモンズ投信が用意してくれているわけです。すでに11回目。僕は3年前と昨年、今年と3回目の参加でした。

毎回、登壇される方の志や想いに感動します。自分もなにかしなくてはいけない、と揺り動かされます。それは寄付を積極的にすることだったり、いまの自分のポジションで取り組める社会課題はなにかを考えることだったりします。

一方で「社会起業家」という呼称には違和感を覚えるのも変わりません。どんな企業であれ、ちゃんと企業活動をしていれば何らかの社会貢献をしているはずです。「すべての商品は問題解決のために生まれてきた」のです。ただ、「社会起業家」として「起業家」と区別しなくてはいけない事情があったのだろうとは思います。2000年代前半、「起業家」と言えば、株で儲けて六本木ヒルズに住んでいる胡散臭い連中、というイメージがありましたから(苦笑)

しかし、もうそんな時代じゃないと思います。意識を変えていかなくてはいけません。そうでないと、たとえば「NPO(Nonprofit Organization)」の「Nonprofit(非営利)」が儲けてはいけない、ボランティアで行なわなくてはいけないとの意味に受け取る誤解がいつまでたっても解消されません。もっと堂々と「弱者を支えるために、弱者を支える人を支えるために、金儲けをする」と言える社会にしていきたい思います。活動にお金がかかります。補助金や寄付はもちろん大切ですが、それだけでは限界があるでしょう。「事業」として自分たちで稼ぎを生み出すような方向に向かって欲しいですし、診断士としてそのためのお手伝いがしたいとは強く思っています。

もう一つ、プレゼンスタイルを見て感じたことがあります。登壇者は、PowerPointなし、手持ちの資料もなし、マイク一本で7分間、話をします。むちゃくちゃ大変だと思うのですが、だからこそ想いがダイレクトこちらに伝わってきました。僕が普段やっているプレゼンは、いかにパワポに頼り甘えていたか、知識やスキルを伝えることに偏り、本当に一番伝えたいはずの想いを伝え切れていないか、痛切に感じました。なんか、テクニックに走っていたかもしれないと思ったのです。このスタイルでプレゼンをする会、診断士仲間と作ってみたいと思います。


参加すれば必ず考えさせられる宿題を渡される「社会起業家フォーラム」。来年も参加できるよう、いまから日程を調整しておくつもりです。

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*登壇された方の団体のリンクを下記に列挙します。どの方の発表も心動かされるものがあったのですが、個人的な興味関心からか、紹介した教来石さん以外では、難民問題にとりくむ「NPO法人 WELgee(ウェルジー)」の渡部清花さん、「CPRトレーニングボトル」の提供、販売、講習をしている「一般社団法人 ファストエイド」の玄正慎さんのお話は心に残りました。特に難民問題は、日本人として恥ずかしい思いをする事件が続いているので、渡部さんの取り組みには共感したんだと思います。


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