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その年、私たちは

 ゆるりゆるりと見て完走。映像が綺麗で演出も繊細かつオシャレ、テテの曲をはじめとするostも素晴らしく、綺麗なドラマでした。1話ごとのタイトルが映画やドラマのタイトルを真似たもので、そんな映画やドラマをオマージュしたシーンもちょこちょこ見られたみたい(私はラブ・アクチュアリーと500日のサマーくらいしか分からなかったなぁ)。初夏を思わせる爽やかな黄色と青が各所でうまーく使われていたり、互いの曖昧な記憶をスニーカーで表現したり(同じ回想シーンでも、ヨンスとウンそれぞれの回想では履いている靴が違う)など、2回目もまた見たくなるような工夫が沢山ありました。他にもあったら教えてほしい…

ドラマみたいな素敵な恋愛体験したこともないのに、自分のことみたいに胸が苦しくなったり、切なくなったり。誰しもヨンス、ウン、ジウン、NJ、チェラン…誰かと同じ思いをしたことがあるからだと思う。


 常にヨンスはウンを、ウンはヨンスを見ていた。そばにいるときも、離れているときもずっと。ウンがヨンスにかける言動ひとつひとつに愛があってあたたかかった。ヨンスが求めていた「愛している」という言葉がずっと言えなかったウンだけど、「愛している」は様々な言葉に形を変えながら、常にヨンスを包み込んでいた。ヨンスも同じで、ep6にヨンスがウンにかけた「私が捨てられるのはあなただけ」という言葉。初めて聞いた時はとても冷たく聞こえていたのに、本音を知ると、ものすごい愛に溢れていると気づく。「好き」とか「嫌い」とか、「一緒にいたい」とか「愛している」とか、ダイレクトに思いを伝える言葉ってたくさんあるのに、それらを使わずに本質を伝えようとするとこんなにもロマンティックになるのね、。ドラマ内のひとつひとつの言葉たちが素晴らしくて愛おしい。言葉ってものすごく美しい。私は韓国語を全く理解できないので、翻訳された言葉しか分からないけど、翻訳前の言葉のニュアンスとかどんな感じなんでしょうか。気になります。ヨンスがウンのことを「チェウン」「ウナ」「ウニ」とかいろんな呼び方をしていたけど、あれって日本でいうとどんな感じなんだろうね。ドラマを見るといつも気になってしまう。

話は脱線したけど…。このドラマは誰もが優しかった。だからこそみんなに報われて欲しくて、幸せになってほしいと願った。ただただ優しい物語でなく、皆が苦しさを抱えていたし、何かが欠けていた。この生きづらい冷たい世の中を、ただただ平凡に生きたいと願い、自分で自分の人生を切り開いていく、歩いていく。そのために少しの勇気を、強さを、私も持たないと。この息苦しい世の中で少しの幸せを自分で見つけなければ。そして誰かを愛することを、幸せだと思えたらいいな。

最後のシーン。建物しか描かないウンがはじめて描いた人物がヨンス。人の気持ちは変わると思っていたウンが、変わらない気持ちがあることに気づいたからなのか、変わりゆくものも受け入れられる成長をしたからなのか。どちらにせよウンは初めてヨンスと出会った瞬間をずっと覚えていて、「その年、私たちは…」に繋がる言葉を幾つでも紡ぎ出せる。

欲を出さないようにしながらもウンが唯一執着し、離さなかったのがヨンス。そんなヨンスは手放せるものがウンしかないほど、ウンが全てだった。
私もこんなに誰かを愛せるのだろうか。そしてこんなにも誰かを愛することが自分の幸せだと思えるだろうか。

最後に私の大好きなシーンをひとつ。
回想シーンから、ウンのことを揶揄う先輩たちに抗議するヨンス。この時のウンの顔がめちゃくちゃいい。ヨンスのことを愛おしく、可愛く、誇らしく思うウンが堪らなくかわいい。チェウシクすごい。

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