承認欲求について(SNSで叶える変身願望)

昨日の帰宅時、戸田真琴さんのノートを読んだ。中学生の無謀な行動を起点に、SNSにおける承認欲求の事を書かれたエッセイだった。

勇気を与えたいんじゃなくて、「何者か」になりたいだけなのだ、たぶん。
(引用:戸田真琴 「SNSで死なないで」)

彼女は、インターネットで不特定多数に無謀な挑戦を発信した中学生をそう評価した。

有名な何者かになりたい、とりわけSNSでいいねやスキ等の「数値化された自身の評価」が多い特別な人物になりたいという感情は、至極平凡な感情だと思う。学校で貰った成績表と同じように、ゲームのステータス画面のように、客観的に自分の価値を確認することが可能で、所属レベルの設定ができるからだ。そして人は社会生活を営む上で、周囲から認められている・レベルが高い・特別な人/物事は、優遇されている事が多いと知っている。

更に、輝かしい経歴を持ち、派手な世界を渡り歩いている成功者が平凡な出自から始まっていると分かってしまえば、その人を参考に自分も全く同じ成果を得られるのではないかと--努力と苦労を一足飛びに憧れの人へと容易に「変身」できるのではないかと--思うのも、当然な事なのだと思う。
少なくとも私は、何度も考えた事がある。幼少期から「ごっこ遊び」は大好きだし、苦労せず成果は得たい。

そうした変身願望が、インターネットにより視界が開けて、より多くの他人の生活や思考を垣間見えるようになってしまった事で、助長されているのだと思う。
目前の人が持つ「表現外の面」について感知する事が出来なくなってしまっているのだと感じるからだ。理想の部分だけ読み取り、組み立て、憧憬しているのではないだろうか。
発信者が表現しきれていない感情や過程を推察する事自体が難しい状態に陥ってしまっていて、仮初でしかない【「特別なもの」に似たような何か】を発信するしかできない自身に焦りと劣等感を感じるのでは無いだろうか。

だからこそ、数値で表される他者からの評価に振り回されてしまっているのではないか。

社会を生きる上では、他人からの評価もある程度必要なものである。であれば気にしてしまうのも当然である。
しかし、他所からの評価に自分の軸を委ねる生き方をしなくても良いのだと、地道に普通に生活している面も含めて「今、ここ」に居る自分を肯定して生きていいのだという戸田さんの言葉は、とても温かかった。

フォロワーぜんぜんいなくても、友達ぜんぜんいなくても、町中でだれもあなたのことを知らなくても、いいねが一個もつかなくても、そんなことは、どうでもいい。あなた自身の価値は、あなた自身とあなたが大切にしている人たちだけの中で柔らかく、情けたっぷりに愛情加点たっぷりに下されるべきもので、それ以外は、べつにどうと思わなくてもいい。
(引用:戸田真琴 「SNSで死なないで」)
ちゃんと生きていることだけであなたが美しいといつも知っているから、誇り高く生きていようね。
(引用:戸田真琴 「SNSで死なないで」)


情報の海の中から効率的に成功例を集める為に、過程を飛ばして結果を急ぐ事が増えてしまってはいないか。
地道に努力し苦戦している場面、試行錯誤し悩んでいる場面が描かれた文字は、目が滑ってしまっていないか。

表面的な理解と真似だけでは、他人に成り替わる事なんて到底無理なのに。

…どちらも私の経験談である。そしてこのノートは自戒だ。
一日を積み重ねていく自分の人生。自身を軸に、地に足付けて、焦らず腐らずコツコツ真っ直ぐと。

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