【ネタバレ】シン・エヴァンゲリオンを観た

先に書いておくと、自分は熱烈なエヴァファンでもなく、ただ中学生の時にみてちょっと拗らせただけの人間です。
観た直後の感無量な状態だが気持ちをまとめるためにも書く。

率直な感想

「シンジくんが大人になってしまった…」

詳細
中学生の時に観て以来自分をアニメに引きずり込んだ作品が明確に完結してしまった。
率直な感想では大人になってしまった…とか言ってるけど不快な感触は全くなかった。むしろとても爽快な終わり方をした、完成度の高いエンタメ作品だった。

そう、エンタメ作品になってしまった。
あのエンタメ通り越してまるでカルトのようになっていた旧シリーズが、爽快感を伴うエンターテイメントになっていた。

このことに対して、喜んで受け入れるべきだと思いながらも、とてつもない寂しさを感じてしまっていた。
10年待たされていたと思ったエヴァが、自分より先に大人になっちゃってたからだ。

初めてエヴァに出会った中学生の時、同い年な上に内向的な点にも共通点を感じ、碇シンジに自分を重ねながら観ていた。
とかいいつつ、自分はここまで根暗ではないとか思っていた。
碇シンジに自分の中の幼さを投影しつつも、比較して自分自身を見て見ぬ振りすることで情けない安心を得ていたのだ。

そうやって都合の悪いイメージを彼に押し付けてできあがったのが自分の中の碇シンジ像だった。
旧シリーズまでは彼はそのイメージを常に体現してくれていた。
基本的にされるがまま、口数が少なく自分の意志が無さそうで、辛いことがあると塞ぎ込んでしまう。
少しやきもきしてしまうが、これが安心できた。
碇シンジはこういう人間で、エヴァはこういう物語なんだと解釈していた。
こういう人間が主人公の物語が存在していることが、情けない自分を安心させてくれていた。
とか思っていたが、シン・エヴァンゲリオンを観て胸がざわついてしまった。

「シンジくんが大人になってる!!!」

今までの碇シンジは言われたことをこなしてはいたものの、行動の責任が常に他人にあった。(基本的に同情の余地がありすぎる状況ではあるけども。)
そんな彼の口から責任は僕が取るとか聞こえて耳を疑った。シンジくんはそんなこと言わない。

映画みてたら言うまでもないが、紛れもなく友人たちからの無償の愛情のおかげだろう。
エヴァで愛情のおかげで立ち直れたとかいう展開が起きるとか夢にも思っていなかった。
ここだけでなく、以降でも旧シリーズの歪んだ愛情とは一線を画す愛情を感じさせる表現が多い。
庵野監督の心境の変化がすごい。

終盤につれて伏線が次々に解説されていく中、楽しんではいるものの内心焦りのような感覚を覚えていた。
終わってしまう。
10年分の時間を3時間で追い越されていってしまう。

エヴァンゲリオンの中の子供たちはこの10年間でとても成長していた。
子供のように内面に閉じこもったまま理不尽な世界に飲み込まれるのではなく、自分自身と向き合い、他者と向き合って世界を変えようとしていた。
そのために10数年の準備が必要だったのだ。

素晴らしいことなのに何故だろうか、手放しで喜べない自分がいる。
自分の中の碇シンジ像が崩れ去りそうになりながら、この自分の中の碇シンジ像が紛れもなく自分自身であることに気づいた。
しかし、自分自身の幼さ故にそれを認めきれずにいる。

旧シリーズまでの碇シンジは常に受け身で、自分の意志が無いようにも思えるほどだった。
だからこそ感情移入できる主人公でもありながら、巻き込まれるだけの傍観者のような役割も担っており、それがエヴァンゲリオンの独特な没入感の一助になっていたと自分は考えている。

視聴者は碇シンジという行き先を決めない潜水艦を通して、エヴァンゲリオンという底の無い深海の中で永遠に潜っていられた。
それが今回で急に舵を取り始めた。
進路の先に求めているものがある人間に取っては喜ぶべきだが、ただ潜っていることが目的の人間に取っては辛みがある。
自分は違うと思っていたが、どうやら後者だったらしい。

これはつまりエヴァンゲリオンという作品が変わってしまった、完結してしまったということに他ならない。
とても寂しい。10年ぶりにあった旧友がいつの間にか子連れになっていた気分だ。

自分はこの10数年間で大人になれたのだろうか?
こんな文章書いてるくらいだからなれてないのだろう。
寂しさはあれど旧友が大人になったことを喜べるくらいには大人になりたい。
そのために必要なものを与えてくれた、まさしく福音のような作品だった。

生きててよかったなと思う。
ありがとう、さようなら、全てのエヴァンゲリオン。

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