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小説 | 島の記憶  第3話 -唄-

前回のお話


村の私たちの住まいには、簡素な機織り機があった。天井からつるされた縦糸の前に座り、横糸を使って複雑な模様を織り込んでいく。おばあちゃんと叔母さんは機織りが得意で、美しい文様をいくつも編み出しては村の人々の服や壁用の布に仕立て上げていった。


機織りでもう一つ重要なのが、古くから伝わる唄の歌詞を布で織り出すことだった。


村には古くから「初めの人」と呼ばれる男性の話が伝わっていた。私たちの遠い祖先だ。その祖先の生い立ちと、村がどのように発展してきたか、子孫の名前は何だったか。それが長い歌詞として残されている。その歌詞を記録し、神殿や村のそれぞれの家で保存しておくためにおばあちゃんたちは定期的に歌詞を織り込んだ布を作った。


幅の広い縦糸を前に、おばあちゃんが作った目印をもとに文字を織り込んでいくのは、骨が折れる作業だったが、機織りは私の性に合っていた。白と赤の横糸を組み合わせ、少しずつ織っていくとやがて文字が少しずつ布に浮かび上がる。少しずつ着実に布ができていき、歌詞が模様として浮き上がってくる様を見るのは、半日織機の前で手を動かしていた後では今日もやり切った、と思えるものだった。


今織っているのは、こんど隣村の娘と結婚する予定の従兄に贈られるもの。少しでも完成度を上げるために、私は隣で手を動かして一緒に織っているおばあちゃんの手元を何度も確認し、布の出来上がりがそろっているかを確かめた。


機織りが一区切りつくと、今度は唄のお稽古が始まる。「初めの人」の歌を覚えるためだ。


先生は私の叔母さんで、毎日一対一でお稽古をつけてもらっていた。叔母さんは山の神殿で巫女をやっており、宴や神事の時に唄を披露する役目を担っている。私は小さいころから叔母さんに「いずれあなたが引き継ぐんですよ」と言われて育ってきたが、それがどういう意味を持つのか、深く考えたことはなかった。


歌詞の初めの方は、村の「初めの人」が歩んできた冒険物語で、小さいころに歌詞を教わり始めた頃は、聞いていてわくわくしたものだ。


海を越えてこの地にたどり着いた「初めの人」は、家を作り、山や海の幸を捕り、やがて近くの村にいた女性と結婚して子供たちができる。村の繁栄の歴史が歌詞に込められていた。


唄の後半は、「初めの人」の子供達とその家族の名前が何世代にも渡って出てくる。そして唄の最後の方には私達家族や村の人達の名前もすべて出てくるのだ。小さいころは、自分たちの名前が出てくると可笑しくてつい笑ってしまったが、叔母さんは笑わずにきちんと歌いなさいと、静かに諭したものだった。


この歌詞は、今私たちが使っている言葉ではない。古めかしい、今ではめったに使われなくなった古語で書かれている。


歌詞の意味は叔母さんやおばあちゃんから少しずつ教わっていった。物の名前やいくつかの単語の中には、今でも使われているものもあるが、それ以外は今では意味が通じなくなっている言葉ばかり。


一度、なぜ古い言葉で歌うのか叔母さんに尋ねたところ、「「初めの人」が今聞いても分かるようにね。」という返事だった。私たちの祖先の魂は、様々な形で私たちを見守ってくれている。そして、巫女の叔母さんや私に語り掛けてくれるのも、私たちの祖先なのだ、と叔母さんは言っていた。


叔母さんは朗々とした大きな声で唄を歌いあげていく。その真似をすることで、私は歌詞と節を覚え、声の出し方を覚えていった。歌詞を間違えると最初からもう一度唄いなおし。それが午後の半日、延々と続くのだ。小さいころからでなければ、こんなに長い歌詞はとても覚えきれなかっただろう。時々私の従妹たちがお稽古を覗きに来て、一緒に唄の練習をすることもあった。


大勢で唄った方が楽しいのに。子供心に私はそう言った。何かを長い間継承していくのには大勢の人が覚えていた方が良いんじゃないか、とも。もし私がいなくなったら、どの子が歌詞を覚えるんだろう、とも。


叔母さんは少し寂しそうな顔をして、そうねえ、と一言いうだけだった。


(続く)


(このお話はフィクションです)

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