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三国志で最も硬派な男

三国志からのこぼれ話です。
「英雄色を好む」ということわざがあります。

まあ、簡単に言うと仕事の出来る男は女性好きであるということですが、昨今のニュースを見ても納得できるところも多いのではないでしょうか?(もちろん人によるとは思いますけどね笑)

これは2000年も前から変わらないことで、歴史に名を残す武将達はもれなく女性が好きでした。

三国志の主役級である劉備は正妻以外に5~6人の愛人がいましたし、呉の初代皇帝である孫権も13人、魏の礎を作った曹操も16人程の愛人がいました。
少し時代は変わりますがモンゴル帝国を作ったチンギス・ハンに至っては子供の数が100人を超えており、愛人たちを1軍~4軍にまで分けて管理していたと言います。
現在も、チンギス・ハンの直系の子孫が世界にたくさんいると言われていて、その数なんと東京都の人口を上回る1,600万人です。

まあ、昔から仕事の出来る、権力のある男性はモテるということです。

ただ、そんな中で最終的に三国を統一した男、司馬仲達(しばちゅうたつ)は一味違います。

司馬仲達は魏の曹操に見いだされて出世していき、軍事と政治の両方を得意とした人物で、魏を攻めてきた蜀の天才・諸葛孔明を返り討ちにして魏の救国の英雄となり、最終的に三国による乱世を勝ち抜いて新しい王朝である晋の礎を作りました。
ただ、こんなすごい人物なのにこの司馬仲達を知っている人は凄く少ないんです。
それは仲達本人の性格によるものかも知れません。

司馬仲達はとにかく冷徹非道。一度でも仲達の反感を買えば一族全員抹殺される覚悟が必要でした。また、とにかく己の力への絶対的自信があり73歳で死去するまで唯我独尊の姿勢を貫いたと言います。

政治的にもとにかく抜け目なく、孫の代に渡って自分たちの一族の敵が現れない様に根回しを繰り返し一族の繁栄を保ちました。

そんな司馬仲達は浮いた話が特になく、生涯1人の妻で通した男です。
曹操は文学的才能にも恵まれていたため女性に対して素敵な歌を詠んで送ったりしていた記述があるのですが、司馬仲達は仕事人間。
書記に自分の妻の事を「老物(婆あ)」と書き記すなど、とにかく女性に浮かれた一面は残さなかったようです。

ただ、妻の張氏が亡くなった時にはかなり丁重に葬ったとの記述もあるので、案外心の中では大切に思っていたのかもしれませんね。

今の時代にはあまりいないタイプかも知れませんがこういう硬派過ぎる男というのは世の女性はどう思うのでしょうか?
意見を聞いてみたいものです。

ではまた!




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