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#10 Leap year

2月がホント一瞬で終わってしまった。
こっちでの生活にも慣れてきたからなのか
時間があっという間に過ぎていく。

共同研究を進めることになった
ラボメンバーと話しているときに
ふと、あれ?もう3月?
ってお互いに目を見合わせていました。

授業も慣れたもので、
英語が聞き取れないことは
段々無くなってきた気がします。
こないだ出会った
リバプールからの留学生のイギリス英語は
わけわからんかったけど…🥴

慣れてきたと言えば、寒さにも慣れてきた。
ただ、今年のスウェーデンの冬は
とても暖冬らしい。
とはいえ、ここ数日はマイナス気温の毎日。
それでも生活することは全然できるし、
ジム帰りなら少し薄着でも
家までの距離なら
耐えられてしまったりもする。

今年がうるう年だってことにも
当日に洗濯の予約が取れなくて
少し落ち込んだときに
日付を見て気づいた。

うるう年についてこないだラボの人と
話してたら面白い話が聞けた。
昔スウェーデンの暦に世界で初めて
2/30が存在したらしい。

よくよく調べたら少し面白い。

なんか暦を揃えるために、
生じたみたいだけど、
この日に産まれた子どもって
めちゃめちゃ貴重だなぁ
とか思ってしまった。

***

そして、ここにいるのは
あと何ヶ月なのかを
数えるようになってきた。

残りの期間に
何できるかなぁとか、
来る前にやりたいと思ってたこと
できてるかなぁとか。

少しずつ思い出しながら、
前に書いてたメモに目を通してみたら、
ワクワクする気持ちが湧いてきて、
まだやりたいことたくさんあったわ!!
ってなってるところ。

テストもあるし
研究も進めなきゃだし
申請書類とかも作らなきゃだし

色々やらなきゃいけないことが
積み重なっていますが、
共同研究も着々と頑張っていこう〜👊
って感じです。

***

2月は日本だとコロナウィルスの話題で
持ち切りだったんじゃないかと思う。
3月になった今も
トイレットペーパーの買い占めなんかが
起きてたりはするみたいだけど…

やっぱりスウェーデンにいても
コロナウイルスは話題に上がるもので、
冗談混じりにコロナウィルスの話が
友達との会話で出てくる。

スウェーデンだと、
南部の方で15人感染が確認されたと、
スウェーデンの日本大使館からの連絡が
昨日届いた程度で
それ以外は特に何も聞いてはいない。

自分がいるのはスウェーデンの中でも
だいぶ北の方だから
ウイルスがやってきても
死滅するんじゃないか?
とか思ったけど…

まさかのこのニュースの冒頭でも
取り上げられてるように、
ウメオ大学でコロナウィルスの研究が
進んでたみたいで、、、🙄

よくよく思い出したらウメオ大学って
遺伝子研究とデザインアートで
有名な大学でした。

こっちでコロナウイルスのことを
話していても、
日本で起きてることにどうしても
身近さ、親近感を感じられない。
自分はなんだか冷めてるのかな?
とか思ったけど、
なんだか違う気もした。

例えば、日本にいたときに
この地球のどこかで森林が燃えていたり、
どこかで発砲事件があったりしたとき、
どれだけ親近感を感じていただろうか。
自分自身も経験のしたことのあるような
「地震」ならまだ想像することができる。
けれど、ニュースから得られる情報だけを
頼りにしようとすると、
どうしても身近さを感じられない。

それとともに、
よくわからない不安に襲われる。
誰かが心配というよりも、

自分への驚異に対する不安

もしも近くの森で火災が起きたら、、?
隣町で発砲事件が起きたら、、?

正直思うのは、この感覚は自分自身が
どこにいても同じなんじゃないかなと。
ウイルスっていう
目に見えない脅威に対して、
ニュースからしか得られない情報を
頼りにするがゆえに不安に駆られる。

身近には感じているようで感じられない、
けれど情報だけは
有り余るほどやってくる。
だから、情報のどの部分が
切り取られてるのか全くわからない
だからこそ、
鵜呑みにしてしまうのかなと。

まあ、そんなことを遠くの地にいる
スウェーデンから
発信してるわけなんですが、
日本に帰る頃には
収束してるのか心配なところです。

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