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BLUE GIANT

*映画「BLUE GIANT」の内容に関するネタバレはないです。



「音楽の力」という言葉はあまりにもデカ過ぎて、そこまで使うべき言葉でないのかなと感じることが時々あった。それはコロナ禍真っ只中の時にテレビ(特に音楽番組)でやたらと使われてたことに少し違和感を感じたのが、自分の中では発端となった気がする。最初はこの違和感が上手く頭の中で言語化できなかったが、このような記事を見て何かが分かった。



「音楽の力」は恥ずべき言葉、という見出しだけでもかなりインパクトがあるなと思った。この記事で坂本龍一さんが言っていることはなるほどなと思い、「音楽の力」という言葉がテレビで多用されていることへの違和感が何だったのか少し分かった気がした。と同時にモヤっとする気持ちもあった。自分は音楽に力があることに感動していたのも間違いないからだ。oasisの「Don't look back in anger」をライブで聴くと本当に感動するのも一つである。この曲に関して言うと、2017年マンチェスターでのアリアナグランデのコンサートでテロ事件が起こった後、追悼の場である人がこの曲を歌いだすと、最終的にその場にいた多くの人がそれに続いて歌ったということも含めてだ。また自閉症の子どもがcoldplay のライブで「Fix you」を聴いて泣いている動画がネット上で拡散され、coldplay 本人たちに届くというのもその一つだと思う。これは音楽に力があることの証明ではないか、と思っていた。
果たして「音楽の力」という言葉は恥ずべきなのだろうか。




坂本龍一さんが亡くなったというニュースが出た後、彼のインタビューのことを思い出し、改めて「音楽の力」とは何なのだろうかと考えていた。



自分は映画「BLUE GIANT」を劇場へ合計3回観に行った。1回目観た後は、全人類観た方が良いと思い、珍しく複数の友人に勧めたぐらいだ。「絶対に映画館で観なさい」と言ったら既読スルーされたりもした笑(親友に)。しかし今となると、本当に自分の中で大切にすべき作品となったため、他人にゴリ押しするのもちょっと違うかなと思ったり、思ってなかったり。
ではなぜ映画「BLUE GIANT」を観て、自分はあんなにも感動したのだろう。



原作をあえて読まず、極力予告編なども観ずに前情報なしで行った。テンポ良く話が進み、作画も非常に綺麗だ。しかし演奏シーンのCGに関しては中盤くらいまで「これ大丈夫か?」と思う部分もあったため、観ながら良い映画だなとは思っていたがこれを信用して良いのかまだ分からなかった。そして中盤以降の重要な場面を観る度、自分は映画の中に没入していった。終盤の演奏シーンが始まり、演奏者たちが現れたところからずっと泣いていた。もちろんそれはストーリーによって感動していたのも大きいだろう。ではあの素晴らしい音楽と魂を奮い立たせられるアニメーションがなかったら、どうだろう。あそこまで感動はしなかったはずだ。映画館の環境を完全に味方につけた本作は極上の音楽体験をすることができる。それに加えて終盤のアニメーションである。自分は今までTVアニメやアニメ映画などは好んで、いろいろと観てきたつもりだった。しかしこれまで観てきたアニメの中にあんな心を鷲掴みされる表現があっただろうか。イマジネーションの世界のような、と言うとディズニーみたいになってしまうが、まるで本当に蒼い炎が燃え盛っているように劇中の客席からは見えていたのかもしれない。

とりあえず大音量でこれ聴こうぜ。


音楽や映画に感動する要因はいろいろある。個人的な思い入れ、その作品の背景などさまざまだ。しかし「BLUE GIANT」のように、あまりにもどストレート熱量を伝えてくる作品を観ると、自分はただただ圧倒されてしまう。



もしかしたら一番感動するのは、圧倒的な熱量を感じた時なのかもしれない。この映画を観てそう感じた。「音楽の力」という言葉は恥ずべき、人を癒してやろうの姿勢はおこがましい、確かにそれもそうだなとは思う。しかし「BLUE GIANT」のような作品を観ると、自分の好きなものに素晴らしい力があることを再確認できる。だからこそ「音楽の力」を信じてるし、信じたいのです。

結局何が言いたいて、映画「BLUE GIANT」は原作を知らなくても100%楽しめるし知ってると120%楽しめるという、原作がある作品として理想的な形だ。一本の映画として凄過ぎる。まだ観てない人にも観てほしいけど、自分にとって特別な映画なので、別に観ても観なくてもどっちでも良いです。自分めんどくさい奴やなぁ。

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