ライブに対する耳の感想はミュージシャンのものであって、一般のお客さんの評価ポイントとは違う。価値の無い評価

まとめ

ミュージシャンの評価は一般の人との評価とはズレます。が、これはミュージシャンに限った話ではなく、どの分野でも必ずズレます。絵を描いている人も、書道をやっている人も、ダンスをしている人も、全員技術を学んでしまったがゆえに技術が評価できるようになってしまって、評価ポイントがずれていきます。
この話はイラストレーターのさいとうなおきさんの動画でも全く同じ事が言われています。

下手なのに評価されるのは何故かという割と切実な質問に対して、

「絵が上手い=人気があると思ってしまいがち」
「上手い下手って、実は受け手にとっては思いのほかメリットになる事って少ない」
「絵描きの場合はね、例えば上手い絵を見て「参考になるなぁ」なんて見方をする場合は有るかも知れませんが、それって超特殊ですよ。普通の人はそんな風に絵を見ません」

と全く同じ角度からの解説をされています。

ミュージシャンが喜ぶようなボキャブラリー、例えば「鋼鉄の旋律」とかメタルの世界ではよく見かけるんですが意味が解らないんですよ。メロディアスなボーカルは北欧のノルディックとジャーマンを融合させたパワフルさ! とか、似たようなフレーズほんと見るんですが、正直テンプレの評価で適当にそれっぽい単語を組み合わせているだけなんですよね。

例えば自分が好きな楽曲で言えば今はチキンライスが一番好きなんですが、これを評価するとき自分はこういいます。

「親孝行って何か考える。でもそれを考えるって言うこと自体が親孝行なのかもしれない。この出だしの2行のフレーズで色々と思い出すことがいっぱいありました。確かに、親孝行しようとも思わなかった頃は親孝行を一切していません。逆に音楽をやるようになって親を先輩と見るようになってからは親孝行をしようと思うようになって。実際親孝行しようと思う事は親孝行の第一歩だなと。その後の歌詞はほとんど覚えていないんですけど、この最初のフレーズだけでも十分感動させてもらえる箇所です」

って。歌詞とか感動したポイントに必ず触れますよね。それも感情的な言い方で。テンプレでそれっぽい言葉を組み合わせた評価には一切ならないんですよ。そういう評価を書いて、自分は音楽が分かると悦に入りたい人が一定数存在しますし、そう言う評価を喜んでいては一般のお客さんの目線は手に入らないですよね。

ズレて行った結果、先鋭化して誰も受け付けなくなるのはどの業界でも見られる傾向です。そしてだれからもお金を出してもらえなくなり、他にある楽しいことにどんどん負けて行ってしまう訳です。お金を出してもらえる人は誰なのか。ここを見失ってはいけませんし、演者目線の先にその人たちはいません。

技術を学んだがゆえに必ず陥る落とし穴でもあるので、よくよく自分自身の観察を忘れないように気を付けていただいて、今後も良い舞台に取り組んでもらえればと思います。

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