幸せのパンケーキ♡

 「まだマフラーには早いだろ、」と僕はミカと落ち合ってそう言う風に言う。「今日二十度あるらしいぞ」現に、彼女はもうマフラーをほどき始めた。

「朝は寒かったの! 去年はこれ、可愛いって言ってくれたよ!」
とイヤミらしくもない明るい口調でミカはムッとする。失敗したなあと僕は思う。出会って最初に服を褒めるなんていうのは、当たり前のことではないか?それは太陽が回るというコペルニクス的転回が再び起こったって変わらない不変の事実だ。僕はミカの服を褒めなくてはならない。

「でも、去年とはワケが違うだろ、」とつい僕は口を尖らせる。
「どう違うのよ」と彼女も喧嘩の始まりを楽しんでいる。
「まず第一に、今日は暑い」
「だから、朝は寒かったんだって!」
「第二に、僕とミカが出会ってからこれが二度目の秋だってこと」
「じゃあ、二回目は褒めてくれないの?」
「そうじゃない、今日のそれもとっても似合ってる」

ミカはふふんと笑って歩き始める、僕はその後を追って信号の前でようやく追いつく。今日はパンケーキだそうだ。パンケーキ? そういう目標があるときの彼女は実に歩くのが速い。いつもは僕に速い、もっとゆっくり、と文句を言うのに、お目当てがあるときだけは僕が追いつかない。
「そこの坂の先だって」とミカはスマホを見ながら指差す。来る前に一度地図を見ていたから場所はわかっていた。階段を上ると、ふうわりと甘い匂いが広がって、スライスレモンの浮いた水差しから二人分の水が注がれる。少し酸っぱい、レモン水はこれから来る甘さを予見させて、僕はふう、と思う。
ふう。

大きめのパンケーキがテーブルに置かれる。
僕は頼みたくもなかったのだが、彼女が色々な味を試したいと言うので二皿頼んだことを彼女も後悔しているみたいだった。
意外と、大きかったね。とミカは苦笑いでスマホを手に取る。
色々な角度から、色々な構図で、ナイフとフォークを置いたり、外したり、僕と彼女が一人ずつ映ったり、映らなかったり、一緒にとったり、全部で二十枚以上の大撮影会を終えてようやく手をつける。
砂糖の粉のかかったパンケーキの上から更に蜂蜜やストロベリー・ソースやチョコをぶっかける。そしてまた、撮影会。

「甘かったな、すっごく」
「もういいや、だけど、美味しかった」と彼女はご満悦だ。坂を早歩きで登った甲斐もあったと言うものである。
「で、この後は? 」
「お任せします」
「そうねえ、とりあえず、コーヒー、飲んでから考えるか」
「わたし、コーヒー飲めないけど、まあいいよ」
「そうだった」
「わざとでしょ」
「まあ、まあ」

パンケーキで並んだり、少しゆっくりしたせいか、少し日は傾き始めていて北風が冷たかった。
「あれ、マフラーは? 」
「あ! パンケーキのところに忘れてきちゃった! 」
「えーー、とって来るから、先コーヒー頼んでて、俺、一番普通の」
「はーい」

僕が戻ると、彼女は一番窓側の席に座ってスマホを触っていた。多分さっきの写真をインスタグラムに投稿しているのだろう。窓側の席。ミカはよくわかってる。
僕はそれから彼女といくつかの洋服やコスメ用品を見て、紫色の髪留めと新しいグロスを一つずつ買った。その間僕たちは、香水くさい店内を優雅に闊歩しながら口の中のコーヒーをかき消してやってくるパンケーキの残り香に心を躍らせていた。外に出ると日がくれていた。

「ね、寒いでしょ」
「マフラー、やっぱり可愛いな」
「可愛いのは果たしてマフラーでしょうか? 」
「たぶんね」
「はーーい、またね!」
「え、ご飯食べようよ」
「今日はママとお出かけなの、これから」
「あ、そうなんだ、オッケー、またね!」

渋谷の喧騒の真ん中で、僕は一人でどう過ごせばいいのかを忘れてしまった。

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