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オールブラックス物語第2話: 知的な大男、サム・ホワイトロック。

13年前、ウェールズで開催された第1回ワールドラグビーU20チャンピオンシップで、ニュージーランド代表として活躍していたサム・ホワイトロックは、2018年8月18日、この年齢別トーナメントの卒業生としては初めて、テストキャップ100を達成しました。

リッチー・マコウ(テストキャップ148)、ケヴェン・メアラム(132)、トニー・ウッドコック(118)、ダニエル・カーター(112)、キーラン・リード(109)、マア・ノヌー(103)、ミルス・ムリアイナ(100)に続く8人目の、そして最年少のセンチュリオンとなったホワイトロックは、金色で「SW 100」と書かれた特別なブーツを履いて、シドニーで開催されたラグビー・チャンピオンシップの開幕戦に出場しました。

ニュージーランドは、ホワイトロックのテストキャリアの間、ワールドラグビーランキングの上位に位置しています。ホワイトロックは、デビュー以来8年間、世界最高のセカンドローの一人としての地位を確立し、テストラグビーの最強コンビと言われるブロディー・レタリックとのコンビで、キャップ数の半分近くを占めています。また、オールブラックのジャージを着て100回のテストを行った中で、わずか8回しか負けていません。

2017年のニュージーランド年間最優秀選手に選ばれたホワイトロックの経歴は、ラグビーワールドカップ優勝2回、トライネーションズ優勝1回、ラグビーチャンピオンシップ優勝5回、さらにクルセイダーズのキャプテンとして2017年と2018年にスーパーラグビーを連覇するなど、偉大な選手たちと肩を並べるものです。

「非常に特別なオールブラック」

クルセイダーズのコーチであるスコット・ロバートソンは、ホワイトロックを「非常に落ち着いていて、自分のメッセージを明確に伝えることができる」「経歴や経験に関係なく、誰とでもうまくやっていける」と評し、元オールブラックスのクレイグ・ダウン氏は「優れたリーダー」と評しています。

当時オールブラックスのスティーブ・ハンセンHCは今週、「彼は長い間、フィールド内外でチームに多大な貢献をしてきました」と語っていました。

「オールブラックスのために1回でもテストに参加することは、それだけでも達成感がありますが、選ばれて100回もテストに参加するほどの実力があるということは、驚くべきことです。彼は、非常に特別なオールブラックスの小さなグループに加わることになります」

ワールドラグビーのビル・ボーモント会長は次のように述べています。「ワールドラグビーを代表して、サム・ホワイトロック選手が、ワールドラグビーU20チャンピオンシップの卒業生として初めて100キャップを獲得し、歴史に名を刻んだことを祝福したいと思います。オールブラックスとラグビーの素晴らしいアンバサダーによる偉業です」

「これまでのキャリア」

サミュエル・ローレンス・ホワイトロックは、1988年10月12日にパーマストン・ノースで生まれ、ニュージーランド北島のマナワツ地区にあるフェイルディング高校に通っていました。また同校には、アーロン・スミスとコディ・テイラーも通っており、さらにホワイトロックの3人の兄弟も通っていました(サム・ホワイトロックは三男)。

次男のアダムはクルセーダーズとバイヨンヌでバックスとしてプレーし、NZセブンズの代表経験もあり、長男のバックローのジョージはオールブラックスとして2009年のイタリア戦で1キャップを獲得し、末っ子のルークは2013年から2018年にかけて7キャップを獲得しています。そしてさらに、いとこのベン・ファンネルはクルセイダーズでフッカーとして活躍しました。

ホワイトロック兄弟の祖父は、1953-54年のヨーロッパ遠征でオールブラックのキャップを5つ獲得したロックのネルソン・ダルゼルです。ダルゼルは、ニュージーランド代表として22回出場し、5トライを記録しました。

ホワイトロックは、オールブラックスとして2011年と2015年のラグビーワールドカップで全7試合に出場し、両大会で優勝、2019年の日本大会では5試合に出場しました。

2016年に長年のパートナーであるハンナ・ロートンと結婚しました。二人はクライストチャーチのリンカーン大学の学生時代に出会い、3人の子供がいます。

「ラグビーからの引退後の予定」

ホワイトロックは、酪農家を支援する活動「Farmstrong」のアンバサダーを務めており、選手としてのキャリアが終わったら、本格的な農業に復帰すると語っています。彼はホークスベイに土地を所有し、牛や羊を飼育しています。現在は、叔父と叔母がその農場を運営しており、ホワイトロックは自分の得意分野であるラグビーに専念しています。

酪農家の家系の3代目である彼は、プロとしてのキャリアをスタートさせたばかりの頃、クルセイダーズとオールブラックスで多面的な若きロックとしての地位を確立すると同時に、リンカーン大学で科学の学士号を取得しています。

2020年には日本のパナソニックワイルドナイツでプレーしていましたが、新型コロナウイルスの発生でリーグが休止状態になってしまい、その間にクルセイダーズのチームメイトとコーチングコースを始め、レベル2をほぼ終了したとの事です。

さらに彼は理事を務めるニュージーランド・ラグビー選手協会が発行した全156ページの雑誌『Expand』に携わり、平均的なキャリアが4年と言われるプロラグビー選手の国内外でのキャリアや、最終的には選手生活を終えた後のことについてサポートも行っています。

これらについてサム・ホワイトロックは「私たちは農業を始めようと思っていますが、そのときにスムーズに移行できるように、現在いくつかのことをやっています。なぜなら、どれだけの人が苦労しているかという数字を見ると、ちょっと恐ろしいからです。ラグビーを長くやっている人ほど、キャリアが終わったときに苦労することがわかっています」


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