数字が好きだ。数字に縛られて生きている

昔から数字が好きだった。好きだった半面、数字に縛られている自分が嫌になるときもあったが、こればっかりは脳みそがあるから仕方がないなと思っている。

学校の勉強もそうだ。国語や地理のような暗記が重要な科目はいつも赤点ギリギリ。ギリギリ上さえ取れれば良いぐらいの気持ちでテスト前の10分ほどで教科書を見返す程度でなんとかやっていた。暗記だけさせる勉強に意味なんかないさ、あれは教育が悪い!

でも数学は違った。授業を聞いているだけで自主的に勉強をしなくてもテストはいつも90点台を取れた。それは数字が好きだったからにちがいない。確か親父は教員免許を持っているとかいないとかで数学の講師もやっていたから、遺伝もあるのかもしれない。声変わりが終わってしばらく経った頃、咳払いをしたら親父にソックリですごく嫌だった。それ以来咳払いはしないよう心がけている。

とにかく、数字は好きだった。今も好き。なぜなら、とっても簡単だから。数字はとっても簡単だよ、1から数えて2になり3になり、10になったら次はまた1がくる、11が。頭を使う必要がない。

数字は物事をわかりやすくしてくれる

50mを早く走れる人がリレーの選手になったし、身長が低い順に前習えをした。カレーを作るときは箱に書いてある通り水を入れるし、8時間以上バイトしたら残業代がしっかり1.25倍された金額で追加されているかチェックした。

8時間以上寝れば健康だっけ。1日3食食べるように心がけてる。もう実にシンプル! 数字があるから生活できている。

数字は多くのことをわかりやすくしてくれる。労働力も時間という数字で考えるから安いだの高いだの言えるわけですよ。ほら、めっちゃ足プルプルしてるでしょ? ほら、脳みそが熱くなったんだから使ってたんだよ対価くれよって言ってもわからない。何時間作業したとか、何曲売れたとか、何PVいったとか、数字で確認するから話が早い。

そして何よりお金。多くの、バラバラの単位を変換することができる、日本ならば円。通貨ってものを作った人が目の前にいたら抱きしめてチューをしたいが、いないから仕方がないね。今どれだけ"円"が大切か、日本語の次に大切な共通言語だ。

クリスマスに送られた指輪の値段で恋人の愛の大きさを測ったりするんだろ? 気持ちは目には見えない。見えたとしても絶対値、比べることはできない。だからプレゼントの値段をインターネットで調べてしまう人を責めたりはできない。

愛してるを何回言ってくれるか、LINEを何分おきに送ってくれるか、何時間もかかるのに会いに来てくれるとか。年収で人を判断することを、年齢や体重で判断することを、すべて"いけないこと"にしたら、今以上に間違いが起こるだろう。

数字にするとわかりやすいんだよ。だから数字が好きだ。数字にして、グラフにして。できるものはすべて可視化したい。数字で客観的に自分を観察したい。

迷ったときは2を選ぶ

迷ったときは、とりあえず2を選ぶようにしている。これは小学生の頃からの自分の中の決まり。

ジョジョの奇妙な冒険6部に出てくるプッチ神父は、落ち着きたい時に素数を数える。素数は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字だから、勇気をもらえるんだそうだ。プッチ神父は敵だけど好感が持てる。

全て後付けなんだけど、2が好きな理由がある。2は素数であり、唯一の偶数。孤独中の孤独。奇数は暖色に感じるけど、偶数は寒色に感じる。なんだか2は孤独だけども、故に揺るぎなさも感じる。

1位は下を見なければいけないけど、2位は上を見ることができる。プッチ神父ではないけど、2は勇気をくれる気がする。

1990年に生まれたけど、1990って数字は弱弱しく貧しく感じて好きになれなかった。2000年という数字は、何か土台がしっかりとした印象を受けた。これから1000年間いつも2が付いていてくれると考えると、なんだかホッとする。

結局、数字に心を楽にしてもらっているが、それは数字に依存してしまっていることでもある。数字なくしては生きていけない。数字に束縛されてる。

束縛されて逃げられないなら、愛してしまう方が楽なんだ。

明日は7時に起きるとしよう。

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