_直島_report__3_

僕が旅を続けるの理由


この記事には、あえて写真を1枚も使っていないし、
見出しも一切使っていません。


なので、先に言っておきますが、超見づらいです。


でも、
できるだけシンプルに、
できるだけわかりやすく僕の気持ちを書いたので、読んでもらえると嬉しいです。

僕から手紙が届いたみたいな気持ちで読んでくれると。



2011年3月、

僕が初めて、旅らしいことをしたのがこの時だったと思います。

大学1年生から、2年生にあがる春休み。

小中高と特に目立った経験もなかった僕が、初めて少し目立った立場にいた頃。

ちょっと背伸びしてみようと思って、チャレンジしたのが、

ヒッチハイクで九州ラーメン旅でした。


なぜ、ヒッチハイクなのかというと、目立ちたかったからというのが本音。
あとは、怖いもの知らずな自分を表現したかったというまあ、作意的だったわけですが、

いざ、100均でスケッチブックとマッキーを買って、

デカデカと『九州』と書くまでは良かったのですが、路肩に行けばちびるぐらい怖くなってしまって、結局3時間近くスケッチブックをあげずにうろちょろと歩いていたわけです。

自分がこんなにも勇気がない小心者であることをあの時ほど感じたことはありません。


『プー、プーーーーーー、プー』


後ろの方で車のクラクションが大きく響き渡りました。

自分へ向けられた音だとはもちろん気づきもせず(気づいていたけど気づかないふりをした)、トボトボと歩いていたのですが、


『おーい!兄ちゃん。ヒッチハイカーか?』


なんと、先ほどクラクションを鳴らしていたおじさんがUターンして、戻ってきてくれたのです。

それが、僕の人生初の旅の始まりでした。



さて、話は大きく飛びます。

初めてのヒッチハイク旅から1年半という年月が経ち、県外移動は全てヒッチハイクなのかと言わんばかりに、実家(京都)への帰省、日本一周ヒッチハイク旅などなど完全にヒッチハイクにハマっていました。


この時の僕がヒッチハイクにハマっていた1番の理由は、

絶対に会うことのなかった人たちが、親指を少しあげただけの僕をみて、自らのセーフティー空間に招き入れてくれるという奇跡的な事象に理解できない想いとそんな理解できないからこそ、ワクワクする気持ちを抑えきれずにいたからです。


2012年9月。

僕の人生が大きく揺れ動く出来事がありました。

それは、
東日本大震災の被災地である宮城県気仙沼市での2週間のボランティア活動でした。

正直、当時の僕は知らないもの見たさという興味が半分、将来の自分に繋がる経験をしたいという想い半分と、自分のことだけ考えて足を踏み入れました。

一言では言えませんが、
その気仙沼でのたった2週間のボランティアが僕の人生を大きく変えることになりました。

きっかけはある小学生の女の子との出会いです。


当時、僕はあるNPO団体のボランティアとして、小学生や中学生の学習支援の活動をするためにほぼ毎日、仮設住宅やお寺などに行っていました。

そこには毎回10名くらいの小中学生が勉強をしにくるのですが、そんな勉強の間、色々な話を聞きました。

もちろん震災の経験についてもですが、家族のこと、友達のこと、学校のこと…

どれも、普通とは到底言えない悲しい現実が多くありました。

その中でも、
ある小学生の女の子の家庭環境が当時の僕の家庭環境によく似ていて、とても心に響いたのでした。


『僕らはここで何ができるのだろうか?』


そんな問いを毎日のように一緒に来ていた大学生たちと議論して、深く深く話をしていきました。



気仙沼から出る日。

ヒッチハイクで旅をしながら、ふらっと寄った気仙沼だったので、次の目的地である青森を目指して、ヒッチハイクを開始しました。


順調に3台目のトラックが止まってくれ、乗せてもらい、いつものように運転手さんの話、僕の話をしていきます。

もちろん、気仙沼での経験について語りました。


『キミ、気仙沼から離れたくなさそうだね。』


一瞬この人何言ってるんだ?

って思ったのですが、


『そんなことないです!旅が楽しいんで(残りたい。。。)』


必死に、自分の心と違う言い訳じみた言葉を見つけては、運転手さんに話をしてしまいます。
見かねた運転手さんが、


『キミはまだ若い。守るべき家族がいるわけでもない。だったらもっと素直になってチャレンジすればいいじゃないか!

おじさんだって、役に立てるものなら役に立ちたいって思うけど、やっぱり守るべきものは近くにいる人だから動けない。

そんな風に誰かのために動きたいと思ってうごけるキミが羨ましいよ!』



無事に青森について、弘前にあるカプセルホテルの中で晩御飯も食べず、朝まで無心で考え込んでいる自分がいました。

そのあと青森から、秋田までどうやって言ったのか全然記憶がありません。

ただ、秋田駅のホームで携帯を片手に、

半泣きで、


『気仙沼に1年間行かせてほしい。大学を休学したい!』


そんなことを親に伝えている自分がそこにはいました。



そこから、僕の人生は考えもしていない方向にどんどん加速して進んでいきました。

・休学してNPO法人のインターン
・学生団体の立ち上げ(計7団体)
・四国八十八ヶ所自転車遍路
・イケダハヤト アシスタント
・NPO法人ひとまき設立(旧ONEれいほく)
・ヒッチハイクファンディング

・・・


小学校の頃から、教師になってたくさんの人の生き方のきっかけになれるようにしたい!

教師という形ではないですが、そんな活動を今できているのだと思います。



旅のことについて、書くと止まらないぐらいにエピソードが出てくるのですが、

旅が僕を作っていくれているし、旅が僕が今知らない次のあり方を提示してくれるものだと理解しています。


僕が人生でもっとも影響を受けた人が教えてくれた言葉に、


『計画的偶発性』


という言葉があるのですが、
旅とはまさにそんな『計画的偶発性』の連続なんだと思います。

計画的偶発性理論
計画された偶発性理論とは、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授らが提案したキャリア論に関する考え方。
個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される。その偶然を計画的に設計し、自分のキャリアを良いものにしていこうという考え方。


想像もしない出会いから、

次の新しい出会いが生まれ、

新しいアイデアやアクションが生まれていく。


僕は今の僕が考えられる想像の枠をもっともっと飛び越えて、
全然想像もできない自分を見つけていきたいんです。

僕の人生を大きく変えるキッカケをくれた、あのトラックの運転手さんとの出会いも、また偶然でした。


ちっぽけな自分でも、
新しい可能性を1個1個コツコツと積み上げていくと、

ちょっとずつでも目指す世の中に近づくことができるのかなと。


旅はそんなちっぽけな自分を再認識させてくれるツールであり、もう一歩小さく前へ進ませてくれる方法なんです。


だから、僕は向上心を失うまでは、
どんな形でも旅をし続けたいと思っています。




最後に少し告知をさせてください。

僕の次の旅は軽トラックの後ろに小さな小屋を作って、
約2ヶ月間、NPOの仲間と一緒に旅をすることにしました!

そこで、また僕自身の新しい可能性を広げていきたいし、
出会った人たちの可能性を広げられたらいいなと思っています。


クラウドファンディングサービスを利用して、その旅をするための資金を募っています。

『何度でも生き方は選べる!』を伝えるために、軽トラハウスで日本一周したい!

よかったら、支援また、SNSやブログなどを通して応援してくださると嬉しいです。


正直、この旅で、何が起こるのか、
どんな人と会って、どんな新しいことが起こるのか、、、

全く未知すぎて、


でも、それが旅。


僕が旅を続ける理由なんです。


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