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私事ではありますが65

もうすっかり情緒が安定していない。
現実逃避にゲームをしたのを記事にしようとしている。
私事ではありますがシリーズは私事なので好き勝手書いている。
いや、どの記事も好き勝手書いてるんだけども。

いろんなことを考えていろんなことをこなしていかなくてはならない。

病院の先生と話していると「ものすごく理性的に、現実的にものを考えている人」のような顔をしてしまう。
自分でもびっくりするくらいすべての知識と記憶を駆使して状況を飲み込もうとしている。
やはり診察室で涙が出てしまうが、少しだけ頭のグチャグチャがほどけていくのを感じる。

宗教も虹の橋も人間に対する気休めだ、と数日間考えていたが、人間だから気休めが必要なのである。
「気休め」というと悪いことのようになんとなく感じるが、人間が人間たる存在であることに「気休め」は重要なのではないだろうか。
弔いをする動物はいるが、信仰をする動物は人間以外にもいるのだろうか。
驕った考え方ではあるが、今のところそういった話は聞かない。
「気休め」は多分防具系の装備なのだろう。
武器装備に人間は「科学」「現実」「経験」「知識」なんかを携える。
人間の持ちうるフル装備で「死別」に立ち向かっていくよりないのだ。
自分が去るにせよ、相手が去るにせよ、「科学」と「気休め」と称した、拠り所としての「宗教」と共に、人生の難所である死別に向き合うのだろう。

私は向き合えているのだろうか。

毎日が長く感じる。
でもいつの間にか9月も半に差し掛かっている。

一雨ごとに寒くなるって聞いたことがあるのだが急すぎんか。寒くなり方が。

長男猫はステロイドが効かなくなったらいよいよ、と先生が言っていた。
長男猫は2週間でめっきり老け込んだ。
何がそう見せているのかわからないが、とにかく老けた。
どんどん知らない猫になっていくようだ。
時々大声で鳴いたりする。
猫の言葉がわかればなぁ、と思ったが猫の言葉が理解できたら今の関係ではいられないだろう。
よかった。

毎日が悪夢を見ているみたいだ。

休憩時間に家に帰ってちゅーるをあげることにした。
いつの間にかグルメ猫になっていてマグロ味の時は食いつきがいいが、ホタテ味だと見向きもしない。
本当はグルメな猫だったのか。
もちろん総合栄養ちゅーるは顔を背けるばかり。
周りの猫たちがどんどん肥えていく……。これはこれで問題である。

うまいものを食べさせるのが遅くなってごめんね、と毎日思ってしまう。

この暮らしが辛く感じている。
泣き言ばかりのnoteも、なぜ鳴いているかわからない長男猫も、いついなくなるかわからない不安も、それでいて収入を確保するべく働くことも全てが辛い。
永遠に続くわけではないと思っているが、この暮らしが終わることの意味を考えるとそれはもっと嫌だ。

今までの善行ポイントで長男猫なんとかならないっすかね、と1人になると神様とやらにフランクに語りかけてしまう。
悪行ポイントで帳消しになりそうだ。

noteを見返していると8月19日に病院を受診していた。
もうすぐ1ヶ月経つ。
この1ヶ月がなんだか細切れなようで、すごく長いようで短いようで、やはり私はどこかが眠っているのかもしれない。

なぜか少しずつ気持ちが落ち着いてきている。
これが受け容れるということなのだろうか。

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