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呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。

こんばんは、わたしが噂の高円寺でパパ活をメインに活動している神楽坂です。名前の由来は諸説あるけれども、主に昼の仕事の場所からとりました。駅名って覚えやすそうだし、かぐらちゃんって呼んでもらえそうだし……。実際はかぐらちゃんって呼んでくれる人、少ないです。かぐ、かぐちゃんが多い。あと酔ってるとかぐらざかって8割方言えないです。
人間って楽な方に流れる生き物なんですよね。

こんなわたしですが、実は結構思ったことを口に出すのが苦手です。頭のなかで考えて何巡何巡もするのに、結果全然言いたいこととはまるで別のことを言ったりする。寝る前のお布団の中で、そういう意味じゃなかったのに!みたいに、よく思い出しワァーっ!しますが、世の中にはそうならない人もいるんだから驚きですよね。遺伝なのかな、

でも、臨機応変に話すのが苦手だから、頭のなかでゆっくり考えられる文章が好きなんだと思います。

だから、出来るだけ正直で人に優しくいたいけど、やや言葉が上滑りして人を傷つけがちな性格のわたしなので、ここでは普段言うのを辞めたり、こっそり思っていたりすることを、つまり本当の神楽坂をひとつまみ程度素直に出してみる場所にしたいと思っている。わたしの中にはあなたの知らない宇宙があることを知ってほしい。神楽坂ユニバースですよ。ここでは神楽坂ユニバースを微妙な匙加減でご案内します。

さて、掲題の「呑気と見える人々も…」は、夏目漱石の「吾輩は猫である」の中の一文ですが、これが実はわたしの一番好きな言葉で、その次に井上ひさしの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」が好きです。これはインテリとユーモア性は両立していてほしい、というわたしのただの性癖でして、賢いのも面白いのもどちらもとても魅力的だけど、ただ賢いだけじゃなくてひとつ心の深いところに感情のある人がすきで、ただ面白いだけじゃなくて噛んだ時にするめみたいな味わいがある人がすきだ。よく人や犬猫が死んじゃったりなんかして、泣かせよう泣かせようってしてくる映画よりも、なんだかコメディで明るくて笑って見てたのに、もしかして笑顔の下でそんなに、そんなに頑張ってたの?って映画の方が真に迫ってじんとくる。落語の人情噺が好きなのはこういう理由で、へらへら馬鹿ばっかりしてるのに、ひょっとした拍子に心根の真っ直ぐなところが見えて、笑った反動だか、なんだかやけに泣ける気がする。
わたしだけなのかな。

でも、意地悪な人だっているし、生まれ持ったものだってあるし、いっつもニコニコなんて難しいと思うんです。能天気だね、気楽そうでいいねなんて言われてる人を見ると、心の底を叩きたくなる。で、わたしのもポンッて鳴らしたくなるんです。
お揃いの音がする。
お互い良く頑張ってるよね。

なんだか湿っぽくなっちまいやした。ひとまず飲もう飲もう。
今日もおつかれさま。


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