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Pribumi = ネイティブインドネシア人

早いもので8月も半分。相変わらずコロナ禍でダラダラと社会的制限移行期間フェーズ1のインドネシア

そんな最中、8月17日はインドネシア共和国の独立記念日。皆さんご存じのデゥイ夫人の旦那さんスカルノ元大統領が独立を宣言した日。宣言した日であって、独立した日では無いけど。通常だと、17日当日は各地で祝賀するのだが今年は殆どの地域で自粛、中止となってる。なぜなら祝賀式典だけでないから。式典が終わると日本で言う「運動会」があるからだ。俺が住んでいる地域も中止の知らせが先週届いた。各地で種目は違えど、観てると結構面白い。綱引き、パン食い競争ならぬクルプック(えびせん)食い競争、棒倒しではなく棒に登って景品争奪とか。普段全く動かない、歩いてんのか歩いてないのか分からない位速度が遅い、座ってばかりのインドネシア人たちが景品目当てに一生懸命動くのだ。しかし、今年は無しである。まぁ自業自得だな。

話は戻り、17日に独立宣言をし、世界に単一国家として認められるまでの5年間は、1946年に国連が介入して停戦協定が成立したにも関わらず対オランダと独立戦争をしてたわけ。オランダがバンバン進軍してきたから。この辺はネットで調べれば色々出てくるので割愛。

日本軍が戦いの術を教え、帰国しなかった日本軍兵士と共に独立のため戦ったインドネシアの原住民(プリブミ)。彼らはオランダ占領時代は「人」として扱われて無かった。これが「愚民化政策」。教育は受けられない、集団で集まっては行けない等々思いっきり制限かけた。現地の人はただの労働者。経済や行政を任されていたのは華僑かオランダーインドネシアのハーフであった。そりゃ独立したくなるわ。で、この独立戦争でオランダ側についたのが華僑たちであった。長い歴史の中でプリブミと華僑の格差、独立戦争では敵味方、そう簡単には仲良くなれないだろう。実際現在も、華僑とい原住民間での問題は多く、経済を牛耳ってるのも華僑である。

長い長い歴史の中で「長い物には巻かれろ」的な生活をしなきゃ生きていけなかったプリブミ達はそれが一つの伝統、習慣であり、教えである。当たり前になってるそれらを、そう簡単には変えられないのだろう。悲しい現実である。

もし、もし日本が長く占領してたら、プリブミの人々の生活はどうなってたのだろう。と、コロナ禍のインドネシアで思いにふけるのである。


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