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内省・リフレクションは何のため?

こんにちは!複業個人コンサルタントの成瀬です。

思考整理シリーズ、今回のテーマは「内省(リフレクション)」です。
年末になると1年間の振り返り・来年の目標を考える、そんな時期ですよね。今回は個人としての「振り返り」「内省」について思考整理してみたいと思います!

「内省」は、人材育成やキャリア開発に関わっているとよく耳にする言葉です。「自分自身の行動や経験を振り返る」ことで、自己成長につなげるために行うもの、と理解していました。ところが、私なりに「複業キャリア時代のセルフマネジメント」を整理した際に、「本当に自己成長を前提とした際に行うものだけなんだろうか?」と疑問が湧いてきました。

■内省とは?

表面的な意味に振り回されそうな時は語源に立ち返れ!という風に教わった記憶がありますので、「そもそも「内省」とは?」から立ち返りたいと思います。

【内省(ないせい)】意味
自分の思想、言動などを深くかえりみること。反省。哲学では、自己意識についての反省的思考を意味し、心理学では内観と同じに用いられる。
(出典:精選版 日本国語大辞典)

いくつか調べてみると「内観」も類似で出てきますね。

【内観(ないかん)】意味
内省ともいい,みずからの意識体験をみずから観察すること。本来意識体験は私的な性格をもつものであり,自己観察によってしか観察されえないものである。ブントやティチナーの心理学は意識の構成要素やその属性を明らかにするために内観を唯一の方法とした(構成心理学)。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

「反省」は若干違和感があるので、ここでは「内観」の方がイメージが近いですね。ただ、「自己観察によってしか観察されえないものである」これは違和感ありますね。

■内省は何のためにあるのか?

ここからは、私なりの私見です。最近、複業活動が増えて本業以外のコミュニティ、組織と接する機会が増えたことで特に感じるのですが、「己の外から己を見て、その姿を受け止めること」が、私にとっての内省ではないか?と考えています。つまり、「内省」とは自分ひとりでは成立しないもので、他者から見た自分を受け止め、その自分と対話すること。これが私のとっての内省です。そして、これを何のためにやっているかというと、自分自身のチューニング(精神と思考の調律)のためにやっているのではないかというのが私の考えです。

体調管理のために、検温したり、健康診断をしたり、自分の体に不調があれば医師の診断を受けて、必要があれば治療を行ったり、リハビリしたりするのと同じではないかと。特に、仕事やキャリアにおいても定期的なチューニングが必要だと思うのですが、このチューニングのための入り口に「内省」があるのでないか。そして、これにはいくつかの方法があり、例えば「禅」や「写経」などで自らを調律する方法。そして、他者から見える自己を見つめ直す方法、などがあるのだと思います。私の場合、このnoteに考えを書き出す「思考整理」も内省のひとつだと考えています。いずれにしても、内向きなことではなく外に向き合わないと本来の目的は達成できないのではないか?と最近考えるようになりました。

■自分のことは見えない、分からない

人によるのもかもしれませんが、少なくとも私の周囲の人にいる人たちは、同じ感覚を持っている気がします。40代にもなって・・・とも思いますが、いくつになっても「自分のことは見えていない」。人から言われて、はじめて「これで良かった」とか、「成長しているのかもしれない」と思えたりします。そして、他者の内省に付き合う時、その他者に自己を投影して結果的に自己を見つめなおす時もあります。

こう考えると、「内省」というのは他者との関わり合いの中で、自らを整えていくことではないかと思います。2018年~2019年にかけて、私が成長を実感できたのは、事業構想大学院大学という他者との関わり合いの場があり、そこで自らの構想を通して、「内省」をしていたからです。

そして、2020年はプロティアンキャリア戦略塾に入塾し、ここでも同じくプロティアンキャリアというひとつにキーワードを通じて、自らのキャリア戦略を描きなおす、極めて「自分のための場」でありながら、且つ、コロナ禍であったため完全にオンライン上での関係性でありながら、非常に強い仲間意識があり、その中で「内省」の機会を多く得ました。

本業においても、私は管理職なので、メンバーにとっての内省の鏡であることを意識して組織運営や1on1に取り組んでいます。結果的に、それはメンバーのためだけでなく、自分自身の調律にも繋がっています。

内省・リフレクションは自分自身を整えるため、そして、それは他者との関わり合いの中で行われ、自己と向き合う(内なる神との対話)ことを通じて、前に向かう糧となる。結果的に成長に繋がることもあれば、内なる病への回復剤となることもあるでしょう。今は、様々な他者と繋がりやすい世の中になりましたので、このような「内省」が日常的に多くの人々の関わり合いのなかで自然と行われていけば、世の中もっと良くなっていくんではないか、と信じて、これからも私なりの「内省」を続けていきたいと思います。




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