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戦国武将に学ぶ!No.20~前田利家①~



”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。


20回目となる今回は、
前田利家をピックアップします!


戦国史史上、重要な武将の一人であり
私も本当に好きな武将の一人で、
語りたいことがたくさんあります(笑)。


今回は有名かもしれませんが、
前田利家①として基本的なお話を
ご紹介していきます。


ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。



■お金に苦労したから生まれた ”加賀百万石の祖”


利家は、人間味あふれる人物像が
語られている武将ですが、
若い頃は相当な短気だったと
伝えられています。


織田信長に仕えていたころ、
信長の側近で茶人の拾阿弥じゅうあみ
信長の目の前で斬りつけ
殺してしまいます。


なぜなら拾阿弥は、
以前から信長の家臣たちに対し
大柄な態度が多く、
利家とも対立していました。
拾阿弥は利家が大切にしていたものを
盗んだことで利家の逆鱗に触れ、
とうとう斬られてしまったのです。

しかし事情はどうあれ、
拾阿弥は信長のお気に入り。


いくら我慢できなかったとはいえ、
通常であれば信長に死罪にされる
ところでしたが、当時の利家の
上司的存在だった柴田勝家が、
『何とか死罪だけは免れるように』
と信長を説得したことで、
利家は謹慎処分となります。


命は助かったものの、
当時の謹慎処分というのは
いわゆる牢人(浪人とも書く)を指します。


これは主人を失った武士を意味し、
つまり、仕事がない状態。
ということは、お金が入ってきません。


生活が困窮する中、
戦に優れていた利家は、
この謹慎を解いてもらうために、
勝手に信長の戦に参加し、
武功を上げていきます。


何度も活躍しますが、
なかなか信長に認められませんでした。
それでも辛抱強く戦に参加し続け、
2年ほどかけてようやく許されました。

この2年の間、お金に苦労したからこそ
利家は現代風にいうと
“財テク” に長けるようになり、
戦国時代でも有数の優れた経済人
となりました。



この経験のおかげで後に、
『加賀百万石の祖』と称される
礎を築いていけたのです。


■大名たちに伝えたかった ”経済” の重要性


利家は倹約家であり、
さまざまな商売をしてお金を貯め、
また周りの大名たちに利子をつけて
相当な額のお金を貸していたとされます。


利子をつけ金貸しをしていた理由には
諸説ありますが、お金が欲しくて
やっていたのではなく、
自分が牢人で苦労した経験から、
『(自分に)利子をつけられてまで
お金を借りるくらいだったら、
自らでお金のことをきちんと考え
自らの手で国をつくっていって欲しい』
と、大名たちに説きたかったから、
という説があります。


綺麗事だと思われるかもしれませんが、
一説によると利家は亡くなる直前、
息子にこれまでの借用書をすべて
持って来させ、こう言ったそうです。


『前田家の味方をし、
反旗を翻さないことがわかったら、
その者の借用書はすべて捨て、
無効にしなさい』


これは、もし単純に
お金が欲しかったとするなら、
出てこない言葉だと思いませんか?


大名であれど、
戦だけでなく経済のことも
考えられなければ、
自分たちの国はつくれない。


日本全体のことを考え、
良くしていこうと思えばこそ、
できたことではないでしょうか。


現代にも通じるところがありますが、
苦労して、苦労して、
それでも這い上がってきた人には
やはり力がありますし、
その生き様からは後世に伝えられる
何かがあります。

前田利家はすでに大河ドラマに
なっていますので…


再放送してほしい!!(笑)





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