立ち話で歩道を通行止めにするオバチャン、その対義行為と未来
岩田です。はてなブログの過去記事転載です。
イキナリですが歩道の道幅が広かろうが狭かろうがお構いなしで立ち話を始めるオバチャンっているじゃないですか、その歩道を通るにはオバチャンに避けてもらうかオバチャンを避けて通るしかないような状況。
このような行為をするオバチャンは邪魔だなぁ...と思うのだけれど悪人ってわけじゃないし自分達が歩道を塞いでいる状況に気が付くと端に移動するから常識的感覚を備えている普通のオバチャンだと思っています。
と、いうよりもそれがオバチャンらしい行動というか...です。
オバチャンが立ち話で歩道を塞ぐ行為はよく見る光景であり、もはや日常的でもあると考ええれば「オバチャンとはそうゆうものだ...」となる...
ではオバチャン立ち話歩道通行止め行為、その対義的な行為をオッサンで考えるとどのようなものなのか?
オバチャンの歩道立ち話が無くなる社会とはどのようなものなのか?
少々突っ込んで考えてみました。
優先順位が違う
基本的にオバチャンの歩道立ち話歩道塞ぎ行為は悪意を感じられないので迷惑度を考えるのは難しいものがあります。
しかもオバチャンの歩道立ち話とは真夏・真冬関係なしに突然始まるという凄さ、これは優先順位の問題なのでしょうか、炎天下の中で相手と面と向かってじっくり立ち話をするってだけで体力を消耗する行為としか思えないけどオバチャン達はやる。
これはある意味凄いことでしょう、過酷な状況にも関わらずなぜ歩道で突然遭遇したオバチャン仲間とそこまで話こめるのか...私には不思議でなりません。
専業主婦的なオバチャン?
ではどのようなオバチャンがどんな時間帯に歩道で立ち話をするかと考えるとですね、やっぱり平日の昼間が多いように感じます。
そう考えると専業主婦のオバチャンが買い物ついでに偶然出くわしたオバチャン同士という事になるのでしょうか、
平日の昼間は男は基本的に仕事してますもんね、私も歩道立ち話オバチャンを見かけるのは平日ですもの。
年齢層は主に60代後半~といった具合です。
オッサンの対義行為的
立ち話により歩道を通行止めするオバチャン、その対義行為としてオッサンの場合....かなり深く考えてみたもののコレ!といったものが中々見つかりません。
それでも何点かピックアップしてみる
・電車内で鼻くそをほじる
・酔っぱらって千鳥足で歩く
・加齢臭を漂わせながら歩く
・怖い顔をしながら信号を待つ
・大声で電話する
どれもオッサンというよりは個人の問題...
不特定多数の人間に迷惑をかける行為、しかし悪気がないをポイントとするとオッサンバージョンは難しいものがあります。
やはり「オッサンらしい」「オッサンとはそういうものだ」で考えなければなりません。
となるとオバチャンの立ち話に一番近い行為とは「酔っぱらって千鳥足」が一番近い、
しかし昭和の時代ならオッサンの酔っぱらって千鳥足はわりと普通だったけど令和時代おいてそのような見苦しいオッサンはあまり...というよりも殆ど見かなくなりました。
オッサンの酔っぱらって千鳥足をあまり目撃しなくなった理由... まあ色々とあるでしょう。
私の感覚だと外でお酒を飲む行為そのものが金銭的に厳しくなった状態のオッサンが多いと考えておりますし、コロナの問題もあります。
また金銭的に外飲みが厳しくないとしても次の日を考えても千鳥足になるまで酔っぱらう行為そのものが今の社会...いや所属する会社でしょうかね、二日酔いで仕事などあってはならないような空気だと思うのです。
こうなってくると「若者の酒離れ」なんて言葉でああだこうだ言うのではなくオッサンの酒離れ、男の酒離れになってきます。
例えばこんな記事もあったりする
男性の飲酒率についての記事になります。
これはかつて言われていた「飲む打つ買うの三拍子」に対する価値観にも繋がってくる話、また金銭面から考えて三拍子全てを行うことは現実的にもかなり大変なこと、もっと言えば現実のオッサン社会では三拍子の一つでも金銭面から厳しい世の中になっていると思うのです。
千鳥足になるまで飲んで自宅に帰ったり帰らなかったりする行為を武勇伝的に語る文化はもうなくなる、若者ならまだしもオッサンがそれをやると「あのオッサンだせぇ」となり、オッサン側もそれを理解しているような社会っぽい...
私の考え方が間違っている部分もあるでしょう。
何と言いましょうか、オッサンの世界は案外ゆとりが全然ない、失敗が許されない。
良くも悪くも千鳥足のオッサンは本当に少なくなったと思う。
オバチャンの立ち話歩道封鎖は今後どうなるのだろうか?
私の予想ではオバチャンの立ち話歩道封鎖も今後減少すると予測しております。
まずもって現在歩道で立ち話をするオバチャンの年齢...60代後半~がメインのように見えます。
さらに平日の昼間で専業主婦が歩道立ち話のメイン層だとすれば、今後は余計に減少するようにしか思えません。
これは夫婦共働き社会にも関わってくる話、オッサンの平日は「基本仕事」のようにオバチャン...じゃなくてこの場合はオバサンでしょうか、それとも40代~の女性と表現したほうが良いのでしょうか、
オッサン同様に平日は「基本仕事」となれば平日の昼間に歩道で立ち話は出来ません。
それでもどこかの段階で年金生活者のような状態になれば平日に歩道で立ち話になるようにも思えるかもしれませんが、私の予想では今の40代50代の女性が年金生活者のような状態になった時、
近所の似たような年齢層のオバチャンと歩道で立ち話を出来るような状態であるか?
これが大きなポイントになって来るのように考えています。
共働きが基本で平日も基本仕事となれば当然のように近所付き合いが減る、いやいや...そうでなくとも近所付き合いは無くなる傾向です。
その近所付き合いのようなコミュニティを埋める場は学校の母親関係だったりでしょうか、しかしそれはごく限られたグループになり、しかも永遠と続くような間柄でない事は自分の親、友人の親を見ても何となく分かります。
結局のところ、現在歩道で立ち話で封鎖するオバチャンとは近所に住む間柄が多いはず、そしてこれが崩壊すると予測。
そのようなコミュニティの穴を埋めるのがSNS... いや既にオバチャンと言われる60代~の女性だってラインで独自のコミュニティを作り上げている人もいるはず、私の母なんかモロにそうです。
もしも私の予想が当たってるとすれば立ち話で歩道を封鎖して悪気はないのに不特定多数に迷惑をかけるオバチャンは激減するでしょう。
リアルに考えると今後20年の間に加速する現象であり、そんな時には馬鹿な大メディアが「オバチャンの立ち話離れ」なんて言うのですかね、そんな発言をするコメンテーターがいたら本当に馬鹿だと思います....って20年後は地上波テレビがどうなってるかもわからんですけど。
これは世の中や生き方の変化の予測であり、良い悪いの問題で考えるのはある意味思考停止のようにも思えます。
それでもですね、ここまで主張しておきながらですが歩道で立ち話をするオバチャンはいて欲しい...ってのが今の私の本音です。
歩道が広くなると立ち話オバチャンは邪魔な存在ではなくなる
私が自転車で通る道で歩道が広くない場所がありました。
この道は国が数十年かけて道路幅を拡大、それに伴い歩道も拡大、完成して見晴らしは良くなり歩道に自転車通行スペースまで出来ました。
まあ見た目は綺麗です、見た目は...
見た目が綺麗になりすっきり広くなった歩道、立ち話をするオバチャンもいるのだろうけど全然目立ちません。というよりも居ないも同然です。
「じゃあ自転車や歩きの時に邪魔にならないからいいじゃん」
ってのは正論でしょう、大量の税金をぶち込んでそうなったんだし正論がやはり正しい事になります。
でも私としては「なんか淋しい」「活気がない」歩道になってしまいました。
同じことは車道にも、要は工事も終わって車道も広くなって渋滞が減ったのです。
渋滞が減るってのはドライバーからすれば嬉しいこと、しかし広く自転車用の道まである歩道を自転車で通りながら渋滞がない車道を眺めると同じく淋しい、活気がありません。
こんな事を言うと怒られそうだし批判もあるでしょう。でも片側二車線道路で工事車両が駐車して渋滞しちゃってるほうが活気があるとしか言いようがない。
先に軽く触れたオッサンの千鳥足もそうですがスマートな社会とは見た目の部分では確かに良い面が多いとは思います。
でも人間ってのはちょっと不満があったり不自由だったりする世の中のほうが案外人間らしく生きやすいように思ったりもするんじゃね?
なんて考えてみました。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
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