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「野球をやっているときのように仕事をする」をやっていきな話

はじめに

この記事は緊急事態宣言 Advent Calendar 50日目の記事です。
いよいよ明日で緊急事態宣言 Advent Calendarは最終日です。

十数年前、軟式野球7年半と硬式野球を半年やっていました。

「そのころと同じような感じ」プラス「そのころにはできなかった感じ」で働くことが私にとっての「イキイキ」だなぁということで、「野球をやっているときのように仕事をする」というのを大切にしています。というはなしです。
(リモートにあまり関係のない、単なるポエムになってます。5000文字を超えているので、割と全てを聞き流してください)

そのころと同じような感じ

のめり込んでいた

 夏は群馬の暑い中、冬は群馬の寒い中でひたすら野球をやっていたなんて、インドアないまでは信じられない。そんなことを言ったら当時の自分に怒られそうではあるけれども。
 「あれほどの熱量でようやったなあ。楽しかったけど、今もっかいやれと言われてもできないな」ということが人生のそれぞれのフェーズであると結構楽しいんじゃないかと思っている。今までのそれは野球だったりとか馬からチャリで東京に来たりだとかで(それが「ぐん」「ちゃ」の由来)。
 20代後半のそれはQAエンジニアとしてのスキルアップにしようかなと思っていて、割と結構いつもテストのこととかアジャイルのこととかを考えてしまうし、自社プロダクトのテストをする際の観点的に参考になりそうなサイトを休日もついつい観察してしまう。
 良い感じに動けたなという日は満足感があるし、不具合や考慮漏れは、「なんでもっと早く見つけられなかったんだろう、ふりかえるとあのときとあのときにタイミング自体はあったのに」ととても悔しくなる。もどかしくはあるけど、のめりこんではいるなという感じがしている。
 野球をやっていたときは、のめりこんではいつつも雨の日で練習が体育館でのダッシュとか筋トレのみになる日がなんだかちょっと嬉しかった。今で言う雨の日はテスト設計や実施に追われていない日で、普段出来ないようなあれこれを整理したり試してみたりの時間に使っている。でもずっと雨の日だと晴れて欲しいと思う。

基礎を大切にしていた

 ボールやバットの握り方、ショートバウンドの捕り方、ツーベースになりそうな当たりを打ってからの1塁ベースの踏み方、2塁からホームに突っ込むときの3塁ベースの踏み方、セカンド守ってるときに外野からホームへの中継に入るときのボールのもらい方。書き出すと止まらなくなってしまうのでもうやめる、、、
 それらの基礎をまずは知って、知ったことを「即座に無意識に出来る」ように練習していった。
 「QAエンジニアに必要な基礎」という広いテーマであれこれ考えるよりも「今の私が欲しいチカラ」をベースに考えようとしている。直近では「フワッとした要件を具体化して色々落とし込んでいくためのチカラ」が欲しくて、そのチカラを構成する基礎はどんなものがあるだろうな〜というのを考えたりだとか考えないでシャトレーゼのアイス食べたりだとかしている。
 いろんな勉強会やイベントでいろいろ見て回った結果、結局は自分でつかんだ一次情報というものが確たるチカラになるんじゃないかなと思っていろいろ本を読んだり読まなかったりしている。

毎日「もっとうまくなりたい」と思っていた

 上手い人のプレーから学んだ。他の人がノックや打席や走塁などを観察して、一歩目の重心だとか角度だとか、できるところから取り入れて試した。
 リモートワークが進んでいるいま、どうやって「上手い人のプレーの観察」を出来るかは模索中だが、Slackのコミュニケーションひとつ取っても上手い人は上手いから、やりようはありそうな気がしている(そしてやりようがまとまったらそれはそれで記事にしたい。

グローブを抱えて寝ていた

 練習が終わったらグラブとスパイクはクリーナーで汚れを落としてオイルや艶出しでピカピカにしていた。ピカピカになったことに満足し、そのままだいたいソファーで寝落ちして家族に怒られていた。
 会社のデスクは(リモート前は)割と頻繁にウェットティッシュで拭いていて、綺麗で集中できる環境を整えていた。リモート勤務でそのあたりの環境面はもう少しやりようがありそうなので、「道具を大切にしつつ心を整えるルーティン」的な何かを模索していこうかな。
 無駄にコレクションしてしまう癖は治っていない(昔は野球用品だったが今は積ん読が捗っている)。

チームメイトと声を掛け合った

 「今が何アウトでランナーここにいるからゴロ来たらゲッツーね」とか、「バントあるよね」とか、そういう認識合わせをちゃんとやってた。
 頻度にもよるものの、「わかってるわい」ということも声に出すのはだいじだと思う。「わかってるわい」ということをお互い声に出して認識を合わせられる関係性作りをしていきたいなと思っている。言い回しとかタイミングとか頻度とかを良い感じにやっていきたい。

チームに貢献できるポジションを模索した

 小学校の時は4番キャッチャーだったが、中学になり体格差が出てきたところで9番セカンドに転向した。野球は観るよりもやるのが好きだったので、中学でも絶対に試合にたくさん出たかった。40人くらい部員がいたので4番キャッチャーにこだわるとレギュラーにはなれないなと思い、自分の興味体格技能を加味するとセカンドならいけそうで打順もこだわらないスタイルでバントができればレギュラーになれそうだからその方向でやってみようと決めてそうした。
 当時の「野球がやりたくてたくさん試合に出たい」は現在の「たくさんのリリースに貢献したい」で、自分にとっての当時の「9番セカンド」が現在の「QAエンジニア」っぽかったからQAエンジニアになった。
 「9番セカンド」と「QAエンジニア」、うまく説明はできないけれどいまだに感覚的には結構近い気がしているので、「あ、こういうときに近いなと感じるんだな」ってことがたまってきたらそれはそれで記事にしようかと思っている。

どの打者が何球目のどんなボールを打ってどうなったか、無意識に覚えていた

 『週刊ベースボール』に「良い選手はみんなそうしている」と書いてあったので、「そうかあ良い選手はみんなそうしているのかあ」と思って自分も覚えることにした。はじめはなかなか難しかったけれどもだんだん無意識に頭に入るようになってきたし、情報量も変わってきた。
 前回このバッターのときはランナーいて盗塁させたかったから1球待ったけど、ランナーいないときはこの人割と初球からガンガン振ってくるし強めなボール来そうな気がするな〜とかとかそういうやつ。
 QAエンジニアになって8ヶ月目が終わろうとしているいま、「どのプロジェクトでどんなことが起きてどうなったか」をもっと野球レベルで覚えたり書き留めたりふりかえったりしておけばよかったなとちょっとだけ後悔している。 勢いでやってしまったけれどもそれでも徐々に視野が広がってきた気はするし、「前回のプロジェクトでいうこれが、今回のプロジェクトでいうこれか。だとしたらこうなる気がするから事前にこれを認識合わせておくべきか」というのが見えたり見えなかったりするようになってきた。気がする。
 ちょっと慣れてきたいま、この気配をもっとより確かなものにするためには、野球をやっているときのような意識的な記憶やふりかえりが有効なんじゃないかと思っている。『アジャイルレトロスペクティブズ』は前職の先輩が持ってたのをパラパラめくった程度しか見たことないので今日ポチった。

そのころにはできなかった感じ

積極的にフィードバックを求めにいくこと

 思うように打てないときに積極的に顧問の先生や監督やコーチにフォームを見てもらってアドバイスを請う勇気があれば、もっとうまくなれたかも知れない。どこかに改善すべきポイントはあったはずだ。当時はなんだか怒られるような気がしたのと、何かを指摘されるのは悪いことで恥ずかしいことだというような意識があったのかも知れない。今となっては知る由もないが。
 素振りをしているタイミングで指導者が近くを通り過ぎたときは「足場を慣らしながら去るのを待つ」のではなく「自分としてはここを意識して振っているが、実際にどうなっているか見てください」というチェック&フィードバックを求める器量があれば、もっといい選手になれたんじゃないかと思う。
 私がそのことに気づいたのは、大学時代に塾講師のアルバイトをしているときだった。途中計算を手で隠したり、途中計算を全く書かなかったり、私が少し何かを話しただけですぐに消しゴムで全てを消そうとしたりする生徒と昔の自分が重なった。先生が机と机の間を通って自分の席の前を通りかかったときに、「集中しているので話しかけないでくださいオーラ」を出すのではなくて「こう考えてこれをここまで進めましたが、ここからこうすべきか、それとも他に選択肢があるのか悩んで手が止まってます」と、途中計算や未完成の思考を先生にチェック&フィードバックを求める器量があればもっと勉強ができたかも知れない。
 プライドに良いプライドと良くないプライドがあるとしたら、かつての私のような「フィードバックを求める器量」の無さは、良くないプライドの持ち主のそれだ。今できないのは悪いことじゃない。悪いことは「今できないことに対して見て見ぬ振りをして、周りさえごまかして未来もそのままにしようとすること」だと思う。
 ということで、大人になってそのことに気づいた私は、「未完成の過程や思考」を見てもらってフィードバックをもらうことに慣れていこうとしている。幸いにも、仕事中にそれができそうなタイミングはリモートでも結構ある。

チームメイトの価値観を理解すること

 当時は当時なりに色々やっていたつもりだったが、出来ていなかった。
 私はとにかく自分が試合に出たくて、試合に出るためにはうまくなりたくて練習していた。だからいつもランナーコーチをしていた後輩には感謝の意を持ってはいたが、その後輩が何に価値を感じて日々ランナーコーチをやっているのかに関して一度も考えたことがなかった。
 後輩と奇跡的にバスで隣の席に座って再会したのを機に飲みに行って聞いてみたところ、「試合に出たくなくて、オーダー発表で自分の名前が呼ばれないとちょっとホッとした。でも選手と同じ目線で同じ練習を日々やった上で同じグラウンドで一番近い場所で応援するのが好きで、だから毎日野球部で野球やってた」という趣旨のことを言っていて、同じ「野球」に携わっていても、その「野球」への向き合い方や価値観は人それぞれなんだなと思った。
 同じプロジェクトで同じプロダクトに携わっていても、ロールごとに関心ごとは分かれると思うし同じロールだったとしても性格や価値観は様々だと思う。「ロールごとの関心ごと」は各々のロールが結果を出すために必要なものだから掴みつつ全体最適を目指していきたくて、個人としての性格や価値観もある程度わかっていたほうがなにかがうまくいくこともあるかもね〜という気はしているのでなにかしらやりたい。ゆうて銀の弾はなくて、ちょっとずつ何かをやっていきなんでしょうね。 

成果にこだわること

 「レギュラーへの執着」はあったが、「勝ちへの執着」が薄かった気がしている。
 「QAエンジニアとしてのスキル向上!ヨシ!」で終わらずに、向上の先でそれが普段の業務やチームにどう活かせて、それの積み重ねで開発プロセスやらプロダクトやら事業やらがどうなっていくと「ヨシ!!!」なのか、などの「取り組みの先の成果や結果」にも頭を巡らせていこう。


さいごに

 「そのころと同じような感じ」プラス「そのころにはできなかった感じ」で働くことが私にとっての「イキイキ」だなぁということで、「野球をやっているときのように仕事をする」というのを大切にしています。というはなしでした。

 こうして記事にしておくことで、私のことを知っている人にも知らない人にも「あ、こういう価値観を持っているんだね」というのを知ってもらえるのは良いことかもなぁと思いました。

 就活の頃と転職活動の頃は「野球をやっていたときのように仕事をする」というモットーでやっていました。「やっていた」が「やっている」になったのは、最近現職の野球部でケガに気をつけつつまた選手としてのプレーを再開したからです。新しいユニフォームに袖を通せる日が来るとは思ってもいませんでした。野球がまたできる日を楽しみに、細々と筋トレを続けようと思います。

 そもそも日本の製造業の新製品開発手法の特徴を野中(1986)「The New New Product Development Game」で「スクラム」と呼んだのが、アジャイル開発における「スクラム」のルーツだそうじゃないですか(というのは平鍋、野中(2013)『アジャイル開発とスクラム』pp196−201辺りをチラ見しながら言っている)。

 そう考えると、他の分野の論文だったりだとか、ラグビー以外のスポーツからだったりとかでも学べたり取り入れられたりするエッセンスは世の中きっともっともっとあるんじゃないかなと。そういうのを観察して、発見して、取り入れて、シェアして、というのができるといいなと。野球からとか、サイゼリヤからとか。そういうことで見たり知ったり考えたりしたことは、緊急事態宣言 Advent Calendarが終わってからもnoteに書いていこうと思います。

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