信じる者と書いて儲かると説く

世の中には
信じる人が多いなぁとつくづく思うわけです
事柄や思想に通底した何か光明が見えているならまだ分かるのですが
鵜呑みが多いなぁ
鮎は美味しいけど噛んで咀嚼してこそ複雑な味が出るものです

物事の表層だけをなぞっていけば非常に分かりやすい
ただ、入口だけを見ていては誤訳も起きやすい
ではどっぷりと浸かっていけばそれなりの教養や専門性が必要となり
混み入って難解になってしまう
おそらく出口は至ってシンプルなはずなのだがその出口にあるものが
どういったコンテクストを経由しているかを知らなければならない

入口から見える景色を如何に専門的なブラックボックスを通して
簡潔にコンパイルしていくか
出口にあるものは決して”解”ではなく”方程式”であることも然り
そもそもブラックボックスに対しての疑心は一般的に薄いのかもしれない
スマホで検索をしたら答えが出てくる、
その過程や構造は理解していなくても気にする人は少ない
TVでコメンテーターが政治批判の発言をしていた彼ら(彼女ら)は
どこからお金をもらって生活しているのだろうか?

こういったブラックボックスの信憑性はどのように担保されるのだろうか?

その多くは権威というものが担っている気がする

マイケル・オズボーンの未来予想を聞いて
AIに危機を感じている人はおそらく
オックスフォード大学と言う権威に平伏している

これは歴史的に見て恐怖の大王に恐れを抱いた人々が
ノストラダムスという医者であり予言者という権威に平伏した結果と同じだ

権威トレンドに弱いのは結構だが
決して権威は責任を取ってくれない
オズボーンもノストラダムスも大前研一もあなたの人生に一切の責任はない

権威は時として不確実な信憑性を与えもするし、
下積みや功績からなる統計学的信憑性もあるだろう

権威とはなにか?
個人的解釈を避けるためブリタニカ国際大百科事典から引用する

”制度、地位、人格などに優越的な価値や力が属しているため服従を要求できる力”

”権威の源泉と考えられるものにはマックス・ヴェーバーのいう人格的カリスマ、伝統や制度の神聖視、組織上の合理化された権限などがあるが
これらはしばしば複合化して現れる”

”権威それ自体は強制的権力そのものでも、真理のような価値でもなく、その本質は服従者の受容を条件として成り立つ社会的な力であるといえる”

ということで何も真理も真実もなく権力と服従の関係にあるだけのようだ
そもそも権力の解釈を百科事典という権威に委ねるのも滑稽な話ではあるのだけれども
なにかの権威を持ち上げているときは服従しているということ
そして服従者の受容が権威の発動条件であれば、
権威者の責務など皆無であり

権力に対して服従した責任を持たせようと
信じていたのに裏切られたー!と
勝手に崇めて、勝手に非難をはじめる迷惑極まりなくナンセンス

人類学的に150人以上の受容服従者を生成するには虚構が必要なわけで
何かしらの真実と虚構を織り交ぜたミクスチャー的な教義を
権威と摺り変えることでマネタイズできる仕組をつくり
無責任な権威はナンセンスな服従者を敢えて受け入れ
組織を大きくすることで
近代日本教育の均質な同調圧力でさらに拡大していくのでしょう

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