わたしができること、やってきたこと|自己紹介
(※2020.5.2更新)
はじめまして、中村龍太郎と申します。
建築系の設計事務所でインテリアデザイナーとして働いた後、スーパーゼネコンに移りワークプレイスコンサルタントとして様々なオフィスづくりを通して「働き方改革」を推進する仕事をしてきました。
その後色々と思うところがありサラリーマンを辞め、現在は地域おこし協力隊として地方で活動しつつ、ゲストハウスを開き個人事業主としても仕事を始めました。
働き方改革から、生き方改革へ。
あらためてこれまで公私問わず行動してきたことを棚卸ししてみますが、一貫しているのは「自分のほしい暮らしは、自分の手でつくる。」という姿勢かと思います。人とのご縁を大切に、導かれるままに走ってきたここ数年のことを、仕事の観点から振り返っていきます。
|主な仕事|
建築系の大学院を卒業後、都内の設計事務所に就職。「より人に寄り添ったデザインがしたい」と、インテリアデザインの道に進みました。インテリアの仕事はサイクルが非常に早く、図面やパースと格闘し続ける目まぐるしい日々になんとか喰らい付いていく中で、一定の社会的な評価をいただけるような案件も担当させていただきました。
出向という形で、スーパーゼネコンのワークプレイスコンサルタント職に赴くことに。デザインの世界から、より上流のコンサルの世界へ。「何のために働くのかを追求する」。オフィス構築において目指す企業ビジョンやありたい姿などを、ワークショップやサーベイやファシリテーションを駆使しながら導き出していく作業は、これまでとは違う視点でデザインへアプローチする絶好の機会となりました。
現在は都内でのサラリーマン生活をやめ、山口県阿武町という人口3000人ほどの小さな町に移住しました。ここでは地域おこし協力隊という、「地域の人と寄り添う活動」を行っていますが、「より人に寄り添ったデザインがしたい」とインテリアデザインを志したときの心境と通ずる部分があるのかもしれません。
また移住してから、個人事業主としてゲストハウス&バーの経営もしています。これまでの経験を生かし、設計・施工など何から何まで自分の手で作り上げました。コンセプトは「縁が繋がり、恩が循環する」。人とのご縁や感謝を何よりも大切にする、そんな自分のほしい暮らしのひとつの答えをここに実現しました。
|その他主な活動|
生き方に悩み始めたわたしの目の前で、職業や肩書き、年齢や性別など一切を超えて「ただ同じ日にそこにいる」というだけで人が繋がっていく光景。ありのままの自分を受け入れてくれる関係。「こんな働き方・生き方をしてもいいんだ」と価値観を一変させられる出逢いに救われて以降、取り憑かれたようにゲストハウス巡りをはじめ、多様な生き方に出会い視野を広げ続けてきました。
長野県上諏訪にある、建築資材や家具などの古材リサイクルセンター創業に際しての店舗内装工事のお手伝いに行ってきました。「自分でデザインしたものを、自分でつくる力を身に付けたい」。インパクトや丸ノコ、ペンキや左官などDIYを行うための基本的な技術はすべてここで覚えました。このとき一緒にお手伝いした仲間たちは、今でも大切な関係になっている人ばかりです。
身に付けたDIYのスキルを確認するように、渋谷にあったカフェバーの改修工事のデザイン・施工に参加しました。ここは半年に一回内装をすべてDIYで作り変えるという変わったお店で、自分たちでお金も出し合い、その予算の中で最大限居心地の良くなる空間づくりを目指しました。「DIYスキル」のたしかな向上を実感。
Encounterでの改修工事のご縁から、こちらの野外映画祭の運営幹部として参加することになりました。日本での野外映画祭の先駆け的なイベントで、毎年2日間で約2000人を動員する超人気イベントです。当日の運営に関わる準備一式から、現地設営、会場管理など「イベント運営のイロハ」を一通り経験させていただきました。
最後の集合写真で、ちゃっかり代表の隣で写っているのがわたしです。
サラリーマンを辞めようかと考え始めた頃、ゲストハウス巡りをする中で知り合った友人からこちらのイベントを紹介いただきました。野球のドラフト会議のパロディで、選手(移住候補者)と球団(受け入れ先地域)をマッチングするという内容ですが、その熱量はすさまじいものがありました。「地方移住」という構想がだんだんと現実味を帯びてきたのは、このイベントがあったからこそだと思います。
現在のゲストハウスのコンセプトや名前がこの時のプレゼンですでに登場。ありがたいことに、複数地域から1位指名を受けたのはわたしだけでした。当日の様子は下記動画でもご覧いただけます。
東日本大震災を東北地方で経験したわたしにとって、「持続可能な暮らし」は今後避けて通れない考え方であり、総体的な思想を学ぶためにパーマカルチャーという門戸を叩きました。「持続可能な農的暮らし」と説明されることも多いですが、その本質は「あらゆる生態系が豊かに生きる」ための関係性のデザインだと考えます。世界的に通用する「パーマカルチャーデザイナー」の資格を取得しています。
途中に開催されたパーマカルチャーフェスティバルにおいて、「創作桃太郎」の演劇を行うこととなり、主演の桃太郎をつとめたことはいい思い出です。
持続可能な暮らしを模索する中でもうひとつ取り組んだのが、食べ物を自給することでした。「食べてさえいければ、生きていける」。千葉県匝瑳市の田んぼをお借りし、無化学肥料・無農薬・冬期湛水の自然農法米作りを勉強・実践しました。土に触れ、水に触れ、五感で自然に触れる喜びを取り戻したわたしが地方に移住したのは必然だったようです。
友人たちに協力してもらいながら、結婚式をすべてDIYで行いました。コンセプトは「ありがとうを届ける」。すべての人との出会いやご縁に感謝し、来てくれたみんなが主役で楽しんでもらえることがしたいと、「入籍フェス」と名付けた1日限りのフェスを開催しました。ありがとうを伝えるつもりが、返すべき恩がどんどん増えていくような、そんな人生の喜びが凝縮した1日でした。
前撮りは友人のプロカメラマンにお願いし、高円寺の思い出の場所を巡りながら街中で撮影したのですが、ドレス姿で焼き鳥屋で飲んでいたらまさかの日テレ「月曜から夜ふかし」さんに取材いただいたのはいい思い出です。
ゲストハウスを開業するにあたり、必要な資金の一部をクラウドファンディングで募りました。「顔が見える繋がりを紡ぐ、新しい関係性づくりのかたち」と捉えて実施したところ、本当にたくさんのかたにご支援いただくことができました。あらためて、円より縁を大切にしていこうと強く胸に刻み込みました。
またクラウドファンディング実施については、下記の記事にてかなり詳細に成功に至るまでの戦略を書いています。すべては、苦しい状況の続いている宿泊業・飲食業の未来のために。
現在運営しているゲストハウスにおいては、これまでの経験を生かして何から何まで自力で手がけており、まさにこれまでの人生の集大成です。コンセプトは「縁が繋がり、恩が循環する」。遊びに来てくださる方や、おすそ分けをしてくださるご近所の方など、たくさんの方に囲まれての毎日にわたしたちは心から安心して暮らすことができています。
DIY工事においても、アクセスの悪い場所にも関わらず延べ100名を超える方がお手伝いに来てくださいました。人とのご縁に感謝し続ける日々です。
|これまでのメディア掲載・取材等|
建築学科では卒業の際に「卒業設計」として架空建築プロジェクトを立ち上げ、その内容が認められなければ卒業できないのですが、大学院卒業時のそのプロジェクトが学校を飛び越えて全国コンテストのファイナリストに選出されました。当時東北地方の大学に通っていたため、東日本震災後のある集落の被災地復興計画について、実際の法規制やコストをリアルにシミュレーションしながら、かつ人の心に寄り添う計画づくりを目指しました。「地方で社会と関わる」ことの萌芽がこの時すでに。
ゲストハウス巡りをしていた頃、山口県萩市のゲストハウスrucoでオーナー塩満さんと話していたら、いつの間にかラジオ出演することになりました。当時はまだサラリーマンとして働いていましたが、なぜゲストハウス巡りを始めたか等わたしの根幹の思いを対外的に発信したのはこのときが初めてだったかもしれません。
インテリアデザイナー時代の代表作を、建築業界の大手雑誌「商店建築」さんに掲載いただいたものです。実はこの直前に婚約破棄をされており、仕事での評価と自分自身の幸せのギャップに疑問を抱き始めるきっかけとなりました。
移住ドラフト会議はわたしの人生を大きく変えてくれました。今思い出しても、胸が熱くなるものがあります。その時の様子を、地方版紙面・全国版紙面・デジタル版各所でわたしの名前も出して掲載いただきました。下記リンクにて動画も視聴可能です。
「縁側ちゃん」こと縁側愛好家の成瀬夏実さんとご縁があり、高円寺で住んでいた古民家シェアハウスのことを取材いただき、冊子に掲載いただきました。
地域おこし協力隊着任直後に、地方ラジオに電話出演させていただきました。人生2回目のラジオ。ゲストハウスの構想やわたしの想いを山口県内の方に向けてお話しさせていただきました。
わたしが参加した次の年度の移住ドラフト会議には、「指名する地域側」として参加させていただきました。まさか選手側と地域側の両方を経験できるとは思わず、今考えても貴重な体験をさせていただきました。その時の様子を新聞に掲載いただいています。
わたしたちのゲストハウスについて、テレビ局が取材してくださいました。ゴールデンタイムのニュース番組の中で4分間の特集を組んでくださり、改修工事中の宿の様子やインタビュー形式でのやり取りなどを放送いただきました。
ゲストハウスオープン直後に、町長と並んで玄関の前で撮影した写真とともに掲載いただきました。
山口県の若者にとって「山口観光情報バイブル」とも言われている雑誌に、1ページ特集を組んで掲載いただきました。記者さんが本当に良い方で、トライアングルさんはそれ以来欠かさずチェックしています。
原付で日本の市町村を全部回るというクレイジーな旅をしているかつおくんが、えのんに遊びにきてくれた日のことをブログに書いてくれました。
毎日新聞地方版にて、ゲストハウスオープンについてインタビュー記事を掲載いただきました。
長門・萩・阿武町からなる「北浦地域」についての情報を集めたフリーペーパー内にて、ゲストハウス開業への想いなどを長文で掲載いただきました。下記リンクより全文閲覧可能です。
ゲストハウス専門プリーペーパー「GUESTHOUSE PRESS」さんが書籍を出版するにあたり、「ゲストハウスに出会って人生が変わった人」特集にて丸々2ページ掲載いただきました。編集長の西村さんとは、以前イベントでお会いしてから本当にお世話になっています。
株式会社カヤックLivingさんが運営されている移住スカウトサービス「SMOUT」の公式instaguramにて、わたしたちの移住について取り上げていただきました。
アウトドアメディア「.HYAKKEI」にて取り上げていただきました。記事をかいてくれたちゅぼは、東京にいた時の友人です。
雑誌「田舎暮らしの本」にて、阿武町の紹介とともに移住者の暮らしの事例としてご紹介いただきました。
|略歴|
|SNSなど|
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