その選択肢は選べるか

人生は選択の積み重ね。あっちにすれば良かったと、選ばなかった道に思いを馳せては今の立ち位置を見てため息をつく。
なんでここにいるんだろうと何度思ったことか。

子供の頃は人生は可能性に満ちていると大人から言われていて、私もそれを鵜呑みにしていた。
だから大きくなれば、行きたいところに行けて、なりたいものになれると思っていた。
けれども実際はそうではなかった。

中学3年生の頃、高校受験を控え、勉強に励んでいた。
私には行きたいと思う学校があって、学力も十分足りていて先生からは余裕だろうと言われていた。
なのに結果的にその学校に入学することはできなかった。

その原因は母親だった。
田舎で育った母親が「都会に行くと派手になって遊ぶようになるから、弟と妹がいるからその分お金がかかる、女に学は要らない。どうしてもその高校に行くのなら授業料も定期代も自分で出せ。」と猛反対したからだった。
母親の意見が通り、私は希望している学校を受験すらできずに諦めなければならなかった。

希望していた学校以外で母親に反対されなかった学校もあった。だけども私にあの学校ほどには魅力的には見えなかった。母親の許可が出て学力が足りる学校はいくつもあったけれど、それは豊かだとはちっとも思わなかった。
自分の望む選択肢がその中になければ、たとえ数がいくつあっても豊かだとは思えなかった。

子供の頃は未来は希望に満ちて、どんな選択肢でも選べると思っていたのに、実際はそうではないのだなと痛感した。

そしてその選択肢自体も、無限に有るように見えて、でも標準装備で選べるものは少なかった。
現実には自分で努力して、RPGのゲームのようにカーソルを合わせられる選択肢を増やして行かなければいけなかった。

自分が望み努力しても、実際にその選択肢がとれる保証なんてない。
それでも努力しないと、希望する選択肢にカーソルを合わせることすらできなかった。

その選択、本当に選べる?
カーソル、その選択肢に合せられる?

経済的な理由だったり、精神的な理由だったり、そもそも自分ではどうしようもない外的要因だったりで、選択幅は狭められていく。

それでも本当に自分の取りたい選択をするためには、努力を重ねて選択肢を勝ち取り、自分でそれを選べるように整える必要がある。
それに気がつけたのはもっと後だけれど、それでもまだ遅くはないと思う。

中学から高校生へそして大人へ。時間はたち私は実家を出て就職もした。
就きたかった職業に就くこともできなかったし、昔は無限にあるように思えた選択肢も1つ2つ…と少しずつ減っていった。
だけど自分の努力で望む選択肢は得られていて、自分の希望する選択肢にはカーソルが合う。
したいと思ったことを自分の力で叶えられる。
人生の舵取りを自分でしていると実感する、そんな今が、一番ゆたかだと感じるのだ。

#ゆたかさって何だろう