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自分の心に素直になって動くこと

8月で仕事を辞めた。
つい先日、短い期間だったけど、大切なことを教えてくれたパートナーとも離れた。

これまでお世話になってきて、「辞めた」という報告をしたほぼ全ての人から、「あなたにはもっと輝ける場所があるとずっと感じてた」と言われてしまうような組織でも、何かしらを変えればまた軌道修正して復帰できるのでは、と何度も思うくらいには思い入れがあった。
もう少し早くパートナーの異変に気づけていれば、傷を深くしてしまうこともなかったのでは、とこれは今でも思ったりする。

もし、私が何も問題なく元気なままでいられたら、好きでやっていた仕事を
辞めることも、大切に想ってくれたパートナーと離れることもなかったかもしれない。

だけど、それは全て「タラレバ」の話だ。
もっと他に方法があったかもしれないし、これしかなかったかもしれない。
いずれにしたって、もう賽は投げられたのだ。

長い(かもしれない)人生の中で、必ずターニングポイントはあるもので、偶発的に、もしくは意図的にそれは起こる。
私の場合も、わずかな違和感を少しずつ積み重ねて溢れ出たのが「今」
というだけで、なるべくしてなったと思う。



「多忙は怠惰の隠れ蓑である」という言葉が、糸井重里さんの『思えば、孤独は美しい。』という本にあった。糸井さんが高校時代に国語の先生に教わったことばらしい。

(前略)
忙しいときに生まれるリズムによって、なにかに熟練していくという
いいところもあるけれど、だいたい多忙は本質を見えにくくしてしまう。
しかし、「おれは忙しくはたらいている」というじぶんを許すだけの理由もたっぷりあるから、なかなかとても忙しい状態から抜け出すのはむつかしい。

「多忙という隠れ蓑」/『思えば、孤独は美しい。』糸井重里


私はここ数年、【多忙】を理由におそらく色んなことに蓋をしてきた。
人との距離感、食生活、己の好奇心……仕事もプライベートも境なく過ごし、「〜しなければ」「〜のように(他者に)思われるかもしれないから」と、小さなことから大きなことまで、「自分」というものを雑に扱い続けた。
【多忙】から抜けてしまうと、本当は向き合った方がいいものが途端に見え隠れしてくるから、とにかく何か動き続けたんだと思う。
その結果、自己肯定感や自己有能感、他者への関心、知的好奇心、将来への展望……あらゆるものがそれ以前より確実に下がり、自分軸が見えなくなった。

勘違いしたくないのは、決して【多忙】は悪いことではない。
前述の糸井さんの文章の続きにもあるが、『「多忙という怠惰の隠れ蓑」は、ある意味で、ふだんのじぶんをずいぶん助けてくれているのだ』から、
付き合い方を間違えないようにすることが大事なんだと思う。
私は付き合い方を間違い続けただけなんだ。


さあ、ではここからどうしようか。
いつまでも「タラレバ」の世界線を反芻してても仕方ないし、この休みの中で、今まで目を逸らし続けたことにも少しずつ向き合いだせている。
元の好奇心旺盛な私が少しずつ戻ってきた実感もあるし、何より、住環境を変えることをノリと勢いでやる元気も湧いてきた。
「以前の自分を取り戻す」より、「今の自分を受け止めて再出発する」が
今の自分にはしっくりくるから、その実現に向けて試し始めた感じだ。
だから、過度に過去に執着することもなく、かと言って全てを置き去りにしていくわけでもなく、自分の心に素直になって動くことを目指していこうと思う。
放っておくと、すぐに【多忙】を作ろうとする私を、ちゃんとコントロールすることも忘れずに。



どんなに落ち込む日があっても、どんなに楽しく嬉しい日があっても
人の時間は等しく滞りなく死に向かって進む。
腰をかけて休んだら、また自分に見合うペースを探りながら歩き始めたらいいんだ。
間違ったなと思ったら引き返したらいいし、新しい道を作ったっていい。
道のりは、だれひとり同じじゃないんだしね。


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