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アルコール依存を乗り越えトップランナーへ

「悩みを打ち明けることは弱さじゃない」

アルコール依存症を乗り越え、オーストラリアのトップランナーとして活躍するハリー・サマーズ。友人であり、かつ前回紹介したベン・セントローレンス同様、私のランニングへの狭い考えを打ち砕いてくれた一人です。

ベンの記事はこちらから。

2015年の8月、ハリーと出会ったのはオーストラリア、シドニーにあるランニングクラブへ初めて参加した日でした。

メニューは2000m+1600m+1200m+800m+400m。
早速一人が飛び出す。オリバー・ホア、昨年の全米学生選手権1500mのチャンピオン。当時は高校生でした。続くのがハリー・サマーズでしたが徐々にペースが落ちだし、1200mの時には私が追い抜きました。当時の私はおそらく5kmでいうと16分ちょっとくらいの実力だったと思います。

練習は全部裸足で走るし、練習も遅れてきてはアップもドリルも適当な感じで、日本の駅伝部出身の私からすると印象はかなり悪かったです。

「なんだこのだらしない格好の男は」
私が彼に抱いた第一印象はこんな感じでした。


練習で特別会話もすることなかったのですが、きっかけはシドニーから車で4時間ほどの所にあるオレンジいう町で行われたハーフマラソンの大会でした。コーチから「二人で一緒に行けば」との提案で渋々行くことに。
前日の夕食でも彼はアルコールはガッツリ飲んでました。
スタート時間は朝の7時。就寝前にはこんな感じの会話を。

「3時半に起きようと思うけど何時に起きる?」
「早すぎだろ。6時で十分。」

とうことで彼は本当に6時に起きて、ホテルから一緒にアップでスタート地点に向かいました。
スタート30秒前。ハリーの姿はスタート地点にありませんでした。
10秒前のカウントが始まっても姿がなく棄権するかと思いきや
「10、9、8、7、、、」とカウントが始まり、7秒前にスタート地点横のトイレから姿を現しそのままスタート。

2位に4分差をつけての独走、コースレーコードで圧勝。ここから彼を自分の常識で測ったらダメだと確信しました。

2016年4月、長野マラソンに招待選手として参加。リオ五輪の代表をかけた大事なレース。長野まで応援に行き、10km地点で待機してましたが、彼の姿はありませんでした。コーチから「ハリーが行方不明になった」と連絡があり、急いでホテルへ。フロントに確認すると一旦帰ってきてすぐに出て行ったとのこと。

「人気のないところで酒を飲んでるかもしれない」
コーチに言われホテル周辺を探すとコンビニ横の路地で大量の酒を買い込んで飲んでいるハリーの姿が。
実はスタート前から風邪を引いていたようで3km地点でストップしたようでした。

コーチの話によるとロンドン五輪選考のかかった5000m選手権の時も生活習慣を正すためコーチの家に下宿したがレース前に隠れてビール瓶4本を開けていたとのこと。
一日に16本、時にはそれ以上のビールを飲む日もあったほどアルコールへの問題は大きかったと聞きました。

そこからはシドニーで行われる大規模のレースCity2Surfで2016年、2017年と連覇を果たすも国内のトップレベルのレースに参加することはありませんでした。


2017年のCity2surfの連覇の後、メルボルンへ拠点を移し本格的にトレーニングを開始。11月に八王子ロングディスタンスで2年ぶりのトラックレースに復帰しました。
記録は28分23秒と自己ベストから10秒遅れの立派なタイムでした。

レース後の会話は

「やっぱレース前に9日間走らなかったら問題あるかな?」
「あるだろ。むしろよく走れたな。てか今まで1年以上練習継し                たことあるの?」
「ないかな。だいたい半年練習したら半年走らないような生活だっ
                     たから」
「1年ちゃんとやれば27分台余裕でしょ?」
「多分!今度はちゃんと続ける」

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このような感じで新たな事実が判明。
それから3週間後のオーストラリア10000m選手権はかなり期待していましたがハリーの姿はありませんでした。
その後、彼が飲酒運転で事故を起こしたことが判明。そこからしばらく何も連絡はありませんでした。
この事件を機に彼の中で大きな変化があったようです。

「このようなの生活を続けたら、もしこのまま変わらなければ、おそらく長くは生きられないだろう」
「過去は変えられない。だけど誰かの助けになりたい。例えそれが1人だけでも」
そこからは悩みを持つ人たちの会合に参加し、自身のアルコール依存の悩みを打ち明けることを決意。

2018年4月再び走り始めたとの連絡があり、5月にはクラブ、コーチ、仕事も変え新しいスタートを切ったとのこと。

その年の12月、10000m選手権では久々の国内選手権レースに復帰。29分20秒と本来の実力にはまだ遠かったものの本人からはすごく前向きな連絡が。
そして今年2019年1月、約1ヶ月のFalls Creekでのメルボルン・トラッククラブの合宿に参加。ヘッドコーチ、ニックの一時的な指導を受けながら徐々に実力が開花し始めます。
実は2018年の福岡国際マラソンでニックコーチにお会いした時に、合宿に参加していいよ、とのことで私もハリーと一緒に1週間ほどですが合宿に参加しました。

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そこからはハリーの勢いは止まりません。世界クロカン選考レースでは3位に入り、代表の座をつかみます。その後は3000mのレースで7分51秒の自己ベストを更新。スタート前にアクシデントでスパイクが見当たらなくなって、代わりにビブラムの裸足シューズで出走。
現在はヴェイパーフライも履きますが、薄底のシューズ、スパイク、裸足シューズも履きます。杵屋無敵の足袋シューズも提供していただき、トレイルでのジョグで使ったりも。

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5月にはスタンフォードの10000m記録会で自身初の27分台をマーク。実はその後、世界陸上の標準を狙うために日本選手権10000mに出場を試みましたが残念ながら海外選手は参加できませんでした。
その後はホクレンでの記録更新を目標にしましたが、その前のオセアニア選手権で優勝し、ほぼ代表の座を確実にしたことでここも見送ることに。
City2Surfではオーストラリアの名ランナー、スティーブ・モネゲッティが持つコースレコードにわずか2秒と迫る素晴らしい記録で優勝。

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その後、8月のヨーロッパ遠征では5000m、10000mで自己ベスト更新し世界陸上に大きな期待がかかりましたが、直前の病気により欠場せざるを得ないことに。非常に残念ではありましたが、以前のようにアルコールに手を伸ばすことはなく、現実を受け止め次に動き出すハリーからは大きな成長を感じました。

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元トレーニングパートナーのオーストラリア10000m記録保持者のベンも、「海外のいろんなランナーと練習してきたが、ハリーは一番強かった選手の一人」と言います。


8月の10000mのレースで一緒に走ったノルウェーのソンドレ・モーエン選手からの練習の誘いを受け、先月10月よりイタリアにてレナト・カノーヴァコーチの元、来年の東京五輪代表を目指した新たなスタートを切りました。自身もそろそろもう一歩上のレベルに行くために新たな環境でやることが必要だと感じたそうです。

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今年は自身のアルコール依存症を克服した経験を元にセミナーやSNSを通して
「悩みを打ち明けることは弱さじゃない」
とたくさんの人に語りかけ、精神的な悩みを持つ人々の手助けを行なっています。

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実は今年10月のメルボルンマラソンでは日本人向けのツアーもやろうと動いてくれましたが、私の力不足で広めることはできませんでした。しかし来年も日本人に向けていろんなツアーを考えているようです。
みなさんの希望のツアーなどがあればぜひご連絡ください。
またマッサージ師として合宿中なども他のランナーたちへのマッサージケアも施してました。

2017年事故以降、ハリーは一切アルコールを飲むことなく直向きにランニングを楽しんでいるようです。
レナト・カノーヴァコーチの元でハリー・サマーズがどこまでレベルアップするのか、ますます楽しみになってきました。

日常からの学び、ランニング情報を伝えていきたいと思います。次の活動を広げるためにいいなと思った方サポートいただけるとありがたいです。。