Shunsuke Sawaguchi

ヤマモ味噌醤油醸造元 社会変革事業部。町内会1班の班長。主に会報を配っています。 ht…

Shunsuke Sawaguchi

ヤマモ味噌醤油醸造元 社会変革事業部。町内会1班の班長。主に会報を配っています。 http://yamamo1867.com/

最近の記事

オランダ人シェフが急遽弊社のカフェで働くことになりました。

今日の夕方、雨も強まり日曜のカフェの営業が落ち着いてきた頃、オランダ人のシェフと、同じくオランダ人のアーティスト(美大生)のカップルがヤマモの見学に来ました。 彼らは今年の4月から日本に就職 or 留学予定だったものが、日本に到着した直後にそれぞれコロナの影響でキャンセルになってしまい、縁あって来年3月まで秋田の県南にいることになりました。 アーティストの女性は先に活動拠点が決まっていて、つい昨日正式オープンしたばかりの美郷町初のゲストハウス兼カフェバー兼ギャラリー『やぶ

    • 「この感情は誰かに思わされているんじゃないか」症候群

      「この感情は誰かに思わされているんじゃないか」と大体思っている。「これは自分で考えたんだ」と思っていたい。踊らされるのが嫌だ。踊らされていたとしても、せめて「自ら踊ってますけど」みたいな態度を取りたい。マウント取りたい。いや、全然取らなくていいから取られたくない。取られるなら綺麗に取られたい。 高校の部活のとき「なんで、赤いコーンとコーンの間は全力ダッシュしないといけないんだろう」って思いながら走っていた。そう、走っていた。納得していないクセに走らない選択肢を選ぶ気は全くな

      • 手応えのない発信1ヶ月

        Twitterとnoteで発信をするように心がけてから1ヶ月。 「制限が足りない」と感じ始めている。 まさに一文目に書いてある通り、「心がけて」いる程度なので、手応えがない。応えるも何も、抵抗の要素がないので押しても軽いに決まっている。 そう思い始めたのは会社で仕事として書かないといけない広報用の文章があまりにも書けなかったからだ。確かに日記的に垂れ流す文章と目的がある文章は使う筋力が違うかもしれないが、漠然と「書けるようになりたい」と思っていた自分からすると本末転倒感が

        • 発信じゃなくて表現にしたいけど

          発信が大事ってよく聞くし一理あるっぽいし発信したことでいい思いをしたこともあるので多分やった方がいいんだけど、どうしても胡散臭くて気乗りしない。SNS上でインフルエンサーを見て胡散臭さを感じることもあるけれど、それよりも自分が発信することへの胡散臭さが半端ない。 今のところその胡散臭さの正体は聞かれてもいないのに答える図々しさではないかと思っている。 いやでも待てよ。これまで自分が感動してきたもの、音楽や絵画や映画や漫画は、多くの場合は別に聞かれてないけど答えているものな

        オランダ人シェフが急遽弊社のカフェで働くことになりました。

          「余裕でやること」の更新

          ときどき毎日が同じようなことの繰り返しで、「このままで何かできることが増えたり、できることの質が上がったりするだろうか」と思うことがある。わかりやすい停滞感。以前はこの感覚を、何かビジネス的なもの(「好きなことで生きていく!」とか)に欲求を掻き立てられてるんじゃないかと気持ち悪がっていたときもあったけど、手を動かしてみると単純にこれまでできなかったことができるようになるのは楽しいんだと気付いた。 反復練習の意味は「できなかったことを意識すればできるようにすること」と、「今ま

          「余裕でやること」の更新

          読む<書く、にしたい

          人にはそれぞれ呪いとなる言葉があると思っていて、ぼくの場合それは「自分の言葉」。 自分のポジションを優位に保つためだとか、もはや原因はどうでもよくて(これまで何度も考えてきたけどそれこそ呪いのように考えれば考えるほどドツボにハマるので)、主観的にどこからが伝聞や引用でどこからが自分の思考や経験からくる言葉なのかわからなくなるときがあるし、関わりを深く持ってくれた大人から指摘されたことが一度だけではないので、事実としてぼくはどこかの誰かの言葉をそのまま自分のもののつもりで垂れ

          読む<書く、にしたい

          「苦労は買ってでもしろ」的な話

          先日高校生の自主企画で将来を考える材料として社会人100人にインタビューをするということで、社会人の1人としてzoomで1時間ほどインタビューを受けました。 「なんで今の仕事を選んだんですか」 「自分で決めているマイルールはありますか」 「10代でやっておいた方がいいことはありますか」 「大切にしている言葉はありますか」 などなど。真っ直ぐな質問がいくつも飛んできました。 ぼくはおしゃべりな方だと自他共に認めており、年間の反省の8割は「しゃべりすぎ」に集約されます。かつ

          「苦労は買ってでもしろ」的な話

          過渡期の言葉が未来の自分を救う

          過渡期に言葉としてその心の動きを残しておくのは大切なこと。それはコロナのように突如もたらされることもあるし、就職のタイミングや超個人的な意識でも起きる。心が動いているときの熱量は時間が経つにつれ慣れて忘れてしまう。そのときのことを質感を伴って思い起こすことは不可能に近い。それが自分の原動力であるはずなのに。変化していく心を言葉にするのは難しい。誰にも完璧には共有できないものであるのは当然のこととして、自分でもそもそもよくわかっていない。でもそれが言葉にできなければ、場合によっ

          過渡期の言葉が未来の自分を救う

          黙って味わえばいいのに

          考え事を始めると、だいたい「結局何がしたいんだ」「結局何が好きなんだ」に辿り着く。コンビニでおにぎりを選ぶときも、定食屋で注文をするときも、「結局何を食べたいんだ」と、自分の身体の声に耳を澄ませて、答えを出すことにしている。 開始数行でめんどくさい人間であることがバレた。 最近できた中華料理屋に友人と2人で行った。SNSのタイムライン上でもときどき話題になっていた店で、ある人によればチャーハンが美味いらしい。 メニューを一通り眺めて、チャーハンを食べたいと思った。

          黙って味わえばいいのに

          「清濁併せ呑む」という最低条件

          今はまだ、「書きたい」という気持ちよりも「書かねば」という気持ちに引っ張ってもらっています。 「書ける人になりたい」というのと、「書きたい」というのは随分遠いです。感情は育てられるものだと思っているので、いずれ「書きたい」になることを願って、もう少し続けてみます。 「清濁併せ呑む」ということにチャレンジしています。これがまだよく分からなくて、むずかしい。 きっかけは大きく2つあって、1つは大学を卒業して社会と接続するにあたり、もう一度自分を直視することが必要だと感じたか

          「清濁併せ呑む」という最低条件

          一から始める

          実家に帰るための新幹線の中で書いています。 自分が近しいと感じていて、かつ同年代の方が同時に2人もnoteを始めたので、感化されました。 日記を書く習慣はあったけれど、未だに自分以外の人が読むことが想定される文章を書くことに抵抗感があります。おそらく、小さい頃から国語の成績が良かったとか、過去にSNSで投稿した文章が褒められたとかで形成された、「どうせ書くならアーティスティックな文章書きたい」というプライドが邪魔をしているんだと思います。 大学を9月に卒業し、24歳という

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