考えれば考えるほど

 ある人にとっての正しいことはある人にとっては正しくないことかもしれない。正義を振りかざすことが一方的なリンチになることもあるだろう。

 大学2年の春休み、美術部の合宿で高知県に行った時のことだ、班行動で行ったやなせたかし記念館のアンパンマンミュージアムでは、子供の頃好きだったアンパンマンのイラストや模型の展示など、僕と同じ世代の人は特に楽しめる内容になっていた。
 その中の1つにおそらく初期の頃のアンパンマンの絵本が壁に展示される形で丸々1話読めるものがあったのだが、その内容をざっくり説明するとこうだ。

 最初のシーンで2匹のさるが湖にゴミをポイ捨てしていて、それに対して怒った擬人化された湖の水が2匹のさるを懲らしめてやろうと襲いかかる。そして2匹のさるが溺れそうになっているところにアンパンマンがやってくるのだ。2匹のさるを助けると空を飛び、湖の水に捕まらないところまで離れると「ここまでおいで」と言って煽り始める。すると森の精霊が出てきて争いを鎮めその場を収めた。その後サルは湖を綺麗に掃除して、最後はパン工場でみんなでパンを作ってハッピーエンド。

 (いや、煽る必要あったの?)そう思った。そもそも悪いのは湖にゴミを捨ててヘラヘラしていたさるなのだ。
 しかし考えてみると、アンパンマンが見たのはさるが襲われているところからで、そのシーンを見たら湖の水が弱い者いじめをする悪者に見えるのだ。そう見えたから喧嘩腰になったのだ。
 これを見て感じたことは「悪いことをした人を懲らしめるからといって度を超えると、それを見た人からはむしろ自分の方が悪者に見えてしまう」ということだ。
 結構深い話だったんだなあと感心していたが、改めて冷静に考えてみると、物語の流れをどこから見ていたのかわからないが、武力を行使することなく自分の威厳だけで場を収めた森の精霊の方が平和の象徴なんだと思えてきた。
 (じゃあアンパンマンって一体なんなの?)と思ったが、裏を返せばそもそもアンパンマンというのは平和の象徴なんていう完璧な存在として描かれていないのだ。
 むしろ実はほとんど僕らのような人間と変わらない存在であり、僕らに対して、誰かにとっては正しくないのかもしれないが、自分にとっての悪と戦う勇気を与えてくれるのだと思った。

 さて、自分の思う「正しい」がそれぞれ異なっている僕らはなんのために生まれてなにをして生きるのか。

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